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~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

変化する悲しみ

2012-03-30 22:23:34 | 日記
昨日のブログを読んで下さった方から、素敵なメールを頂き

ました。

「ラビットホール」という映画の中で、11年前に息子を亡くした

主人公が言った台詞だそうです。

「この11年間、悲しみはずっと消えない。でも変化するわ…

なんというか、重さが変わるの。のしかかっていた大きな岩が

ポケットの小石に変わっていく。

そして、いつもそばにいる。」

本当に、この言葉の通りです。

私を押しつぶしそうな大岩が、今ポケットの中にころころと

しているのです。

悲しみは無くなることはないけれど、悲しみの重さは確かに

変わっていくのです。

初女先生に、息子の死もまた、与えられたものだと思えるように

なりました。と言った時、「そこまで来るのに、あなたがどれだけ

苦しまれたことか」と言われました。

悲しむことは、立ち直ってないことだと、悲しみを否定していた時は

少しも悲しみは減りませんでした。

でも、悲しみはあっていいんだ。と思えた時、悲しみはかたちを

変えていきました。

そう、今はポケットの小石のようになって、いつも私の傍に

いるのです。

ころころと、いつも…


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大きな大きな「創」

2012-03-29 23:18:17 | 日記
昨日は「書」のワークショップがありました。
臨書だけかと思っていたら、
大きな字を書く時間があり、
先生に山﨑さんも書いて
みたらと言われ、初めて
全紙(畳1畳ぐらい)に
書くことになりました。
何という字を?と思った
時に浮かんできたのは、
やっぱり「創」でした
この字を書くために、
書を始めのですから…
結婚7年目にして、
授かった子どもに私は
「創(つくる)」という
名前をどうしても
つけたかったのです。
未来に向かっていく
名前のような気がして、
お腹にいるときから
性別は分からなかった
けれど、創と呼んでました。
創が亡くなったあと、
大好きだった「創」という
字が書けなくなって
しまったのです。
書こうとすると、涙が出て
書こうとすると悲しみが
押し寄せてきて
息子の名前が書けなく
なってしまったのです。
でも、苦しくても
悲しくてもこの字と
向き合って、書けるように
ならなくちゃと思い、
「書」を習い始めたのです。
息子の名前を書くだけで、
なぜ「書」に行きついた
のかは、今でも
分かりませんが、きっと
これも創が導いて
くれたのかもしれません
初めて書いた作品は、
小さな「創」でした。
そして昨日は、一番大きな「創」
悲しくて書けなかった
創という字が、私にとって
未来に向かう
かけがえのない言葉と
なったのです。
先生に「山崎さん、
もう大きな字が書けるわね」
と言われた時
思わず、「この字を作品に
したいのです。」と言って
ました。
「創、母さんは
もう泣かないで創の名前を
書けるようになったよ
あなたの名前を書くと、
母さんは元気が出るように
なったよ。
いつか、大きな大きな
創を書くね!
創という名前が大好き
だから…」
悲しみは、もしかしたら
乗り越える為にあるの
かもしれない…
そんなふうに思えるように
なりました。


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刻々と…

2012-03-28 22:18:46 | 日記
金星と月と木星が一直線に並んだ翌日、あの感動をもう一度

味わいたくて、夜空を見上げました。

すると、昨日とは違うところに星があり

もう一直線の星空は見られませんでした。

私は「あー、刻々と変わっている…刻々と変わりゆく

時間の中を私たちは生きているのだ!」と、つくづく思いました。

初女先生は、「今日と明日と同じというのは嫌い。

どんなに些細なことでもいいから、今日と明日は違わないとダメ。

だから今の年齢でできることを精一杯やるのです。」と言われて

います。

初女先生は、この刻々と変わっている宇宙を感じているので

しょうか…

日常の生活の中に、宇宙を感じる。

このことは、とても尊いことかもしれません。

いくつになっても、宇宙からの「大丈夫」を感じとれる心で

ありたい…

15年には、金星・月・木星・火星が並ぶそうです。

宇宙からの、大きな大きな「大丈夫」が降りそそぐ日が

巡ってくるのです。

刻々と変わりゆく今を、精一杯生きていれば宇宙からの

メッセージをきっと受け取れるはず!

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宇宙を感じる時

2012-03-26 22:32:08 | 日記
夕飯の支度をしてると、携帯にメールが届きました。

「木星と金星の間に三日月が」と…

外に飛び出して夜空を見上げると、金星と月と木星が一直線に並んで

いるのです。

そして、真ん中の月が三日月…

私は、長い事外に佇んで、星と月を見ながら宇宙を感じていました。

空から降りそそぐ「大丈夫」のメッセージが、私の心に降りて

くるのを感じていました。

宇宙を感じる時、そこには生も死もなく、すべてが繋がっていると

思えるのです。

人類が宇宙に行くようになり、宇宙は以前よりずっと身近になって

来ていますが、でも私たちは昔の人ほど宇宙を感じて生活しなく

なりました。

震災の後、被災地では子供達が灯りのなくなった街で、

星空の美しさに感動したと言ってました。

下を向き、途方にくれている大人たにくらべ、子供達は空を

見上げていたのです。

きっと、宇宙からの大きな大きな「大丈夫」を子ども達は

受け取っていたのでしょう。

明日は、木星が月に最接近するそうです。

宇宙からの「大丈夫」を全身で感じよう…
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青空のお葬式

2012-03-25 21:38:04 | 日記
昨日の夜、パリに住んでいる友達から電話があり、思わず「どこから?

