「日本文学の革命」の日々

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両面宿儺と桑田佳祐 2

2021-07-13 12:52:37 | 日本文学の革命
『鬼滅の刃』では登場してくる鬼たちは「鬼舞辻無惨」の様々な側面(たとえば「永遠の少年的性格」「女食いの好色」「吉原遊郭」厭夢の「外国主義」など)を体現して登場してくるのであるが、『呪術廻戦』に登場してくる呪霊どもにも「両面宿儺」つまり「桑田佳祐」の様々な側面が体現されていそうである

まず「真人」であるが、継ぎはぎだらけの人造人間みたいな男であり、「魂」「魂」と言いながらどこにも真の「魂」など持ち合わせていないような変態である。それでいて人間たちを片っ端から呪霊に変えてしまうことは得意である。これには桑田佳祐に対するツラ当てが―お前に京都の古典文化のようなまどかで自然な本当の「魂」があるのかという―込められているのだろう。たしかにこれは痛いところを突いたのであり、桑田佳祐も新しい日本の「魂」を心の底から求めているのだが、現状は得ていないのである

次に頭から火を吹き出す一つ目の呪霊だが、コイツがレストランで次々と人々を火だるまにしている場面で気づいたことがある。コイツはあの「京アニ事件」―京都アニメーションを放火して多数の人々を焼き殺したあの事件―を体現しているのではないか。そこにあるのは残酷で自分勝手な憎しみである。しかも「京都」に向けられた憎しみである

次に「ハナミ」という枯れ木が目に突き刺さった女性の化け物だが、これには皮肉的に「花見」がかけられているのだろう。豊かな自然を失った東京、そこで暮らす自然から断ち切られた哀れな人々、その虚しさが皮肉的に呪霊と化したのがこの化け物なのだろう

次に仏教の僧服を着た男が出てくる。裏で様々な策を弄してくる狡猾な男なのだが、この男には文字通り「仏教」が体現されているのだろう。歴史的に仏教は、しばしば東国の武士たちと組んで京都文明に挑戦してきたのであり、京都文明にとっては手ごわいライバルであり、いまいましい存在だったのである

最後に気色悪いタコの化け物も出て来る。物語の中でなんにもしないヤツで、ただプカプカと海に浮いているだけで、なんのためにいるのかも分からない存在である。ただ「海」ということで気づいたことがある。「海」といえば桑田佳祐のサザンである。茅ヶ崎の湘南ビーチとサザンはまさにかぶっていて、真夏のビーチといえば真っ先にサザンの曲が浮かぶくらいだ。このタコはそういうサザンの「海」を体現しているのだ。ただ「海」といえば誰しも美しさや爽快感を感じるものだが、「海」でありながらそういう爽快感を覚えさせないために、こんな気色悪いキャラを作り出したのだろう

『鬼滅の刃』では「鬼舞辻無惨」の様々な側面を体現した鬼たちを倒してゆき、最後に「鬼舞辻無惨」を討ち取るという物語構成になっているが、『呪術廻戦』でも同じ構成を取るのだろう。「両面宿儺」=「桑田佳祐」の様々な側面を体現した呪霊どもを倒してゆき、最後に「宿儺」そのものに迫るのである

最終決戦では五条悟や東京や京都の呪術高専の仲間たちが、総がかりで「宿儺」と戦うのだろう。そしてその際決定的役割を演じるのが「宿儺」と一体化しているこのアニメの主人公「いたどり」なのだろう。彼は「正しい死に方」を志して自分に受肉している「宿儺」を道連れに死を選ぶかも知れない。彼の尊い死のおかげで「宿儺」は滅び、世界は呪いから解放されるのである。それは「宿儺」とダブらされている「桑田佳祐」を葬ることでもあり、「桑田佳祐」に頭を押さえられてきた反桑田佳祐派の人間たちは、ついに忌々しい呪いから解放されたと歓喜に浸ることだろう


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