~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

突然の別れ

2014-01-16 22:29:15 | 日記
昨日から始まった、養護施設を舞台としたドラマを観て、気分が悪く

なりました。

私は養護施設の仕事もしているので、あまりに出鱈目な設定に

これでは、施設の子ども達が偏見の目で見られてしまう…

きっと、このドラマを熱血漢溢れる、S先生が観たら激怒する

だろうなと思っていました。

今日、養護施設の先生から電話がありS先生が突然亡くなったと

言うのです。

S先生とは新年明けにもお会いしていたので、他にも同じ名前の

先生がいたかしらと、思ったほどでした。

S先生はプロレスラーのように大きくて、子ども達の入学式に

背広など着た日には、ド迫力の怖いお兄さん系に見えるのです。

自分も施設出身だから、施設の子供の気持ちは俺が

一番分かると、言っていただけあって、子ども達からすごく

慕われていました。

ソフトの監督もされていたので、夏休みは朝から夕方まで

子ども達の指導に明け暮れ、傍で見ていても倒れないかしら

と、思ったほどです。

31歳という若さだから出来るのかと思っていましたが、

大変な病を抱えていたそうです。

急きょ行われたお別れの会で、S先生の養父の「4年生の

時に、施設から自分のところに来た時は、九九も2の段と

5の段しか出来なかったけれど、好きな野球で高校も行き

大学からも声がかかった。卒業する時、施設の先生に

なりたいと、また大学に行きました。

勉強は嫌いだったけれど、好きな事をして大学に2つも

行きました。

みんなも勉強が出来なくてもいい。好きなことをやって

いけば、好きな事が助けてくれる…」というお話に心打たれました。

S先生は、いつもいつも子ども達のことを考えていました。

最後のお別れをした時、S先生のあまりにきれいまお顔に

驚きました。

苦しかったはずなのに、どこまでも清らかなお顔でした。

S先生の子供達にかけた思いは、きっと一人一人の心に

刻まれたことと思います。

養護施設には、こんな素晴らしい先生がいるのです。

S先生、あまりに早い死に、先生が一番無念でしょう。

でも、先生の愛情を受けた子ども達は、自分の人生に

諦めないで、希望を持って生きていくと思います。

ありがとう、S先生…

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お豆さん

2014-01-15 20:20:11 | 日記
2003年、私が初めて弘前の初女先生のお家に行った時

朝、10時くらいだったと思うのですが、先生は朝食を用意して

下さっていました。

あの丸いおむすびとたっぷりのお味噌汁、おかずも幾品も

あったのですが、今でも心に残っているのは、福豆です。

紫いんげんともいうのでしょうか…

その美味しかったことと、前日講演会から遅く帰った先生が

台所に立って、お豆を煮て下さった…

このことにも、胸が一杯になりました。

あの日から、私にとってお豆料理は思いを伝える一番のものと

なったのです。

お豆は前日から水に浸たりして、下準備をしないといけません。

だから、その時から相手のことを思いながら調理するので、

こちらの思いが届くような気がするのです。

去年の暮れに、父の本を復刻したいというお話がありました。

お正月早々、その方とお会いしたのですが、その時私は

手土産におはぎを作って持って行きました。

10時のお約束だったので、前の日に小豆を煮て、朝5時に

起きてもち米炊き、おはぎを作りました。

朝ごはんを作りながら、おはぎの準備もしたので、いつもより

上手に出来ず、がっかりしたのですが、他に何も用意して

なかったので、おはぎと初女先生の本をお土産にしました。

生前、父が親しくしていた学長先生のお宅でお会い

したので、それぞれにおはぎをお渡ししたのですが、

帰って来て、息子に話すと「お母さん、大学の学長先生に

お母さんのおはぎ食べさせるのかよ」と、呆れられました。

そう言われてみれば、もっと気が効いたものをお土産に

