今日で10月も終わりです。
明日から11月。カレンダーも後2枚になりました。
何という時の過行く速さでしょう…
秋が一段と深まって来ました。
森のイスキアが忍ばれます。
弘前のナナカマドの赤い実の街路樹が懐かしいです。
岩木山には、初雪が降ったでしょうか…
森のイスキアに行きたくなりました。
平安がある場所だからでしょうか…
テレビから、恐ろしい事件が報道されています。
この犯人の中学時代の写真が映し出されていました。
気の弱そうな、どこにでもいるような男の子です。
なぜ…どうして…
この人は、ちゃんとご飯を食べていたのだろうか
温かいご飯を食べていたら、こんなことは
起こらないはずです。
初女さんのおむすびで自殺を思い留まった
青年がいます。
食はいのちを心を支えます。
『食はいのち。食材もまたいのち。
食は生活の基本です。
心が苦しみで詰まっている人は
なかなか食べることが出来ません。
それでも一口に、ふたくち食べ進み
”おいしい”と感じたとき、生きる力が
湧いてきます。
おなかが満たされると、心の扉が開くのです。
自然に感謝の気持ちも湧いてきて
人になにかしてさしあげたくなってきます。
食をおろそかにすると生活が乱れ
すべてのいのちに鈍感になります。
食を大切にする人は、人も大切にします。
佐藤 初女 』
昨日、来てくれた息子の同級生の女の子から
「たくさんのことに悩んだり、嫌なことも
ありますが、山ちゃんだったらどんな大人に
なっていたかなと、ふと思います。」という
メールをもらい嬉しくなりました。
お友達の心の中で、息子は生きているんだな~と
思えて…
今日は台風が過ぎ、抜ける様な青空でした。
空を見上げるだけで嬉しさがこみ上げて
来るような、真っ青な空
この空の下で、私は生きているんだと思うと
それだけで、幸せって思えました。
幸せって、条件じゃないから「あ~幸せって!」
思えたら、その瞬間に幸せになってしまいます。
でも、私達っていつの間にか自分で勝手に
幸せの条件を作ってしまっていて
その条件とかけ離れているから、幸せじゃない
って決めつけてしまうんですよね。
夕方、家に帰って来たら洗濯物が全部乾いていて
わ~幸せって思いました。
生きているっていうことは、こういう小さな幸せに
結構支えられているんじゃないかな~
中学の時の好きだった八木重吉の詩に
歩き始めた子どもは歩くだけでしあわせ…
という詩がありました。
あの頃は暗唱出来ていたのに、すっかり忘れて
しまいました。
八木重吉は、ミシンを習い始めた娘は
ミシンを踏むだけでしあわせ…
こういう小さな幸せを忘れがちな大人たち
人を幸せにしてくれるのは、これら小さな
小さな幸せ…って詩にしていました。
本当にそうだと思います。
「今、幸せでなくて未来の幸せなんてないよ」
と、言っていた人がいますが、きっと
こういうことに幸せって思える心を持っていれば
幸せは今ここにあるってことなのかも…
明日も小さな幸せ感じよう
息子が幼稚園に入る前に知り合ったTさんが
昨夜お花を持って来てくれました。
16年間毎年命日に訪れてくれています。
食事をしながら、「私たち団地のプールで
出会ったんだよね。
一日中子どもと遊んでいた、あの頃が人生の中でも
特別な時間だったよね。」と話していて、
心がふわっと温かくなった気がしました。
私たちが子育てしていた頃は、子どもが
小さいうちは専業主婦の方が多かったのです。
子どもと本当によく遊びました。
15分で行けるところを、あちこち寄り道して
1時間もかけて行ったり…
でも、そんな時間が無駄だなんて全く
思わなかったし
公園で子どもが遊んでいるのを見ているだけで
幸せでした。
子どもは3歳までに親に一生分の幸せをくれると
言うけれど、うちの子は4歳になっても
5歳になっても私を幸せにしてくれると
言ってました。
思い出すだけで、豊かなあの時間が蘇ってきます。
子どもは小さい時は、何よりもお母さんを必要と
しています。
でも今、その時期にお母さんが働く時代になって
きているようです。
働くことを否定するわけじゃないけれど
子どもが小さい時は、お母さんは働かなくても
大丈夫だよという社会って望めないのかな…
今振り返っても、子どもが作った泥団子や草や花の
お料理を「美味しい、美味しい」と言って
食べる真似をした、あの時間がどんなに尊い
時間だったか…
今は大人も子供もみんな忙しそうです。
初女さんは、忙しいという言葉を
使いませんでした。
忙しいという字は、心を亡ぼすと書くからと
言われて、物凄いスケジュールをこなしている時も
「今混雑しているの」と、言っていました。
社会全体が、こんなに忙しくなって、心を忘れて
みんなどこへ行こうとしているのでしょう…
心を忘れて、子どもは育てられません。
今こそ、初女さんの丁寧な生き方が大切になって
来ている思います。
初女さんのお料理を作ると、初女さんのおむすびを
結ぶと、初女さんの丁寧な生き方に触れることが
出来る様な気がします。
本当の豊かさって何?
