~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

幸福とは

2012-08-31 17:27:45 | 日記
誰もが間違いなく望むこと、それは「幸福になりたい」ということ…

結婚する時、「君を幸福にします」とか「二人で幸福な家庭を

築こう」という言葉をを交わし、第二の人生を踏み出したと思います。

誰もが自分の幸福を望み、幸福になりたいと思って生きています。

私も息子を亡くすまでは、まっしぐらにそこに向かっていました。

でも、一夜にして奈落の底に落とされた私は、その時から

「幸福ってなに?」という疑問を自分の中で抱えてしまいました。

それから、幸福を追求する気持ちがしぼんでしまいました。

初女先生に初めて出会った時、私はすぐに「幸せってなんですか」と

お聞きしました。

先生は「響き合う人に出会った時が幸せ」と言われ、それから私も

この幸せを幾度も味わうことが出来ました。

若い頃は、幸福になることが人生の目的のように思っていましたが

その思いより、一つひとつの喜びのほうが大きくなっていきました。

なんでだろう?

大きな挫折を味わったからか、歳をとったせいだろうかと

思ってましたが

やっとその答えをフランクルの著書の中でみつけました。

   「自分の幸福を望み、それを追い求めた人間は、結局

    自分の望み通りの幸福を手に入れることはできなくなる

    はずだ、人間の心はそのようにできている。

    では、どうすればいいのか。

    どうすることもできない。ただ、幸せになろう

    幸福を手に入れようというこだわりを捨てて

    なすべきことにとりくむがいい。

    そうしているうち然るべき時が来れば、自ずと

    幸福は手に入るはずだ。

    幸福とは結果にすぎない。」

この順序を間違えて、人が「自分の幸福」「自分の喜び」を

直接追い求め始める時、その「幸福」や「喜び」はどこまで

いっても得られることができなくなる。

 この文章に出会い、ちょっと見える景色が変わってきた私です。





   



