~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

真の幸福は〜初女さん

2024-05-27 23:41:45 | 日記
近所を歩いていたら、
楽しげな子どもの声が
聞こえてきて、見ると新築の
庭のビニールプールで
子ども達が遊んでいるのです。 
あ〜幸せの風景だな〜と
思わず呟いてしまいました。
我が家も越して来た頃は
猫の額程の庭にプールを
出して子ども達が遊んで
いました。
あの頃は、こんな幸せが
ずっと続くような気がして
ました。
でも私達は留まっていなくて
刻々変わる今を生きて
いるんですよね。
そのことが、分かっている
ようでわかってないのです。
辛い時は、その苦しみが
延々と続く気がして…
私は辛い苦しい時に、
初女さんの言葉に支えられて
きました。
初女さんは、深い悲しみや
苦しみを知っているので、
初女さんの体験から生まれた
言葉が私に寄り添い希望を
与えてくれるのです。
絵に描いたような幸せを
求めていた私に天は色々な
体験をさせてくれます。
魂を磨く為に生れてきたの
ですから、全てが天の計らい
でしょうか…

すんなり、するすると
幸福になることはなくて
生きていれば、何度でも
繰り返し苦しみがやって
きます。
けれども苦しみは決して
苦しみだけに終わることなく
いつか喜びに変わります。
苦しみなくして刷新は
はかれません。
真の幸福は、苦しみの中に
あってこそ実感できるもの
です。
      佐藤初女
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初女さんを感じるとき

2024-05-23 23:52:44 | 日記
母が旅立ち、わさわさと
時間だけが、早足で過ぎて
行くようです。
毎日のように手にとっていた
初女さんの『いのちをむすぶ』
を久し振りに開いてみると
心が静まり落ち着いて
来るのを感じます。
初女さんの写真を見て、
初女さんの言葉に触れて
いるだけで、初女さんの愛に
包まれている感じがするの
です。
そう、愛と愛情は違うって
思えるのです。
愛情はある意味、感情であり
我が入るけれど、愛は
それを凌駕していると、
私は思うのです。
初女さんのあの圧倒的な
母性は愛そのものだったと…
初女さんの前に行くと、
言葉も交わさず泣き崩れる
人があんなにいたのは、
初女さんの愛に包まれた
からなのでしょう。
母がいなくなり、初女さんの
本を見て初女さんの愛を
感じる…
なんて豊かな時間なんだろう
 
 天国は、はるか彼方に
 あるものではなく
 今ここに始まって
 いるように思えて
 なりません。
 私にとっては、苦しみが
 あっても『今、ここ』が
 天国です。
        佐藤初女
 
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自分は自分の主人公

2024-05-19 23:58:04 | 日記
母を見送り、やはり少し
気が抜けたような状態に
なっていました。
魂は永遠であると信じているので、初女さんが言われていた
ように、死は姿の別れで
あって心の別れではないと
思えるのです。
先日読んだ本に、教育者だった
東井義雄(とおいよしお)さんの言葉がありました。
『人間は五千通りの可能性を
持って生まれてくる。
死刑囚になる可能性も泥棒に
なる可能性もある。
その五千通りの可能性から、
どんな自分をとり出して
いくか。
「世界でただ一人の私を
どんな自分に仕上げて
いくか。
その責任者が私であり、
皆さん一人ひとりです。」
「自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分を
創っていく責任者」』
と、書いてありました。
運命が自分をつくっていく
という錯覚に陥る時が
あったりしますが、どんな
運命であろうとも、その中の
自分を創って行くのは、
自分しかいないのですから…
どんな自分を作るか、それを
しっかり持ってないと、
情報の渦の中で、根なし草
となって振り回されてしまい
ます。
どんな自分に仕上げていくか…
初女さんは、人は最期の
一息の時まで、成長出来ると
言われてました。
何となく、ぼんやり生きて
いてはいけないってこと
ですね。
最期がいつ来るのか、誰も
わからないのですから…
私は私を生きる
その私を私が創る

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母の日に思う〜母なる地球

2024-05-13 07:39:45 | 日記
昨日は母の日でした。
野球中継では、選手がピンクの
バットを持ち、審判員もピンクの
ユニホームを着ていました。
私は思わず、これって何の意味が
あるの?と言ってしまいました。
母の日は、母を思い感謝する日
です。
でも、決して忘れてはいけない
母がいます。
それは地球です。
私達は母なる地球に抱かれて、
育まれ生きているのです。
その地球が瀕死の状態で、
今や待ったなしのところまで
来ていることは誰もが気がついて
いる筈です。
母なる地球は、何度も人間に
警告し続けています。
この1年の海水温の上昇は
凄まじいものだそうです。
もう、温暖化の時代は終わり、
沸騰化の時代になったと国連の
グテーレス事務総長も警告して
います。
日本では、東日本大震災が起きた
時に、私達は立ち止まりこの意味
することを考え、これからの
進むべき道を模索した筈です。
でも、復旧復興、頑張ろう日本
を掛け声に、来た道を引き返す
ことに必死になりました。
世界各国で自然災害が起こり、
ついにコロナパンデミックにより
世界中が止められたのです。
それでも人間は懲りずに、さらなる
戦争を始めたのです。
縄文の時から、和の精神が刻まれて
いる私達日本人は、戦後戦争を
しない国にしたはずなのに、
今、武器も作れ戦争が出来る国へと、ひたひたと近づいています。
今の地球の状態をみれば、
戦争なんかしている時ではなく、
経済の豊かさが幸せをもたらす
ことがないことにいい加減
気がつかなければなりません。
我が母を思うように、母なる地球に
一人ひとりが思いを寄せれば
必ず地球は良くなるはずです。
私達人類は地球に愛され、宇宙に
愛されているのですから…
東日本大震災の直後にアイヌの
宇梶静江さんが書かれた詩
「大地よ」をあなたの魂に刻んで
下さい。
    
