ニュースをつけると、亡くなった上村遼太君の笑顔が
画面一杯に映し出され、何とも言えない気持ちに
なります。
昨日、遼太君の祖父のコメントが出されました。
短い文章の中にある遺族の思いに、胸が一杯に
なりました。
祖父のコメントの最後あった『親として、子供を
亡くした娘の姿を見ることはついらくてたまりません。』
という文章を目にしたとき、私は自分の母の姿が
重なりました。
息子が亡くなった後、母は1時間以上かかる私の家に
毎日通ってきたのです。
主人が「すみません。」と言うと、母は「娘ですから
娘ですから」を繰り返していました。
私は、母が何をしてくれていたかも覚えていない
のですが、孫を失った以上に娘の私がどうなるのかが
心配だったのだと思います。
随分経ってから主人が、「あの時、君を一人にしたら
死んでしまうかと、思った」と言ってました。
母は、直感的にそれを感じ、年老いた体で毎日
通ってきてくれたのだと思います。
その母に、私はいまだに感謝の言葉を伝えて
いませんでした。
遼太君の祖父のコメントに、娘を思う親の思いに
気づかされました。
遼太君の笑顔を思い浮かべるとき、悲しみが
悲しみのまま終わらず、光になっていくと、私には
思えるのです。
深い闇の向こうには、輝く光があると信じて
いるから…