すればよかったと思ったのですが…

初女先生のサイン入りの本とおはぎで、私の感謝の気持ちを

伝えたかったのです。

思った通り、初女先生の本と出来そこないのおはぎは、しっかり

私の思いを届けてくれたようです。

天国の父が「直らしいよ」と、笑っている気がしました。

お豆料理は、私にとってやはり特別なお料理です。

初女先生の黒豆ごはんが上手に出来るようになりたいな~

今日は寒かったので、残っていた小豆でお汁粉を作りました。

お豆さんは、心まで温めてくれます。

ありがとう、お豆さん!
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お米に感謝

2014-01-14 23:03:01 | 日記
今日は寒い朝でした。

お米を研ごうとした時、思わず「冷たい!」って思ったら

あーお米も冷たいだろうなーと、初めてお米のことを思いやりました。

その時、そうか初女先生はいつもこうやって食材に心を寄せて

いるんだと思いました。

先生のお米の洗い方は、実に優しく祈るようです。

きっと、祈りを込めて洗っているのではないでしょうか。

先生の本にはお米を浸す時間は30分と、書いてありますが

給水時間は、気温・水温・米の種類・米の大きさによって

違ってくるのです。

初女先生がお米の水加減を見る時は、話し掛けることが

阻まれるような、緊張感があります。

そして、お猪口でお米の水を減らしたり、増やしたりします。

その量は、毎日のように先生のお側にいるスタッフでさえ

分からないと、言っていました。

イスキアの炊飯器は、何十年前のかしら?と思うほど古い

シンプルなお釜です。

それで、あれだけ美味しいご飯が炊けるのは、やはり作る人の

心が一番なのですね。

先生は、お母さん達がまずやらなければならないことは、

ごはんを美味しく炊くことと、言われています。

そして、ご飯に対する感謝があれば、見方も作り方も

違ってきますと…

明日は、今日よりも、もっと美味しいご飯を炊こうと

思いました。

毎朝、炊き上がったご飯の蓋を開ける時のドキドキが

たまりません。

初女先生と繋がっているなと、思う瞬間でもあります。

そうか、お米に感謝の心なんですね。

有り難うの心が、伝わって美味しいご飯になるんですね。

がんばりま~す!

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生きるって…生きる力って…

2014-01-13 17:33:29 | 日記
今日は成人の日でした。

去年の成人の日は、大雪で息子が「俺たち平成4年生まれって、

高校の卒業式・大学の入学式が東日本大震災でダメだったし、

成人式は大雪で…そういう運命なんだよなー」とぼやいていました。

「人生、いろんな時があるからさ」と言いながら、やっぱり成人式は

こんな穏やかな日がいいなーと、心の片隅で思っていた私です。

眩しい様な新成人の人達を見て、ふと人生って何だろうと、

いうことを思ってしまいました。

 数年前に、知り合いのMさんが、ご主人がアルコール中毒で

苦しい思いをしていると聞き、私は何も出来ないので

祈るような思いで、初女先生の本を送りました。

Mさんの心に初女先生の言葉が深く響いて、先生の本を枕元に

置いて頑張っていました。

そして、長野の山また山の大鹿村での初女先生の講演会に

運転が得意でないMさんが、必死で車を走らせて会いに

行ったのです。

私の主催した三浦海岸の講演会にも来てくれました。

そして、去年の夏には一緒に森のイスキアに行きました。

その間、ご主人の状況は悪くなっていく一方なのに、Mさんは

会う度に元気になって行き、初女先生が誰か分からなかったと

言われるくらいでした。

ご主人が入院中だったので、イスキアに行けたのですが

退院された後も、さらに厳しい状況は続いていたのですが

「信じるということは、待つということなんですね」という

手紙がきました。

そして、今年の年賀状には「見えない、聞こえない、話せない

歩けない、食べられない、呼吸出来ない(経管栄養・気管切開)