パリなの?」と言ったら「日本。母が亡くなったの…」という返事が

返ってきました。

去年の秋から、日本に戻りずっと看病していて、1月末にパリに

帰ったばかりでした。

3姉妹の二人の妹さんに診取られて、お母さんは旅立ったようです。

今日、葬儀に出席する為、千葉の八街まで行ってきました。

飽きる程電車に乗って、日本って思ったより広かったんだと感心し

駅に降り立ちました。

びっくりするほど何にもなくて…空が広くて…

やっぱりお葬式は晴れた日がいいなーと、空を見ながら息子の

葬儀の時のどこまでも晴れ渡った青空を思い出していました。

少し早く斎場に着き、待っていると彼女の一人娘のパリジェンヌが

「お母さんに会って」と呼びに来てくれました。

だいぶ落胆しているのかなと、心配しながら行くと彼女の

背中だけが見えていて、何をしてるのかと思ったら、必死で

喪主の言葉を書いていました。

その時初めて、あ!喪主なんだ。気がつき「長女だから喪主

なんだ」と言うと、彼女も「帰ってきたら、喪主になっていたの」

と、とんちんかんな答えが…

何だか、悲しいのに可笑しくなりました。

でも、人生ってちゃんと辻褄が合うようになっているんだなと、

つくづく思いました。

彼女がパリにいて、お母さんと一緒にいられなかった時間が

最後の看病と言うかたちで、与えられたのですから…

必死に喪主の挨拶を書いていた彼女が「挨拶の中に、お母さん

実はタイガースが好きだったって入れたいけど、無理かな」と

残念そうに言ったので、いつも平和を切に願っていたという

お母さんに、ジュリーがコンサートで脱原発の署名をやっている

ことや、9条のことを歌のしている事を伝えたかったなと

思いました。

老人の葬儀は、泣いている人が少ないのですが、今日は違って

いました。

生前のお母さんには会ったことがありませんが、きっと

素晴らしい方だったに違いありません。

出棺の車が出る時、70歳位の方が大きな声で「有難う

おかあさーん!」と叫んだのです。

抜けるような青空に響き渡ったその声に、お母さんの姿が

感じとれるようでした。
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河津桜に励まされて…

2012-03-24 18:28:48 | 日記
昨日は、障害者の人達と三浦に花見に行きました。

あいにくの雨でしたが、車窓から見る河津桜は充分お花見気分を

味あわせてくれました。

三浦海岸駅の駅前の桜は、3月3日に初女先生の講演会の会場下見

に来た時は、かたい蕾でしたが昨日は満開で、雨に打たれながら

しっかりと花を咲かせていました。

講演会の会場を決めるだけでも、色々ありましたが、満開の桜を

見たら、ハードルはあっても乗り越えていけるよ、大丈夫!と、

桜に励まされているような気がしました。

桜は花が散ると、もう来年の為の準備をするそうです。

日本人にとって、お米と桜は特別な何かがあるなーと思いました。

お米も桜も心に働きかけ支えてくれるものなんですね。

テレビで被災地で津波到達地点に、桜を植えている人のことを

放映してました。

その人は、津波到達地点を記すものが石碑であったら、長い年月の内

に草に埋もれ忘れられてしまうかもしれないけれど、桜なら毎年皆が

この花を見ながら思い出してくれるだろうと、言ってました。

桜は日本人にとって心の花なのかもしれません。

雨に打たれる桜に、私も勇気をもらいました。

がんばるぞ!って、小さな声で桜に向かって言っていました。
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奇跡って…

