「日本文学の革命」の日々

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「新しい雑誌」の制作活動へ 1

2022-09-20 13:20:38 | 日本文学の革命
「同人」になってくれた人々が現れてくれたおかげで、強い責任感が生じたし、なんとしても電子同人雑誌を発行しようという覚悟もできた。ちょっと大袈裟だが「ルビコン川」を渡ってしまった感じである。もう後戻りはできない。前へ進むしかない。イケイケどんどんやっちまおう!という風に腹が座ったのである

これから作ってゆく電子同人雑誌とは今までにない全く新しいタイプの雑誌である。どのような特徴を持っているのか、ちょっと概略的に見てみよう

同人雑誌と聞いてまず思い浮かぶのが、現在のマンガやコミケ系の戦後の同人雑誌である。マンガを書くことが大好きな若者たちが集まって作った雑誌で、自由に夢を追うメルヘンチックなマンガが主体だが、マニアックでかなりエロなものも多いという、全体として一部の趣味に特化し「隅っこ暮らし」を続けているというマイナーな世界を形成している。こういうマイナーで狭いサークルの中で、ほっこりと心暖まる交流を重ねることは、同人雑誌というものの基本的な性格だし、電子同人雑誌でも大いにあっていいものである。しかし電子同人雑誌にはさらにもう一つの性格ー戦前の同人雑誌的な性格をも持っているのだ

戦前の同人雑誌は文学が主体であり、日本文学を支える社会的制度という性格を持っていた。名もない文学青年たちが集まって作った雑誌だが、世の中に向かって大真面目に旗幟を振りかざし、文化や社会をリードしようとし、実際有名になった同人雑誌では実に強い影響力を社会に与えたのである。また作家の養成・輩出機関としても機能し、夏目漱石や芥川龍之介、志賀直哉や武者小路実篤、戦後活躍した三島由紀夫に至るまで、日本の歴史に残るような作家たちを続々と生み出したのであった

戦前の同人雑誌がこのようなパワーを持ち得たのは、それが独自のネットワークを持っていたからである。「同人内ー同人間ー文壇のネットワーク」とでも言うようなものであり、同人雑誌のメンバー同士の間で友情と切磋琢磨に満ちた交流をするとともに、自分たち以外のさまざまな同人雑誌ともージャンルや主張を超え、ライバル的な雑誌も含めてー交流してネットワークを広げ、さらには文壇という社会的上層部に属する層とも強い絆で繋がっていたのである。この「同人雑誌のネットワーク」こそが、戦前の作家たちを育て、発掘し、活躍の機会を与えて、日本文学や日本文化を大発展させたのであった。戦前の同人雑誌はまさに日本文化を発展させる一大機関として機能したのであった

このような性格は戦後のマンガやコミケ系の同人雑誌にはないものである。同人雑誌の間の繋がりはほとんどなく、せいぜい年2回開かれるコミケ・マーケット(一種のお祭りである)に集まる程度であり、そして決定的なのは上層部に繋がるネットワークがなかったのである。マンガ系の同人雑誌からプロの作家が生まれてくることは稀であり、プロの漫画家になりたい若者たちは出版社に直接原稿を持って行くのである。そこで出版社の人間に認められたら作家デビューの道が開けるのだ。マンガでこういう新人発掘ができるのは、マンガが実にわかり易いメディアであることが大きい。小一時間もあれば簡単に読めるし、ストーリーや絵のタッチを見れば売れるか売れないか、伸びるか伸びそうもないか、仕事で忙しい出版社の人間でもちょっと時間を割いて面接するだけで判別できてしまう。このようにプロ作家たちが出版社に一本釣りされてしまうために、プロの漫画家とマンガ系の同人雑誌の間には分断が生じ、相互の間になんの絆もネットワークも生まれなかったのである

それに対して文学は難しいのである。読むだけでも数時間や数日はかかってしまうし、理解するには大変な知力と労力がかかるし、その作品が本当に優れているかどうか、この新人作家が伸びてゆくかどうか、その判別はさらに一層難しい。会社の事務に追われている出版社の人間がちょっと時間を割けば分かるというものではなく、それが分かるためには高度の文学的能力を持った人間たちー自身作品を書いていると同時に、革新的にさまざまな可能性を切り拓いてもいて、そのような活動を通して「具眼の士」となった人物が必要なのである。「芥川」を見い出すためには「漱石」という人物が必要だったし、「三島」を見い出すためには「川端」という人物が必要だったのである

同人雑誌に集まった文学青年たちは、この難しい文学を社会に認めさせるために必死の努力をしなければならなかった。協力してくれる仲間を集めたり、懸命になってスキルを磨いたり、大度胸を発揮して社会に向けて必死のアピールもしなければならなかった。無理解な世間の中、生活的にも困窮し、ノイローゼや若死に至った者も数多い。極限状態の中で必死の努力を積み重ねていたのである。そしてその声がネットワークを伝わって文壇層にまで届き、その中の「具眼の士」に認められたならーこの「具眼の士」もまたかつてはこのような無名の文学青年だったのであり、彼らに対して深い絆とシンパシーを抱いているのだー一躍活躍の機会が与えられ、スターダムの頂点にのし上がってゆくことも可能だったのである

このような厳しい環境の中で己れを鍛えあげていった昔の文学青年たちは、下からのし上がって来た「荒野の狼」のような性格を築いていったのである。それは彼が作家デビューしたあとでも持ち続け、彼の文学人生を支えるものとなり、そしてこの彼らによって日本文学は真に偉大な文化として発展したのであった。それに対して出版社が上から与える文学賞によって作られた作家たちは、「出版社の乳牛」のような性格を持っており、大衆受けする作品を量産することはできたが、日本文学を真に発展させることはできなかったのである

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