という20歳の青年が当施設に来て、私の担当になります。

手の平でコミュニケーションをとります。

初女先生の手の温もりと握手を思い出し、コミュニケーションを

とると、私も受け入れてもらえたようです。

今日までどれだけの困難があったでしょう。

命の重さ、尊さを実感しています。」と書いてありました。

あれ程、大変な状況にいるMさんが深く他者を思いやって

いるのです。

これって何だろう?と思った時に、ある方から聞いたことが

思い出されました。

その方が初女先生に「人生には何度も繰り返して、苦しみが

襲ってくるけれど、それは苦しみの中身や質が変わるという

ことですか」と、質問した時に先生は「いいえ、同じものです。

経験を積むことによって、受けとめ方が変わってくるのです。」

と、答えられたそうです。

Mさんの苦しい状況は、より厳しくなっていますが、

会う度にMさんは、生きいきとした顔になっています。

初女先生の言われている、受けとめ方が全く変わってきたのだと

思います。

苦しみのない人生を私達は、幸せな人生だと思ってしまいますが、

フランクルは「苦悩を正面から引き受けよ」と言ったそうです。

絶望の果てにあってこそ、光が差し込んでくると…

人生とは決して平たんではないけれど、生きているって

いうことは、しんどい時もあるけれど、感謝と感動と希望が

生きる力になると思いました。

去年、大雪の成人式を迎えた息子と、こんな話出来たらなと

思いました。

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一人の熱意が広がる

2014-01-11 23:51:58 | 日記
今、忌野清志郎さんが生きていたらたどうしただろう…

原発事故・憲法改正・特定機密保護法

清志郎さんは天国から「お前ら、何黙っているんだよー、これで

いいのかよー!」と、私たちの態度に激怒し、この国の行くへに

心痛めていることでしょう。

「清志郎さん、私達もいいなんて思ってないよ。未来を担う

子ども達に、顔向けできない選択はしたくないと思っています。

経済さえ良くなればって、他のことには目をつぶり、表面だけ見て

政治が安定してきたなんて言う人もいるけれど、でも、女たちは、

母たちは、平和で自由で安心出来る国で子どもを育てたいと

思っています。

原発や武器や兵器を輸出して、国が豊かになっても、それは

子ども達に語れません。

戦後育った私達は、平和であることが当たり前と思ってました。

それは、9条がこの国の平和を保障してくれていると信じて

いるからです。

原発が日本に入って来る時、大人たちは『原子力の平和利用』

と、言う言葉に「平和ならいいや」と思ってしまったのです。

今、「積極的平和主義」という言葉を出てきました。

清志郎さん、貴方が居たら『お前ら、また平和という言葉に

騙されるのかよ!』と、怒り捲るでしょうね…

私たちもバカではありません。この平和にひどくきな臭い

危険なものを感じています。

そして、黙っていることが、それらすべてを認めてしまうという

社会の仕組みも分かっています。

でも、何をどうしていいのか分からず、子育てしています。

清志郎さん、貴方の怒りが爆発しそうな時に、貴方に伝え

られることがありました。

7歳と1歳の子どものお母さんが、9条をノーベル平和賞に

しようと、動き出したのです。

ノーベル平和賞になったら、改憲派の人達がどんなに

頑張っても、それはNoでしょ!

子どもを守りたい母親の知恵です。

いのちを生みだし、いのちを育む女性は、すごいのよ!

子どもたちにも、清志郎さんにも顔向けできない方向に

この国は進んでいるけれど、一人の母親の熱意が、今

広がって来ているそうです。

清志郎さん、天国からエネルギーを送って下さい!

9条をノーベル平和賞にするために
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絶望の果てに光がある…

