人間はみんな仏性を持ってるって、ほんとなの。生まれながらの悪人って、やっぱり現実にいるんじゃないの? なーんて疑問持ってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(下)』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
「一切の衆生に仏性が宿っている」という思想を唱えるのは非常に素晴らしいことなのですが、逆にこの思想自体は、「自分たちを迫害したり、自分たちの教えを批判したり、『釈迦も極悪の罪人も、何も区別がない』というものの見方しかできない人間でも、我々と一緒なのだ」ということになるわけであり、ここにジレンマが生じたわけです。
これで苦しんだ結果、「一切の衆生は仏性を持っていて、成仏する可能性があるのだけれども、『断善根(だんぜんこん)』といって、善の根っこが断ち切れている者(中略)がいるのではないか。(中略)このような思想によって解決しようとしたのです。(中略)
ただ、私自身の考え方からいえば、やはり、どういう人間でも神仏の子としての性質は持っていると思うのです。小さな子供と会うとニコニコ笑ったり、好きな人と会ったらうれしそうな顔をしたりするということは、どんな人でもあるわけですから、愛や慈悲という仏の性質自体はどなたも持っていると思います。(中略)
あるいは、別の意味においては、悪霊の憑依という場合もあります。悪霊が四体も五体も憑いたような状態では、もはや正常な判断ができません。神や仏のことを考えることはできませんし、「批判するのは当然」という感じで、本人が言っているというより悪霊が言っているような状況もあるわけです。
このように、生まれ落ちてからの思想や信条、教育や職業訓練等を通して、あるいは心の間違いによる悪霊の憑依を通して、正しい教えを信ずる緑がまったくなさそうに見える人もいるのですが、その根本には神仏の子としての本性を持っていると私は考えています。ただ、現象的には仏性が宿っていないかのように振るまう人がいるという事実もあることは、やはり認めなければいけないと思います。
これは、あくまでも「地獄から生まれ変わってきている人間はいない」という立場をとっていることと同じことです。さまざまな宗教では、「天国から生まれてくる人と地獄から生まれてくる人が半々にいる」ぐらいに思っているところが多いようですが、それだけを言うと、どうしても善人悪人の目で見てしまうので、救済という観点からいくと問題があるのです。
赤ん坊や小さな子供は、どの子もみんな可愛らしい顔をしています。将来、大犯罪人になったり、暴力団の組員になるような人でも、赤ちゃんのときからそんな傾向はありません。顔つきが悪いぐらいはあるけれども、やはりそういう凶暴な性格を一歳、二歳、三歳から発揮していくということはないようです。だんだん後に出てくるものです。そのように考えておいたほうがよいだろうと思います。
ですから、「断善根」──善の根っこが切れていると言いたくなることもあるでしょうが、しかし、「彼らにも核の部分に仏性はあるのだ」という優しいまなざしは持っておく必要があると思います。
(195~199ページ)
現象として、仏性が宿っていないかのように振るまう人がいる。
その現実は認めつつも、しかしあくまでも、「地獄から生まれ変わってきている人間はいない」。
どんなに悪人に見えても、「彼らにも核の部分に仏性はあるのだ」──。
一切の衆生を救おうとしておられる仏のまなざしって、なんて優しいんだろうと私は改めて思っているです。
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『悟りの挑戦(下)』
大川隆法著 |
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