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人生の師

2012-08-29 06:47:50 | 日記
初女先生の話をすると、あまり知らない人たちが決まっていう言葉が

あります。

「山崎さんって、追っかけですか?」

私が、追っかけではないと説明すると、次は「それって宗教ですか」

という質問が飛んできます。

その人達は、真面目な顔をして、理解できないというように聞いて

くるのです。

私は、ああこれが多くの人が持っている感覚なのかもしれないと

最近では思うようになりました。

若い頃、私に「人生に、たった一人でいいから師といえる人に

出会ったら、それは幸せなことだ」ということを教えてくれた

先生がいました

「師」というと、漠然と教師かなと思ってしまいますが

人生の師とは、そういうものではないと言われました。

その時から、私は人生の師を求めたいという思いを、心の片隅に

いつも持っていました。

そして私は、人生最大の絶望を体験した後に、初女先生と

出会ったのです。

それまで、私は「師」とは仰ぎ見るものかと思っていましたが

初女先生は、辛い時、深い悲しみの時、苦しい時に

隣人となって心を支えて下さいました。

私は、求めても求めていた「人生の師」にやっと巡り合えたと

思いました。

でも今、多くの人たちは「師を持つ」」という感覚もないようです。

こんな話をすると、「教祖なんですか」「それって宗教ですか」

という言葉が返ってくるのです。

これは、オウム真理教などの影響でしょうか…

そうであるなら、そのことによって日本人は大切な事を

置き去りにしてきたような気がします。

この宗教に対するアレルギーはなんでしょう…

仏教とかキリスト教徒とかでなくても、私達の祖先は

大いなるものの存在を感じて生活してきたように思います。

フランクルは、無神論者の中にも隠れた

「無意識の宗教性」を発見出来ると言っています。

そして、私たちが語ることも見ることもできないこの神は、

しかし、闇の中から絶えず私たちを見つめ、たとへ私たちが

そう気づいていなくても、絶えず私達と対話しつつある神

でもあります。と語っています。

 「人生の師」を求めなくなり、

「それって宗教入ってる」などと言葉が普通に交わされる現在は

満たされている人達が、心のむなしさを感じてている時代だと

言われています。

豊かな国や社会ほど、自殺者が多いそうです。

現代人は、生活のテンポを速め絶えず自分を忙しくすることで

このむなしさを麻痺させようとしているといいます。

こういう時代の流れのなかで、初女先生という「人生の師」に

出会えたことは、なんと幸せなことだろう…





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去年の今日

2012-08-27 14:10:26 | 日記
思えば去年の今日、初女先生をお迎えに羽田に行ったのです。

客室乗務員の方が、最後に出してくれたと、先生に会えるまでの

時間の長かったこと、初女先生の「すなおさんが、心配していた

だろうと思って…」の声を聞いた時は、涙が出そうになりました。

三浦半島の宿に着き、私が「先生、太平洋を見て!」と案内すると

先生は「あれは、何?」と空を指差され、私は何気なく

「とんび」です。と答えたのですが、「とんび」は先生の亡くなった

息子さんが、大切な時に「とんび」になって飛んでくるので、

その時、先生はどんな思いであの「とんび」を見ていたのだろうと

今頃になって思います。

思い出すと、反省することばかりですが、やっぱりあの日は今でも

私の中で特別な輝き放って残っています。

先生は「奉仕とは道端に置いて通り過ぎるもの」と言われている

ように、やったことは見事に置いていかれます。

やったことに、決して囚われません。

私などは、ともすればやったことを後生大事に持ってしまいます。

本当に、何かやらせて頂くたびに、初女先生の深さと大きさを

感じないではいられません。

去年は、初めての宿泊の講演会で、何だかあたふたしていて

お申込みされた方が、どんな思いでいらっしゃるのかまで

私の心が及びませんでした。

今年は、少し耳を傾けられるようになり、初女先生の講演会を

やらせて頂く、喜びと責任が静かな情熱へと繋がってきています。

やったことは置いてきても、体験したことはしっかりと

私の中に、スタッフの中に残っています。

初女先生も体験ほど尊いのもはないと言われています。

去年、講演会が終わった時、二度とできないと思いましたが

勇気をだして、踏み出してよかった!