2014-01-10 23:04:31 | 日記
あの世田谷事件の被害者の姉、入江さんの本を読んで、

つくづく人間って凄いな!と、思いました。

この戦争もない平和な日本で、突然家族全員が惨殺される…

8歳と6歳の幼い子ども達のいのちまでもが、ずたずたにされる…

これほどの悲惨な体験をした、入江さんが苦しみの中から

自分の生きる意味を見出し、亡くなられた4人のいのちを活かし

前を向いてしっかり歩いているのです。

私は、息子を亡くした後、悲しみ苦しみを抱えていても、

前を向いてしっかり歩いている人に会いたいと、思いました。

入江さんは、まさにそのように生きておられるのです。

人間って凄い!と思いました。

ナチスの強制収容所から生還したフランクルは、悩んで、悩んで

悩み抜くこと。苦しんで、苦しんで苦しみ抜くこと。

「人生からの問い」として与えられた困難を徹底的に

苦しみ抜いた絶望の果てにこそ、一条の希望の光が

届けられてくるという人生の真実を伝え

「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうがあなたに

絶望すことはない」と言っています。

苦しい時に、思い出すフランクルの言葉があります。

『あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か

人生に「イエス」ということのできる日が必ずやってくるから

たとえあなたが人生に「イエス」と言えなくても、

人生のほうからあなたに「イエス」と光を差し込んでくる日が

いつか、必ずやってくるから。』

入江さんは、人生からの「イエス」という光の中を、歩いて

おられるのですね。
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「粗食のきほん」

2014-01-09 18:41:41 | 日記
「粗食のきほん」これは、11月に発売された、初女先生と

幕内さんとの対談集です。

5日の読売新聞の本の紹介に載ったのですが、先生の本で今まで

これほど、深く読み込まれた紹介があっただろうかと、その文章にも

感動してしまいました。

今、米離れが随分言われるようになりましたが、この本を読むと

私達日本人の中にある、他の物にはない米に対する思いが

立ち上がって来る気がしました。

神事には必ず米が供えられるし、米は誕生のお食い初めから

始まり、この世を去る時も米で送られる

それほで、日本人にとってお米・ご飯とはすべての糧となる

食べ物なのです。

初女先生のお米に対する、並々ならぬ思いがどのページからも

伝わってきます。

先生のお米の研ぎ方は(洗い方と先生は言われますが)

両手を合わせ、祈る様にされるのですが、一粒一粒のお米の

命を大切にしているからなのだということが、

よく分かりました。

私はまだまだ形だけを真似ていたように思います。

先生が「ご飯が上手に炊けるようになったら、それは

すべてに通じる」と言われたことの深さがやっと

分かりました。

「おむすびはご飯の炊き方が、一番なの」と、先生が念を押す

ように言われていたこと…

そして、1~2回教わって、人に教えてしまう人もいて

おむすびが、違って伝わっていることに心痛めて

いたことが、よくわかりました。

今朝、艶やかなご飯がふっくらと炊きあがったのを

見た時、自然に感謝の気持ちが湧きあがってきました。

新聞の書評には(立教大・前田英樹氏)