2012-03-23 18:33:01 | 日記
朝の連続ドラマ「カーネーション」の主人公の台詞が、今も心に

残っています。

「歳をとると言う事は、奇跡をみせることが出来る」

「末期癌のあんたが笑っているだけで、ごっつい奇跡が見せられる」と

言う二つの台詞が、心に響きました。

奇跡とは、普通では考えられない不思議なことや、何か神秘的な

出来ごとを言うと思ってました。

だから、奇跡なんて起こるはずがないと思ったり、どうか奇跡が

起こって欲しいと思ったり…

どちらにしても、奇跡はどこか他力によるものと思って

いたからです。

高齢の方が、今日一日を生きている、そのことも奇跡と

言えることなのかもしれません。

息子を亡くし、ずっと笑うことを忘れていた私が、

イスキアで心からの頬笑みを取り戻せたのも、奇跡だったん

ですね。

こうやって考えると、私たちは自分で気がつかない内に

小さな奇跡を起こしているのです。

当たり前と思っていることも、もしかしたら奇跡かも

しれない…

そう思うと、何だか「ありがとう」が、ふつふつと心の底

から湧いてくるようです。

小さな奇跡が、その人の小さなきらめきになって、やがては

光になるのでしょうか…

奇跡は自分の中にあったんですね…



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選手宣誓

2012-03-21 21:33:22 | 日記
今日、甲子園でセンバツが開幕しました。

何となくついていたテレビが、風邪気味のボーっとした頭に衝撃を

与えてくれました。

それは、石巻工業高校の主将の選手宣誓と東京音楽学校の女生徒

の君が代の独唱でした。

選手宣誓のくじを、石巻の学校が引き当てた時から、何か大いなる

力が働いていたような気さえします。

石巻の生徒の宣誓「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れる

ことは苦しくつらいことです。」という言葉が私の心に

飛び込んで来ました。

これは体験しないと出て来ない言葉です。

答えが出ないと分かっていても、人は「なぜ」を繰り返し

一層深い悲しみに沈んでいくものです。

でも、彼ら悲しみや苦しみの向こうにある希望を見据えていました。

主将は「しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることが

できれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。」

と、言葉を紡ぎ

そして、「我々、高校球児が出来ること、それは全力で戦い抜き

最後まであきらめないことです。今、野球が出来ることに感謝して

全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。」という

言葉で締めくくったのです。

答えの出ない事は、答えを求めるのでなく、事実として認め

自分達に出来ることを土台として、彼らは立ち上がっていたのです。

あれだけ大きな犠牲をだした私たちは、本当に大切なことに気づき

変わらなければと思った筈が、時間と共にどこかあの時の

気づきが曖昧になって来ている時に、

高校生のこのみずみずしい言葉が…

姿勢を正された気がします。

そして、女子高生の歌う「君が代」は祈りのように

響き渡ったのです。

本当に、心が洗われるようなセンバツ開会式でした。

若い人達は、しっかりと歩きだしていました。

希望に向かって…
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初女先生の祈りと行動

2012-03-20 17:54:48 | 日記
春の声を聞いたと思ったら、油断をしたのか、たちまち風邪を

ひいてしまいました。

この冬は一度も風邪をひかなかったと自負していたのに…

初女先生は、滅多に風邪をひかないの。と言っていただけあって

どんなに寒くてもスカートですが、風邪で寝込んだなどと

殆んど聞いたことがありません。

4月に長野で先生の講演会があるというので、長野の知り合い二人に

知らせたのですが、二人ともから返ってきた答えが、「そこは

交通の便が悪く、東京へ行く方が近い」でした。

原田芳雄最後の映画の舞台となった、大鹿村です。

いったい青森からどれくらいかかるのでしょう…

私は「先生、90歳だよ。もうそんなに無理しないで」と呟いて

しまいました。

初女先生は、体が大変だからとか自分の理由では断らないし、

大変な処からだからこそ、自分が行かなければと思われる方です。

私たちは、先生が弘前にいて下さるだけで、充分だから

どうか無理しないでほしいと、いつも思っているのですが…

先生の言葉を超えた行動に、私たちは祈ることしか

できません。

先生の行動に、心響いた人達が自分たちの行動を始める

それが、初女先生の思いに応えることであり、先生が望まれる

ことなのかもしれない…

  「いのちとは生きること

     人の役に立つように生きることです」

という、初女先生の声が聞こえて来るようです。
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ふきみそ

2012-03-19 22:54:24 | 日記
先々週、障害者の人達と三浦の河津桜を見に行きましたが

硬い蕾に、遅き春を感じました。

北国の人の春を待つ気持ちが、ほんの少し分かりました。

春を待っていたら、主人がふきのとうをもらってきました。

ふきのとうの天ぷらが大好きなんですが、ガイアシンフォニーの

映画の中での初女先生の言葉が思い出され、「ふきみそ」を作る

ことにしました。

初女先生のところの一番最初の春の味は、ふきみそから始まる

そうですから…

私の知っているふきみそは、ふきのとうを湯がいてから炒めるの

ですが、初女先生は湯がかず最初から炒めるようで、水気が

あると味をそこねるので、余分な水分はすべてとるように

心がけると書いてありました。

みそと調味料を入れた後に、とき卵を入れ焦がさず、ほろほろに

なるまで混ぜるとありました。

私は、ふきみそに卵を入れるなんて初めて聞いたので、

どんな味になるか想像もつきませんでしたが、みそが

何ともまろやかに、優しい味になりました。

初女先生のお料理の優しい味の「ふきみそ」ができ、

心待ちにしている春を味わいました。

ふきのとう8つで作ったふきみそは、ほんのちょっぴり

でしたが、春をみんなで分かち合ったようで

嬉しくなりました。

初女先生は、「おいしく食べて、そのことが心に深く残る。

そのような料理を作りたい…

丁寧に作ったものを人にお出しして「おいしい」と言われると

これほどうれしいことはありません。

料理が大好きになりますよ。」と言われています。

春一番のふきのとうに感謝!
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