どうすれば神さまに会えるんだろう? 長く信仰してるんだけど、姿は見えないし、会うこともできないのは、なんでなの? なーんて思ってる人はいませんか?
幸福の科学の大川隆法先生が、イエスさまの言葉について初期の頃に解説された、『幸福の原点』(幸福の科学出版)の一節を、今日はご紹介します。
「心清き者は幸いである。汝らは神を見るであろう」、このイエスの端的な言葉、これがすべてです。
私は、「反省をして心の曇りを取り除いたならば、天上界の光がさんさんとさし込んできて、四次元以降の世界と同通し、守護・指導霊とも話ができるようになる」ということを説いています。これは理論的にはそのとおりですが、この実際のあり方は、実に二千年の昔にイスラエルの地でイエス・キリストがすでに教えているとおりなのです。(中略)
では、心を清くするためには、どうすればよいのでしょうか。それは、まず自分の間違った思いを修正していくことではないでしょうか。仏神のよろこばないような思いを持った自分であるならば、それを反省することではないでしょうか。また、間違った行いをしたときには、それを深く詫び、懺悔することではないでしょうか。それが、心清くあるということではないでしょうか。
(121~122ページ)
「心清き者は幸いである。汝らは神を見るであろう」という、このイエスの言葉がすべてである──。
自分が間違った思いを持ったら、それを反省して修正すること。
間違った行いをしたときには、それを深く詫び懺悔すること。
そうやって、心清くあること。
心清くあり続けることができたとき、必ず神さまに会うことができると、大川隆法先生は教えられるんだと思います。
そしてこれは、キリスト教においても、仏教においても、そして幸福の科学においてもまったく正しい、霊的真実であるということなんだとも思います。
でも、あるときだけ心清くあれたとしても、その清き心境を維持し続けるって、本当に難しいですよね。
結局は、日々の努力しかないんだなあと分かった気がして、今日、改めて心新たに、私は思っているのです。
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『幸福の原点』
大川隆法著 |
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