少し乱暴な言い方を
すると今、世界では調和を
求る人と「ファースト」に
熱狂する人とに分かれて
いるような気がします。
「ファースト」は、他を
排除するようで、私は
どうしても理解出来ず、
なぜ、あんなに熱狂する
のかが分かりません。
言い知れぬ怖さを感じて
います。
地球ファーストなら
賛成だけど…
友人のFacebookに
10年前の田中泯さんの
言葉が載っていました。
今こそ、この泯さんの
言葉を分かち合いたい!
と思いました。
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「次代への伝言...戦後70年に~負けからのスタート~」田中 泯
戦争に負けたからなのか、大人も子どもも、勝ち負けとか優位に立つとかっていうことを日常の中で意識していたように思う。
誰が1等賞を取った、とかね。僕は苦手でした。オリンピックでも日本が勝たなきゃいけないのは 何でだろうと思っていましたね。
こういう意識がエスカレートすると、常に強い方にいなきゃいけない国になっちゃうと思う。
そういう考えが根底にあるから差別や貧困、ハラスメントはなくならないんだと思います。
なぜ負けちゃいけないんだろうか、と僕は言いたい。負けたり謝ったりした方が利益になるかもしれないって思うんですね。
国同士の付き合いでも、「向こうはまだ認めていないから」「向こうもやっているから」って発想になる。かっこ悪くて見てられないですよ。
たとえ相手が認めず、償いがなくても、やるべきことはやるのが日本人。日本は そういう美しい国だと思うんですね。
例えば原発の問題にしても、人の手に余るものなのに、なぜ動かすのか。
日本は世界に先駆けて、「持ちません」と宣言すべき。それが真の勇気だし、真の優位。負けた経験と感性っていうのは何者にも代え難いし、全てのスタートラインになる。
でも日本は終戦をスタートラインにしなかったんですね。豊かにするとか、もう一度勝つとか、そっちばかりを目指した。
終戦後も世界では戦争で人が死に続けている。これを考えずに戦後70年なんて語れないと思う。
国益や人道って言葉を使って戦いの理由にしている。訳が分からないです。
集団的自衛権の議論も「侵略されるかもしれない」という発想から。
要するに最初から人間を信頼してないんです。
家族、絆、自分探しとか、言葉だけが氾濫して、国家として「人間とは」という思想を持っていない。相手(の国)と話し合う機会も少ない。
人間の最低条件は考えることです。経済とか国益とか目先のことじゃなく、人類の歴史に立って考えることをすれば、おのずとやることは分かってくるはずなのに。
やり方が野蛮ですね。
僕らは子どものころ、「人は平等だと思え」と教わりました。戦後教育ですよ。でも国が今やっていることは違う。私たちが今それを変えていかない限り未来はないです。
子供たちに未来を託すなんて、ずうずうしすぎます。
2015年
山梨日日新聞より
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