小さなことでも、去年より確実に深くなっている気がします。

そして、スタッフがすごく頼もしく感じられ、先生の

「どうぞ、お進め下さい!」のお言葉に大きな大きな力を

頂き、講演会の準備に取り掛かっています。

すべてが喜びであり、感謝です。

そして、楽しい!
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自分をえらんで生れてきたよ

2012-08-26 17:33:16 | 日記
子育てしている時に、「胎内記憶」(胎児のころの記憶)というのを

知りました。

子どもは、生まれる前の記憶を持っているというのです。

私がそのことを知った時は、子どもがかなり大きくなっていたので

息子の口から聞くことは出来ませんでした。

先日、「じぶんをえらんで生れてきたよ」という本を頂きました。

重い病気を持って生れて来た、りお君が片言を話し始めてから

9歳までのおしゃべりを、お母さんが書きとったものです。

りお君は30回以上入院をしているのに、「病気で寝ていると

ぼくは何が一番大切なのか、って考える。

いのちの大切さって何か、考える。すると幸せな気持ちになる。

豊かな気持ちになる。

だから、ぼくは病院で寝るの、好きだ。病気で生れてきたから、

ぼくはいろいろな体験ができる。ママもいろいろな体験ができる。

だから、ママは喜んでいいんだよ。」と言っています。

そして、ぼくは病気をえらんで生れきた。と…

この本を読んでいて、うちの子も13歳で天国にかえる!という

ことを選んで生れて来たのかもしれないと、思えました。

私に「本当のいのち」を教える為に、私たち家族の人生を

より深いものにするために、息子は生まれそして天に帰って

行ったのかもしれません。


   「心とは、何か。 心とは、喜びだよ。」

これが8歳の、りお君の言葉です。

   「いのちはぜんぶ、つながっている。

    一人のいのち、というのがあるんじゃなくて

    一人ずつのいのちは、ぜんぶつながっている。」


    「人間は死んでも、体がなくなっても、

    心が残るように、できている。」

   「人は、幸せを贈りあうために、生きている。

   助けあって、幸せを贈りあうために、生きている。」

この、りお君の言葉を読んでいて、神様はメッセージを

こんなふうに、伝えて下さるんだなと、思えました。

   「やさしい心は、神さまにもらったの。

    心は、あたたかい。
   
    いのちは、あたたかい。

    あたたかいのが、たいせつなんだね。」

                いんやく りお   

 
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被災地のギター

2012-08-24 22:53:15 | 日記
昨日、息子が被災地のボランティアから帰ってきました。

3度目のボランティアでしたが、息子は「今回が僕にとって一番

重かった」と言って、ぽつりと話してくれました。

前々回、写真の洗浄をやったけれど、1年たっても引き取り手のない

写真をデーターに収める作業やランドセルを洗ってきたという…

ふと気がつくと、しっかりしたギターケースがあり、泥と一緒に

ギターが入っていたので、息子は何とかそのギターに音を

取り戻したいと思ったようで、担当の人の許可を得て、ギターを

きれいにした後、楽器店に行って弦を買い、全部張り替えたら

1年以上も泥まみれだったギターが、蘇えって音を奏でたというの

です。

「俺の持っている技術なんて、大したことないのに、ちゃんと音が

でたんだよ」と、嬉しそうに話した後に「でも、あのギターの

持ち主が生きているかどうか分からない…」と言って黙って

しまいました。

「ギターはケースに入れて、小学校の体育館に戻しといた

もしかしたら、取りに来るかもしれないもの」と…

そして、息子の作った「閖上(ゆりあげ)の歌」をみんなに聴いて

もらったと…

息子の大学の入学式は、震災の為行われませんでした。

東京の大学だから、入学式ぐらしてもいいのにと、私は思ったの

ですが、そんな大学生活のスタートを切った息子にとって

やはり震災は、行動せずにはいられなものになっていたようです。

でも、震災ボランティアから帰ってくると、息子が少し大人に

なっているのを感じます。

体育館に置いてある、あのギターが持つ主のもとに返る日を

祈らずにはいられませんでした。



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天からの賜物

2012-08-23 22:23:53 | 日記
昨日、NHK100分de名著「夜と霧」で姜尚中(かんさんじゅん)さんが

「運命は天からの賜物、天からのギフトです」と、言ってました。

そうか、運命は変えられなというが、運命が天からのギフトとは…

初めてイスキアを訪れた時、イスキアの鐘に見送られながら私は、

いつの日か息子の死を、感謝をもって受け入れられる日が来るはず

という思いに包まれました。、それから初女先生とのご縁が深くなり

私は、あれほど受け入れることが出来なかった息子の死を、

この死もまた、私に与えられたものだと思えるようになったのです。

その時は、解りませんでしたが、きっと亡くなった息子が与えて

くれている気づきや出会いが、私をそのような思いにさせたの

でしょう。

子どもに先立たれるという、どうしようもない運命を、姜さんが

言われたように「運命は天からの賜物・ギフト」と、思えるように

なっていたのかもしれません。

フランクルの「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうが

あなたに絶望することはない」という言葉の通り、私が絶望の

只中にあった時も、人生は私に絶望してなかったということ

なんですね。きっと…


 「あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か

  人生に『イエス』ということの出来る日が必ずやってくるから

    いや、たとえあなたが人生に『イエス』と言えなくても

  人生のほうからあなたに『イエス』と光を差し込んで

    くる日が、いつか必ずやってくるから。」

            (100分de名著・夜と霧より)




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心の時代の足音

2012-08-22 21:46:25 | 日記
友達に頼まれ、横須賀の大きな本屋さんにNHkのテキスト「夜と霧」

を買いに行きました。

すると、このテキストは最初に来た分が売り切れ、二回目にきたのも

売り切れたというので、私は注文して取ってもらうことにしました。

こういうテキストは売り切れなんてことは、先ず無いし…

しかも、今フランクルが…

そう思ったら、震災があり多くの人が立ちどまり、今までの

生き方を見つめ直した時、これからは物質の豊かさの時代ではなく

心の時代であることに、気づいたのではないでしょうか…

初女先生の講演会には、震災以後若い人たちが圧倒的に

増えています。

彼らは、初女先生の生き方に自分たちの生き方を見出そうと

しているのです。

震災で、私たちは大切なものを沢山失いました。

失って初めて、本当に大切なものに気づいたのです。

今、私は心の時代の到来の足音を聞いています。

確かな力強い、足音を…
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守られていると感じる時

2012-08-21 23:07:50 | 日記
今日、夕方の空を見たら、雲が薄紅色に染まり、まだ明るい空に

細い三日月が出ていたのです。

あまり美しく、見ていたら涙が出てしまいました。

そして、何だか分からないけれど、守られているって感じたのです。

横を見ると、車が渋滞していて気ぜわしく、道行く人は暑さに閉口

したように、下を向いて歩いていました。

でも、頭上ではこんなにも美しい世界が広がっていたのです。

私たちは、その美しさの中に包まれていたのです。

大きな安心が心を穏やかにしてくれました。

 夜、10時半ごろ電話が鳴りました。

そのベルの音を聞いた途端、初女先生からのFAXからだ!と

直感したら、その通りでした。

先生は、チラシをとっても気に入って下さり「チラシ素敵です

本当の私みたいです。雰囲気が好きです」と書いてありました。

私は嬉しくて、思わずお電話をしたら、色々お話して下さり

最後に、優しい声で「どうぞ、お進め下さい」というお言葉を

頂きました。

この何より有難いお言葉に勇気を頂きました。

守られてると感じた空を見た日に、初女先生からのメッセージが

届いたなんて…

神様がちゃんと見ていて下さるって思えました。

心を尽くしていこう!

私たちは、見守られている存在なのだから、大丈夫!



