名峰登山と草花

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スペインの歴史遺産を巡る (その2)

2016-01-14 20:22:08 | 海外・歴史遺産の旅

アンダルシア地方を巡る

 先に訪問したグラナダと今回のセビリア、コルドバを含めたこのアンダルシア地方
にはイスラム教とキリスト教の文化の融合が色濃く存在する。即ち、キリスト教会とイスラム
教のモスクが融合している。そういう視点でご覧いただけると幸いだ。

スペインとイスラム教の関わりを少し勉強してみました。興味のある方は、ご一読ください。

 タイトル:イベリア半島のイスラム支配とレコンキスタ(キリスト教徒による回復)
 
 イスラム教ではムハンマド(マホメット)が信徒と共にメッカを脱出し、メジナに移住した
622年をイスラム歴・元年としている。632年にマホメットは没し、言行録がコーランとして
まとめられた。彼は630年にはアラビア半島をほぼ制圧した。教団の後継者(カリフ)が信者の
中から選出された。(ムハンマドは、唐の高祖(李淵)、日本の聖徳太子と同年代の人である。)
 イスラムの領土は正統カリフ時代、ウマイア朝(661-750)、アッバース朝(750-1258)(イベリア
半島は、後ウマイヤ朝)へと継承され拡大されて、現在のインドの一部、アフガニスタン、
カザフスタン、イラン、イラク、トルコ、北アフリカ(モロッコまで)、そしてイベリア半島まで
の広大な範囲を領土とした。

 イベリア半島の統治はローマ帝国(~395)の属州統治が約500年間続き、その後西ローマ帝国
(395~476)を経て、ゲルマン系の西ゴート王国(507~711)に統治された。(560年、首都を
トレドへ遷都)
 イスラム勢力のウマイア朝は領土拡大を続け、8世紀初頭にはジブラルタル海峡を越え、イベリア
半島に侵入し、711年には首都をコルドバとした。716年にはほぼイベリア半島を征服した。ウマイア朝
が倒れ、アッバース朝に代わるとウマイア朝の王族の一人ががイベリア半島に逃れ、後ウマイア朝
(756~1031)を起こした。
 後ウマイア朝は1031年に分裂、崩壊し、イベリア半島には30ほどのイスラム系小王国が割拠する
混乱の時代となる。このような中で北部のキリスト教徒が国土回復運動(レコンキスタ:~1492)を
強めていく。この運動は、グラナダを首都としたイスラム系ナスル朝の開城まで続き、1492年に
ポルトガル、スペイン両王国の成立をもって終了する。                以上。

 



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