物事って、いいか悪いか、好きかキライか、だよね。そうしないと、判断ってできないじゃない。でも、私のまわりって、キライなことだらけなんだよね。・・・なーんて悩みもってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
いままでに宗教的な本を読んだことのある方は、ずいぶんいるでしょう。そうした本のなかには、善い心・悪い心、善い念い・悪い念い、善い行動・悪い行動──こうしたことが説かれていて、善悪二元的にものごとを考えていく傾向が多かったのではないかと思います。
宗教では、人間について語るときでも、「この人は善い人か悪い人か」「地上を去ったあとは、天国へ行くか地獄へ行くか」というように、すべて二分法的に考えていく傾向があります。特に、霊的なものに強く惹かれるタイプの人は、善悪を感じやすいため、とかく善悪二元論的にものごとを考えてしまうのです。そして、善悪二元的にものごとを考えた場合には、たいてい、〝色分け″の考え方をしていきます。すべての人や事物、環境などに関して、善か悪か、どちらかに色分けをしないと、気がすまなくなってくるのです。
しかし、そのようにものごとを見てしまうと、そこには大きな可能性があったにもかかわらず、それを捨てていくおそれがあるということです。まことに惜しいことです。
たとえば、宇宙人が円盤に乗って、はるかなる星からやって来て、梅雨の時期の地球に着陸したとしましょう。そして、円盤から出た宇宙人が、「この地球という星は、来てはみたが、何だか知らないがザーザーと雨ばかり降っている。実におもしろくない星である。こんな星からは、早く立ち去ってしまいたい」と考えたとしたならば、可能性の広がる余地はそれまでだと思います。地球の可能性に関しても、自分の活動の可能性に関しても、それで終わりです。
しかしながら、地球では、雨が降ることもあるが、もちろん晴れることもあるわけです。そうしたことに気がつくかどうかです。そして、カラッと晴れ上がってみると、「この地球という星も、けっこう住みよいのではないか」と思えることがあるでしょう。
ところが、最初に来た日に雨が降っていたため、「ああ、こんな星はだめだ。こんな所はだめだ」と決めつけたならば、それ以上の可能性はないのです。自分の決めつけで、可能性を放棄してしまうことになり、そして、次なる星をめざしてまた宇宙空間を漂わなければならなくなります。これは非常な徒労です。(中略)
宇宙人のたとえで語りましたが、みなさん自身も、実は同じようなことをしているのです。(中略)
ここにおいて大事なことは、一つには、発想の転回、すなわち新たな発想を持つことです。別な視点がないかどうかを、常に考えてみる必要があります。もう一つは、努力や工夫といわれるものの存在です。ここのところが、きわめて大事なのです。
(72~76ページ)
この世のものごとは、善か悪か、白か黒かというふうに、二元的に分けられるものではない。
そういう発想をしていると、そこにあったはずの大きな可能性を捨てているおそれがある
大事なことは、新たな発想を持ち、別な視点がないかを常に考えること。努力や工夫をしてみること──。
では、具体的には、どうしたらいいのでしょうか。
それが、この最後のところでちょっとだけご紹介した「光明転回の理論」であるわけです。
その詳しい続きは、ぜひ、本書『常勝思考』を手にとってみていただけたらと私は思っているのです。
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『常勝思考』
大川隆法著 |
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実は、このブログを開設して1年半ぶりに、初めてのリニューアルをしてみました。思いどおりの配置で、思い通りの色使いにするというのは、とっても難しいんですね。少々不自由なんですけど、出来合いのテンプレートというのが、とても考え抜いて美しく作っていただいているのを、今回実感しました。
まだ、も少しなんとかしたいところが多々あるんですけど、今日のところは時間切れ。少しずつ改善したいと思っています。