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フランクルと初女先生

2012-08-20 23:07:07 | 日記
昨日は、何年振りかに函南のkさんを訪ねました。

子どもを亡くした時に、悲しみを抱えても前を向いて歩いている人に

会いたいと思った時に、初女先生とkさんに出会いました。

kさんもお子さんを亡くし、悲しみ苦しんで、でも立ち上がり

お寺の奥さんとして、村人に信頼され前を向いて歩いている方です。

本当に、何年も会っていなかったのに空白の時間はあっという間に

埋まり、一緒に行ったNさんと3人で話が盛り上がっていた時に

私が何気なく「最近、ルランクルの夜と霧を読んで、すごい気づきが

あったの」と言うと、kさんが「私も、何度も夜と霧を読んで

大きな気づきを頂いた」と言うのです。

彼女の中学の社会科の先生が、卒業間際に「まだ解らないかも

しれないが、一生のうちの何処かで「夜と霧」を読んで欲しい」と

言ったそうです。

彼女は二十代のころに読み、それから繰り返し読んで来たと…

そして、私たち二人の考えは、フランクルと初女先生が同じことを

言っているというところに至ったのです。

例えば、フランクルは「苦悩を正面から受け止めよ。

悩んで悩んで悩みぬき、底まで落ち切った時にこそ、不思議に

自然と道が開けることがあるのです。

絶望の果てにあってこそ、光が差し込んでくるのです」と…

初女先生は「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。

もうこれ以上できない、もう限界、というところのどん底にまで

落ちるのです。

落ちるところまで落ちてしまうと、這い上がらなければ

生きられないので、這い上がる努力をします。

それが上に活きると言う意味で「上活」というのだそうです」と

言われています。

初女先生は「体験ほど尊いものはない」と言われ、

フランクルは詩人の言葉を引用して「汝の体験せしことを

この世の如何なる力も奪い得ず」と語っています。

フランクルも初女先生も、体験から生まれた言葉です。

真理というのは、国が違っても生きた時代が違っても

一つだということが解りました。

フランクルの言葉と、初女先生の言葉があらゆるところで

重なります。

フランクルの「人は、人生から問われている者であること」

そして、「人生はけっしてあなたに絶望しない」

初女先生の「すべてが今この一瞬にあると思うから

刻まれるこの時間を大切にする」という言葉を胸に刻み

歩いていきたと思いました。

kさんとNさんと3人で、「私たち子どもを亡くしてなければ

絶対に出会ってないよね。子どもたちが繋いでくれたんだね。

きっと子ども達もここにいるね」と、嬉しい再会の時を

過ごしました。

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石内都 少女たちの服・ひろしま

2012-08-18 21:52:22 | 日記
昨日、夜中にBsで「ディアヒロシマ」という番組がありました。

写真家の石内都さんの「ひろしま」の写真展をカナダで開催した時の

映像でした。

石内さんの「ひろしま」の写真集を見た時の衝撃は、今でも私の心に

深く残っています。

 小学生の時、東京のデパートで開催された「原爆展」に父に

連れられて、行った時の衝撃は只々恐怖でした。

それから、大人になり広島の原爆資料館に何回か訪れました。

でも、資料館でみたものをいくら思い出してもそれは

モノクロの世界の中にあるのです。

お弁当箱の中の炭化して真っ黒になった米

ひしゃげた三輪車

着ていた絣の模様が肌に焼きついた写真

ケロイドの写真も包帯だらけで横たわっている人の写真も

あまりに悲惨で、その人の元気だった姿を思い起こすことも

できませんでした。

ところが石内都さん「ひろしま」の写真集の中の、鮮やかな

少女たちの服を見た時、その服を着ていた彼女たちの姿が

浮かんできて、過去のこととしてでなく、生々しく私に迫って

きたのです。

その服は、原爆資料館にあった服を石内さんが、一着一着

まるで少女たちが来ていたように撮ったものです。

鮮やかな、タヒチブルーの軽やかな服

蝶の羽を想像させるような、透けたワンピース

かわいい大きなピンクの水玉模様のスカート

浴衣地で作っシミーズ

着物をほどいて作った防空頭巾には、大きなダリアのような

斬新な模様が

戦争中、少女たちはモンペ姿の下に、こんなに艶やかな服を

身につけていたのです。

このドキュメンタリー番組をまとめたリンダさんは「アメリカ人は

原爆というと、キノコ雲しか浮かばないが、あれだと一人ひとりの

尊い命に思いを馳せることが出来ない。このワンピースの写真が

初めて原爆と人の死を結びつけた」と言っていました。

石内さんの少女たちの服の写真が、モノクロの世界に色を

呼び戻し、戦争を過去のものから現在に繋いでいます。

いつか行ってみたい、石内都の写真展「ひろしま」

石内さんの写真を見た時のあの衝撃を忘れまい…


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