息子の命日が過ぎて行こうとしています。
こんなに経つのに同級生が来てくれました。
半休を取って、東京から来てくれたお友達も…
16年間毎年お花を送って下さる方
毎年、仕事が終わってから飛んできてくれる友人
命日は感謝の日です。
支えられていることを、こんなにまで感じる日は
他にないかもしれません。
創(つくる)が亡くなった時、今までの人生で
一番悲しかった。でも、同時にこんなに沢山の人に
支えられていることを感じたことはありません
でした。
あの時、悲しみに飲み込まれず、
何とか踏ん張れたのは、支えられていることを
実感していたからかもしれません。
初女さんの言葉にも支えられています。
『大切な人の死は悲しいことですが
悲しみにおぼれてはいけないと思います。
人の死は姿の別れであって、
心の別れではありません。
亡くなった人が生前望んだように
生きていくことが
いちばんの供養であり、自分の慰めにも
なります。
かけがえのないものをなくされた方には、
いつか大きなものが与えられますよ。
佐藤 初女 』
今日、玄関を出た時にふっと黄色い蝶々に
会いたいなと思ったら、いきなり黄色い蝶々が
私の前に飛んできたんです。
私は、蝶々に向かって「創、飛んで来てくれたのね
有難う、ありがとぅ」と言っていました。
明日が、息子の命日なので来てくれたんだと
思います。
今朝まで、こんなに経ったのだから命日を
迎えても大丈夫!と思っていたのに
蝶々を見たら、涙が止まらなくなりました。
初女さんに「こんなに経つのに涙がでる」と
話た時「そうだよ、何年経っても悲しいよ」と
言って下さいました。
悲しみの質は変わるけれど、悲しみは厳然として
私の中にあるのです。
悲しみを抱えている私がいるから、それが私
なのかもしれないって思えるんです。
黄色い蝶々に会いたいと思ったら、次の瞬間
蝶々が目の前に現れる、不思議…
この不思議さがあるから生きていけるのかも
しれません。
初女さんは「不思議は神様の働き」と言って
ました。
今日は、歩いていても電車の中でも涙が
溢れて止まりませんでした。
仕方がない、明日は命日だもの…
初女さん、初女さんが言ってた通り
何年たっても悲しいね…
昨日のブログにコメントを下さった
”おむすびさん”の文章を読んでいて
大切な気づきを頂きました。
初女さんがおむすびについて
『ひとつひとつの工程に心をかける。
それが私の祈りです。
本当にお伝えしたいのは、おむすびの作り方では
なくて「信仰とはなにか」ということなのです。』
と、書いてある文章に出会ってから、私はずっと
初女さんの伝えたかった信仰とは何かを、
考え続けていました。
そうしたら今日、おむすびさんの言葉で、
どっか~んと心に来たのです。
初女さんの信仰とは「愛」だって
初女さんは、「愛」という言葉は使いません
でしたが…
いつだったか、初女さんとタクシーに乗って
いた時に、「初女先生の好きな聖書の言葉は
どれですか」とお聞きした時、
コリント信徒への手紙を言われました。
『愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず
恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み
すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
コリントの信徒への手紙』
初女さんの姿が、この言葉に重なって
くるようです。
初女さんは、言葉ではなく行動で伝えて
くれていました。
コメントを下さった”おむすびさん”が
「愛は行動を伴わねばなりません」という
マザーテレサの言葉を教えて下さいました。
初女さんの生き方、そのものです。
ご自分の時間を一つも持たず、いつも人の為に
働かれていた初女さんは、愛を伝えて
いたんですね。
初女さんの伝えたいと言われていた
「信仰」がやっとわかりました。
初女さんの信仰の深さが、初女さんがいなくなって
初めてわかりました。
初女さんの愛が、母の心なんですね。
日曜日にお会いした、ある方に
「あなたは、初女さんの何を伝えたいの?
