うちの子って、ほんとに困った子なんだ。どうしてこんな子が生まれちゃったの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
すべての人間には、「幸福になる権利」があるだけではなく、「幸福になる義務」があります。(中略)自分にも、幸福になる義務があり、相手にも、幸福になる義務があり、他の人にも、幸福になる義務があります。その義務をきちんと果たしたならば、世の中はユートピアになるでしょう。
それでは、その、幸福になる義務を果たすためには、どうすればよいのでしょうか。それは、他者の存在を肯定することです。
いろいろな価値観や生き方があり、各人に、それぞれの長所、よさがあります。短所と見えるもののなかにも、実は、その人の優れた個性があるかもしれません。(中略)
確かに、昔で言えば「知恵遅れ」と言われるようなこと、「知能が低い」というようなことは、客観的にはあるかもしれませんが、私には、どう見ても、「扱いにくい子供がいる」と言っているようにしか思えません。
世の中には、扱いにくい子供がいます。そういう子供は手がかかるものですが、手をかけたくないために、それを、「問題だ、問題だ」と言っているのでしょう。(中略)
引きこもりについても同様です。学者や思想家、作家になった人で、「引きこもった経験がない」という人は、ほとんどいないと言ってよいのです。
何事かを成し遂げた人は、みな、孤独の時間を持っています。孤独の時間のなかを生きずに何かを成し遂げた人はいないのです。発明家も研究家も、みな、そうです。
そういう人たちは、多少、変わったところはあるかもしれませんが、可能性のある人たちなのです。(中略)
自閉症という言葉も、かなり広義に使われてきています。医者というものには、とにかく何か病名を付けてレッテルを貼ったら、それで解決したような気持ちになるところがあります。(中略)そういう医者の言うことは、あまりまともに聴いてはいけません。
「そんなことはない。人間は、みな、仏の子、神の子であり、誰もが可能性を持っているのだ。人間は、変わっていくことができるし、そのままでも十分に幸福になる権利があり、幸福になることもできるのだ。ものの見方を変えることによって、世の中は違って見えてくるのだ」と考えることです。
手のかかる子供を授かったとしても、それが不幸だとは必ずしも言えません。手のかかる子を持つと、確かに、お荷物のように見えるかもしれませんが、おそらく、その子は親に対して非常に重要なことを教えているのだと思われます。
「愛の修行」というものが課題として与えられているわけです。「あなたは、どの程度までの重荷に耐えられますか。その子を愛せますか。生かせますか。許せますか」ということを問われているのです。(中略)
「すべての人間が、成長し、大きくなり、成熟していくことができるのだ。成熟することによって、自分自身の罪や他人の罪など、あらゆる罪を乗り越えることができ、困難と見えしものを乗り越えていくことができるのだ」ということを考えていただければ幸いです。
(138~143ページ)
すべての人間には、「幸福になる権利」だけでなく、「幸福になる義務」があるのであって、その義務を果たすためには、他者の存在を肯定することである。
いろいろな価値観や生き方があり、各人に、それぞれの長所、よさがある。短所と見えしもののなかにも、その人の優れた個性があるのかもしれない。
手のかかる子供を授かったとしても、それが不幸だとは必ずしも言えないのであって、その子は親に対して非常に重要なことを教えている。
すべての人間が、成熟していくことができ、成熟することによって、あらゆる罪、困難と見えしものを乗り越えていくことができるのだ──。
仏のまなざしは、すべての子供たち、すべての人に対して、とても温かく注がれているのだと思います。
今日は、大川隆法先生が説かれる、対人関係、特に家族の悩みに対する仏法真理のエッセンスと思える部分を、ご紹介してみました!
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『ストロング・マインド』
大川隆法著 |
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