ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



お釈迦さまって、他の思想家から形而上学的な論争を挑まれたけど、何も答えられなかったんだって? これが「無記(むき)」だって聞いたことがあるんだけど、なんでなの。哲学的論争はできない方だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(上)』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 マールンキャ・プッタという人が、釈迦に「人間の死後の生命はどうなるのか。生存はどうなるのか」「宇宙は有限か無限か」というような形而上学的な質問をしましたが、それに対して釈迦は答えなかったという話が『箭喩(せんゆ)経』のなかに出ています。これを「無記(むき)」といいます。そして語ったのが、有名な「毒矢の譬え(たとえ)」です。これは知っている方も多いでしょう。
 どこからともなく飛んできた毒矢が身体に当たって、死にそうな人がいました。そこで、矢を抜いて治療しようとしたら、その人が言うのです。
 「待ってくれ。矢を抜かないでくれ。この矢が、誰が射たもので、どの方角から飛んできたもので、いかなる種類の毒を塗っているのか、その説明を聞かないかぎり、治療してもらっては困る」
 そこで、治療しようとした人は、
 「しかし、そのようなことを言っていたら、その間に毒がまわって死んでしまう。いま必要なことは、そういうことではなくて、まず矢を抜いて、その毒がまわらないようにきつく縛り、血を抜いて、治療することである。矢は誰が射たか、どの方角から飛んできたか、矢は何の材質でできているか、何のためにその人を射たのか、そんなことを考えるのはそれから後でもよいだろう。まず治療することが大事だ」
 と、応えるわけです。
 すなわち、「人生の向上に少しも役立たない形而上学的な議論、この世的な具体性のない抽象的な議論ばかり重ねても、人はよくなることも救われることもないのだ。そういう議論に立ち入ることを避けて、まず、あなた方は自分の人生を正しくせよ。まず、正しき心の探究をしなさい。八正道を究めなさい。そうすれば、あなた方は、その苦しみから逃れて幸福な道に入れるのだ。まず、それを実践しなさい。『霊魂が死後どうなるか』とか、『宇宙は有限か無限か』とか、そんな話をしたところで何になるか」ということを言っているのです。
 これが「毒矢の誓え」で語った話なのですが、弟子たちはその真意がわからないため、「では、死後の世界はないのだ。宇宙はないのだ。この世だけなのだ。この世だけきちんと生きればよいのだ」という説明になっていくのです。(中略)
 これは対機説法です。
 ただ、その人に合わせた話をしているのに、すぐ一般化するワンパターン人間がいます。一般化するときに、知力が弱いと杓子定規になっていくわけです。
(156~159ページ)

問いに対して、あえて答えないことも、その人に対する愛だってことも、実はある。

そして、その説法を単純に一般化してしまうと、仏の真意は間違って伝えられていく。

仏の教えは、対機説法であって、ある時、ある場所で、ある人に対して、その機根に合わせて縦横無尽に説かれるもの。

だからこそ、法を受けとめ、これを後世に伝えていく弟子たちにも十分な知恵が必要であると私は思っているのです。
 

『悟りの挑戦(上)』

 大川隆法著

 

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