おむすびの何を伝えたいの?」と言われて、心に
浮かんだことを言葉にしたのですが、
本当に、今私が話している事が伝えたいこと
なんだろうかと、思ってしまいました。
考えてみると、初女さんは行動の人でした。
そして、その行動には深い愛がありました。
あれは、息子の命日だったでしょうか
「もうすぐ、息子の命日なんです。」と話すと、
黙って聴いていた初女さんが、お店から出た後
長い空港のロビーを、ずっと手を繋いで
歩いてくれたのです。
私は、初女さんに手を引かれ、小さい子供の
ように歩いていました。
初女さんの深い愛に、何か言葉を発したら
涙が止まらなくなりそうで、黙って初女さんの
手をしっかり握りながら歩いていました。
歩きながら私は、これで命日の苦しさを
乗り越えられると思いました。
初女さんは、行動してくださいと、
よく言われてました。
行動という言葉を耳にすると、何か大きなことを
やらなくてはと、思ってしまいますが
初女さんの言っている”行動”は、決してそういう
ことではなかったのです。
私は、辛いことがあると手つないでを歩いた
あの日のことを思い出します。
思い出すだけで支えられ、気持ちが立ち直って
来るのです。
10月27日の命日が近づき、今年も思い出して
います。
初女さんはいないけれど、初女さんの下さった
愛は、私の中で今も息づいています。
私が伝えたい初女さんのことは、やっぱり
行動を通してでないと、伝えることが出来ないの
かもしれないと、思いました。
昨日は、一晩中すごい風でした。
私はただ、台風が通り過ぎて行くのを待つのみで、
自然にはかなわないなと布団の中で思っていました。
今日の午後の抜けるよな青空に、心が軽くなる
ような気がしました。
明け方、不思議な夢をいくつか見ました。
その中で、初女さんは何を伝えたかったんだろうと
考えている自分がいて、夢の中でその答えを
見つけているのです。
本当に不思議です。
夢を通してもらったメッセージは「聴くこと」
でした。
目が覚めて、「聴くこと?」と自分に問いかけて
みました。
確かに、初女さんは「聴く人でした」
「話したい人は、沢山いるけれど
聴く人がいないの」と、度々言われていました。
自分を真っ白にして、聴くことは初女さんの
原点といえるかもしれません。
こんな不思議な夢を見るなんて…
『聴くことを大事にします。
先入観を持たずに自分を空っぽにして
相手の心に寄り添い、ただ一心に耳を
傾けるのです
はたから見ればたいしたことでない
と思うようなことでも
その方が感じている重みのまま受けとめます。
自分の考えと違っても、途中で言葉を
はさみません
人から諭されることは、正しいことだと
わかっていても、なかなか受け入れがたい
ものです
悲しみや怒りで心が詰まった人も
話して話しているうちに
心が落ち着き、自分の道に気づかれます。
答えをだすとか
なにかを与えるとかいうことでなく
私も気づきをいただきながら
ともに感じ、ともに考え、
一緒に進んでいくのです
佐藤 初女』
通販生活の表紙に
『来春、
加計学園の獣医学部は開校できるのだろうか。
森友学園の小学校のように開校できないのだろうか
この問題は一見、
小さな問題のように見えて、
「民主主義とは何か」を問う
実は大きい問題だ。』
と、書いてありました。
今日、街を歩いていたら街頭演説をしている
候補者が「選挙が終わった翌日に、加計学園が
認可されます。これでいいのでしょうか!」と
言っているのを聞いて驚いたと同時に、
大江健三郎氏が言っていた「この国は
あったことを、なかったことにする」と言う言葉が
蘇ってきました。
又しても、選挙が終わればみそぎが済んだと
あったことが、なかったことになって行くので
しょうか…
まさに、通販生活が言うように「民主主義とは何か」
を問われていることを、この選挙で自覚しなくては
いけないと、強く思いました。
去年、シールズの若者が「民主主義ってなんだ」
「民主主義ってこれだ!」と、デモに集まった
人達にコールしていました。
今、私たちひとり一人が「民主主義ってこれだ」の
答えを見つけて行かなければ…
私たちが、自分たちの意思を示せるのは
選挙しかありません。
みんな、選挙に行こうよね!
今日、帰宅するとイスキアのスッタフから葉書が
届いていました。
「貴方のようにつらい思い出のある方が、
一生懸命初女さんのおむすびを広めて下さること
初女さんのようにできなくても、直さんなりの
教え方で伝えて下さると嬉しいです…」と書いて
ありました。
有り難いお言葉です。
最近は、梅干しやぬか漬けも美味しいと
言っていただけるようになりました。
三種の神器ではないけれど、おむすびと
梅干しと漬け物があったら、生きていけそうな
気がします。
初女さんのおむすびは、「おむすびの祈り」
だからな、本当に難しいな…
でも、難しいけど諦めたくないのです。
おむすびが初女さんの心だから…
『「おむすびを握りながら、なにを考えて
いますか」とよく訊かれますが
私はなんにも考えていないんです。
おいしくなれとも考えない。
一粒一粒のお米を生かすように
ただ無心で握っているだけ。
十の工程があったら、十のどこにも
心を離したくないから
考える余地なんてないんですよ。
ひとつひとつの工程に心をかける。
それが私の祈りです。
本当にお伝えしたいのは、おむすびの作り方
ではなくて
「信仰とはなにか」ということなのです。
佐藤 初女』