「初女さんの素直な話芸で謙虚に語られていて、日常にある

自然への柔らかい透視力に感嘆させられる。

彼女の話しぶりは、この上もなく平明だが、思想を語る

どんな言葉も、これ以上に大切なことを表現するのは、

難しいだろう。」と書いてありました。

 この本に記して下さった初女先生のお言葉

  「おいしいと  感じることで

    生きる力が出てきます」 





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希望は必ずある…

2014-01-07 18:36:44 | 日記
新聞を見ていたら、満開の桜が写っていました。

この寒いのに桜なんて、どこかしら?と記事をよんでみると、なんと

ベルリンでした。

暖冬が続くベルリンで、日本から贈られた桜が咲き、人々が

季節外れのお花見を楽しんでいるというのです。

そして、桜の咲いている場所は、かつてベルリンの壁によって

東西を隔てていた「ボルンホルン検問所」の跡地だというのです。

ベルリンの壁が崩壊後、日本からの寄付で90000本の桜が

壁の跡地に植えつけられたそうです。

私は、そのことを初めて知りました。

ベルリンの壁によって、どれ程の血と涙が流されたことでしょう

そして、その壁の跡地に桜が咲いている…

そんなこと、誰が想像できたでしょうか

この記事を読んだ時、やなさたかしさんではありませんが

どんな状況にあっても、希望は持ち続けたい!と思いました。

私達が思い描ける事なんて、自分の範疇の中でしかないのです。

でも、現実は想像をはるかに超えたことが起きるのです。

ベルリンの壁の跡地に咲く桜を知り

針の穴ほどの光でも、希望を持って生きていきたいと

思いました。
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ここにもあった「今を生きる」

2014-01-06 22:32:05 | 日記
『何の為に生れて なにをして生きるのか

 答えられないなんて そんなのは嫌だ

 今を生きることで 熱いこころ燃える

 だから君は行くんだ 微笑んで…   』

この哲学的な詩を目にした時、何人の大人が答えられるだろう

これが、アンパンマンの歌だと…

やなせさんは、早くに父親を亡くし、京大に通っていた自慢の弟を

特攻隊で亡くし、やなせさん自身も2度も戦争へ行き、戦地で

飢えに苦しみ、それがアンパンマンへと繋がったそうです。

苦しみや悲しみ絶望を知り尽くしたと言っていいような

やなせさんの人生…

でも、そのやなせさんが生きることが素晴らしいと高らかに

歌っているのです。

『そうだ!嬉しいんだ 生きるよろこび

    たとえ胸の傷が痛んでも』

やなせさんの言っている夢は、パティシエになるとか、歌手に

なるとか、そういうのではなく世界が平和になること

飢えた人がいなくなること、この世界から不幸が少しでも

なくなることだそうです。

アンパンマンの歌詞の中に「今を生きる」という言葉が

あったことに初めて気づきました。

アンパンマンの歌が問いかけている、何の為に生れて

何をして生きるのか、そのことに答えられないなんて

そんなのは嫌だとは、それでは生きている意味がないと

やなせさんは言っているのではないでしょうか

アンパンマンに、やなせさんの深い人生のメッセージが

込められていることを、改めて知りました。

アンパンマンの歌は、被災地の人々を励まし支えたそうです。

苦しみの隣にも喜びがあること

絶望の向こうに希望があることを知っていた、やなせさんが

作った歌ですから…

子ども達は、アンパンマンを歌いながら、生きることの意味を

心のどこかに植えつけているのかもしれません。

体は病気に蝕まれていても、いつも笑顔だったやなせさん

あなたは、アンパンマンそのものでした。

有り難う、やなせたかしさん。ありがとう アンパンマン!

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喪失と再生への道程

2014-01-05 22:22:22 | 日記
年末に講演会に来て下さった方々に、初女先生との記念写真を送り

ほっとし、お正月は忙しくて今まで読めなかった本を読むぞ!と

はりきっていたのですが、元旦にダウンしたり色々あり、

結局読み終えたのは、「この悲しみを知ることができるなら」一冊

だけでした。

この本は、今なお未解決の世田谷一家殺人事件の被害者の

お姉さんが書かれたものです。

新年早々読むには、あまりにも辛い本ではありましたが、

昨日まであった現実が引き裂かれるという、凄まじい喪失が

私の体験とあまりに重なるのです。

「朝カーテンを開ける時が一日で一番寂しい瞬間です。

目覚めると四人のいない世界が待っています」

という箇所を読んだ時、私も同じような朝を迎えていたな

眠っている間だけが忘れられ、目覚めた時から絶望の時間が

始まったのです。

この本には、「世田谷事件・喪失と再生の物語」とい副題が

ついています。

深い深い喪失からの再生語られているのです。

その再生の道程があまりにも自分に重なるので、驚いてしまい

ました。

著者の入江さんが立ち直るきっかけとなったのが、絵本の

読み聞かせでした。

私も、ボランティアで小学校で読み聞かせをしていたのですが

息子を亡くし、学校に行くことも出来なくなっていたのですが

仲間の人に声を掛けられ、再び子ども達の前で絵本が

読めた時に、まだ自分にはこういうことをする力が残って

いたんだと初めて気づき、そこから少しづつ動けるように

なったのです。

入江さんの本の中にも「ヨブ記」が出てきますが、私は聖書の

中で、「ヨブ記」は嫌いでした。

でも、深い喪失の中で思い出したのは「ヨブ記」だったのです。

入江さんは柳田邦男さんに会われていますが、私は柳田先生の

本で、初女先生を知り柳田先生の講演会にも行き、お話させて

頂き、後日先生から息子さんのご霊前にとご著書が届きました。

そして、この本の最後には「夜と霧」を書いた、アウシュビシュ

から生還した精神医学者のフランクルが出て来るのです。

私はフランクルによって、人生の意味を180度転回させられた程

フランクルとの出会いは大きかったのです。

入江さんは、「喪失を経て再び情熱を抱いて人生に向き合える

ようになったのは、何かのおかげとしか言えない…

何より大きかったのは、人との出会いだろう。

たくさんの人に支えられて、ここまでくることができた。」

と、書いていますが、私もまさにその通りです。

この本に出会い、深い喪失から再生へと向かう道は

きっと通るべき道があるのではないかと思えました。

フランクルの『どんな状況でも人生にイエスということが

できるのです。…人間はあらゆることにもかかわらず

困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の

苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下に

あったとしても…人生にイエスという事ができるのです。』

この力強い言葉に心から感動すると書いてありました。

私もフランクルにどれほど励まされたことか…

喪失~再生

どんなに深い喪失を体験しても、人は再生できるということ…

入江さんの「苦しみからの贈り物」を私も頂いた気が

しました。



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