   大地よ
  重たかっか
   痛かったか

  あなたについて
 もっと深く気づいて
   敬って

  その重さや
   痛みを
  知る術を
 持つべきであった

  多くの民が
   あなたの
 重さや痛みとともに波に消えて
   そして
  大地にかえっていった

 その痛みに
 今 私たち
残された多くの民が
 しっかりと気づき
 畏敬の念をもって
   手をあわす
        宇梶静江
   

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お母さん有難う

2024-05-12 11:35:19 | 日記
母の日を待たずに、9日に
母が旅立ちました。
見事な最期でした。
私と姉が納得が行くまでの時間を
与えてくれ、荒い呼吸になって
からも7時間頑張り、最期は
赤ちゃんが泣いてる様な呼吸音に
なり、眠るように往きました。
いのち一杯生ききる姿を見せて
くれました。
私は「今を生きる」と言って
きましたが、この今とは
線ではなく、点
時間ではなく、瞬間なんだと
母に教えられた気がします。
不思議なことに、浄化されて
いくのか、顔にあったイボの様な
ホクロもいつの間にか取れて
顔のシワもなくなり、
色白のべっぴんさんになって
あちらの世界にいきました。
母が亡くなったのに、とても
穏やかな気持ちです。
親は最期の姿を子どもに見せて
子育てを完了するのでしょうか…
亡くなる時は、親しい人が迎えに
来ると聞いたことがあります。
父と孫の創に会えて、思い残す
ことなく、喜んで旅立った
気がします。
母の居ない母の日
感謝しかありません。
お母さん、有難う!

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有難うお母さん、有難うフジコさん

2024-05-06 21:54:35 | 日記
4月30日で99歳を迎えた母が
その日を堺に、還ることへの
カウントダウンを始めたようで、
食べることも飲むこともしなく
なり、唯々眠っています。
最期の時を刻んでいる母は
とても穏やかです。
99歳までよく生きてくれたと
感謝しつつ、何かチクッとする
ものを感じ、何だろうこの痛みは?
と思っていたら、田口ランディさんのFacebookに「少し淋しい執着」
と言う言葉がありました。
そうだ、この痛みはこの少し淋しい執着なんだ。
今、母は私の目の前にいます。
この時間が本当に尊いと感じながら
止めることの出来ない現実を
静かに受けとめています。
長生きしてくれた母に感謝しながら、やっぱりもう少しと執着している自分がいます。
人は最期まで耳は聞こえていると
いうので、昨日はフジコ·ヘミングの
演奏を流していました。
フジコさんの音色の深さに言葉を
失い聴き入ってしまいました。
私が、子どもを亡くした時、
どんな音も心に突き刺ささるようで
音楽が全く聴けなくなった時、
フジコさんのピアノだけは聴けたの
です。
フジコさんの音色は、ズタズタに
なった私の心に寄り添って
くれたのです。
母の最期の時に、フジコさんの
ピアノが母と私に寄り添って
くれました。
そのフジコさんも亡くなりました。
私の少し淋しい執着を
フジコさんのピアノは甘美な
執着へとかえてくれました。
今日は母の隣で一夜を過ごします。
もしかしたら、まだよく理解出来ていない〚永遠の今〛の輪郭が今晩
掴めるかもしれない…
お母さん、あなたの子どもに生れて
良かった〜
有難う、お母さん。


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森のイスキアの思い出

2024-05-01 21:13:06 | 日記
今日は冷えたので、夕方にお風呂に
入りました。
明るかったので、電気をつけずに
入ったら、森のイスキアのお風呂を
思い出しました。
初女さんは、イスキアに着くと、
『まず、お風呂に入って』と
言って出迎えてくれました。
イスキアに温泉を引くのは
初女さんの願いだったそうです。
お風呂から見える木々の緑が
美しくて明るいうちに入るのが
好きでした。
朝風呂も入りました。
イスキアにいる時は、初女さんの
側にいたくて朝、台所で音がすると
飛び起きて、エプロンをして
初女さんの処に飛んで行きました。
初女さんは『今日のお山は
どうかしら?』と岩木山を見て
お天気を教えてくれました。
ご飯をよそってくれるのは
初女さんで、みんなお茶碗を
持って初女さんの前に並びました。
まるで、お母さんにご飯を
よそってもらう子どものよう
でした。
初女さんは、お料理の説明など
しないで『先ず食べて下さい』と
言われました。
私たちは、優しく深いお料理の味を
味わいながら食べるので、
とても静かな食事の時間でした。
イスキアのご飯茶碗は、大きかったのに皆おかわりをしてました。
初女さんは、晩年は食が細く
なられたのか隣にいる私に
『これ食べて』と
そっとお皿におかずを入れて
くれました。
夕食後のくつろいだ時間、
初女さんに呼ばれて、初女さんの
お部屋で二人で過ごした時間も
忘れられません。
イスキアのどの時間も、永遠の今
という時間でした。
今日、日が暮れていく中で入った
お風呂に、イスキアの思い出が
立ち上がってきました。
初女さが亡くなった後で訪れた、
イスキアの空っぽのお風呂を
見たとき、物凄く悲しくなり
涙がとまらなくなりました。
あ~5月の連休はイスキアが
オープンしていたな。
もう一度、イスキアのお風呂に
入りたいな~
『まず、お風呂に入って』と
言う初女さんの声をもう一度
聞きたいな~

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