「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

絶望ののちの歓喜

2006-11-19 17:32:43 | 日本文学の革命
ここ数週間 実に苦しい状態にあった
毎日毎日「これはもうダメか…」というような思いにとらわれ、精神的に絶望状態に追い込まれるのもしばしばだった

だがこういう絶望状態のときこそ、どこからともなく力が沸き起こってくる
今までにも何度も経験していることだが、自分の意識では「もうダメだ。降参しよう。降参したい」と思っているのに、突然希望に満ちたヴィジョンがやってきたり、あるいは一晩寝て起きたらいつのまにか溌剌とした力がみなぎっていたりして、自分が降参したいと思っても降参させてくれないのである

まさに漱石の言葉にあるように「魂がこちらこちらと教える」のであり、「迷いたくとも迷えん」のである
この道を歩んでゆくよう、否応なく強制されているようなものである

今回もそうだった
またもや大きなヴィジョンが開けてしまった

前に思想と文体両方から「新しい文学」を追求していると書いたが、思想の方はほぼ完璧な形でできてしまった
思想というよりも“魂”といった方がいいかも知れない。思想は魂の知的表現に過ぎないからだ

この魂を言葉で表現するなら、「則天去私の魂」となるだろう

日本人の伝統的な魂は「自然随順」である
今でも日本人はこれを生きているといっていい
僕が何度も何度も書いているものに外国主義というものがあるが、この外国主義も実は「自然随順」の一部であり、その一つの現れに過ぎないのである
(この外国主義がどんなに今現在も日本社会のうちで暴れ回っていることか!実にしばしば日本人全体に取り憑いてしまう)

明治以前はこの「自然随順」はまさに日本人の魂そのものだったのだが、明治以降になるとこれが時代や現実に合わなくなっていったのである
この「自然随順」を継承しつつも乗り越え、新しい時代にふさわしい新しい日本人の魂を築くことが求められてきた
この時代の要請に答えようとしてきたのが、日本文学の事業に他ならない
その全努力を一口に言うなら「自然随順から則天去私へ」となるだろう
日本文学を中心的に引っぱっていった夏目漱石は、まさにこれを行っていたのである

その「則天去私の魂」の全貌が、鮮やかなほど明らかになったのである
まるで一つの結晶、ダイヤモンドのような宝石を見ている感じがする

たいへんな宝物、「魂という永遠の宝石」が手に入ったのである

また同時に文体的にも躍進できた
どこをどうすれば求めるものに行き着けるか、十分分かるようになった

さらには書くべき題材も開けてきた

絶望したくても、させてくれない
進むしかない訳だ

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『若者はなぜ3年で辞めるのか』 | トップ | 「文化力」の時代 1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本文学の革命」カテゴリの最新記事