~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

小さな旅

2012-09-30 17:09:01 | 日記
昨日は、去りゆく夏が最後の意地を見せているような暑さでした。

鎌倉駅に降り立つと、ノースリーブやランニング姿の若者が

いました。

若い時って、夏がそのまま青春って感じだったよなと、そんなことを

思いながら私は、スタッフ会議へと急ぎました。

4回目のスタッフ会議で有り、2回目のおむすびの練習

講演会の宿となる民宿にも、3回か4回は行っています。

講演会だけなら、こんなに打ち合わせをしなくても出来てしまう

けれど、宿泊となるとそうはいきません。

みんな忙しい中、遠くから集まってくれるのです。

本当に感謝なしでは、できません。

おむすびも初女先生が教えて下さるので、私たちスタッフは

当日は、手を洗うお水を替えたり、ご飯の補充をしたりと

動きまわるので、スタッフが事前におむすびの練習をしなくても

きっとおむすび講習会は出来るのだと思います。

でも、こうやって集まっておむすびを結んでいると、何だか心も

結ばれていくようなのです。

昨日は、一番難しいという魚沼産コシヒカリの、しかも新米!

みんなで頭を寄せ合い、水の分量を決めお米を浸し時間も

注意していたのですが、新米の給水は想像以上に早く…

でも、私達の願いがお米にも届いたのか、炊き上がる時の

ご飯のいい匂いに久々に感動しました。

そして、全員が見守る中ドキドキしながら蓋を開けると

充分とはいえないけれど、ふっくらと盛り上がったご飯が

炊き上がっていました。

いい年のおばちゃんたちが、ヤッターと歓声をあげ

「新米で盛り上がったご飯が炊けたね」と、喜び合いました。

でも、おむすびを結ぶ時はちょっとずけずけと「それって

指で結んでない、その結び方だと堅くならない?」と

言い合ったり…

知らないうちにおむすびが結んでくれていた、スタッフの絆を

随所に感じた一日でした。

帰りに鎌倉の案内人kさんが、夕陽を観に行きましょうと

江ノ電に乗って、稲村ケ崎に

「水平線」という高台の期間限定カフェへ辿りつくと、

何と、目の前には水平線が感じられる海が…

水平線が鎌倉の海で見えるなんて!

「こんなに広い空も、久し振りに見た」と、誰かが呟いて

いました。

刻々と変わりゆく雲、自然の描く空のグラデーション

宇宙の真下にいるような感動が胸に押し寄せてきました。

こんな時間をみんなで分かち合えるなんて、神さまからの

プレゼントのようでした。

宇宙を感じた時、大阪にいる初女先生とも今日来られなかった

スタッフとも、まだ見ぬ講演会の参加者の方とも、みんな繋がって

いる気がしました。

そして、去年の三浦の講演会で見た、星空を思い出し

陽が落ち、海と空の色が溶け合うような感じになった時

まんまるお月さまが私たちを照らしていました。

kさんが「明日は中秋の名月、十五夜よ。今日が十四夜」と

教えてくれました。

日本人は満月より、ちょっと欠けた十三夜が好きなんですって

と言うkさんの言葉に、何か納得する自分がいました。

そういえば、宮澤賢治の作品にも「十三夜」がありました。

賢治も満月より、ちょっと欠けた月が好きだったのかな…

盛りだくさんの一日、心のおむすびが確かなものになって

いくのを感じながら、江ノ電に乗り「小さな旅」は終わり

ました。
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分かち合い

2012-09-28 20:05:03 | 日記
初女先生の講演会の時、先生のお話の後で私達は「分かち合い」

という時間を設けています。

初女先生の「イスキアの集い」という講演会をやりだした時

「分かち合い」が生まれたのです。

でも、その頃はこの言葉だけでも警戒されるところが世の中にあり

「分かち合い」の説明をしてから、始めていました。

そして、今では初女先生の講演会では「分かち合い」があるのが

当たり前となり、説明なしでいきなり「分かち合い」と言っても

みなさん、とても自然のこととして受けとめて下さるように

なりました。

今日、メールを返信していて、フランクルのことや、自分に

「ありがとう」を言うことに共感して下さった方に、

分かち合いができたことが、嬉しくてそのことを書こうと

「分かち合い」と、打ったら「わかち愛」と変換されたんです。

これを見て、初めて「分かち合い」とは愛を分かち合うことでも

あるんだと、気がつきました。

分かち合いと、わかち愛

うーん、日本語再発見。

日本語って、すごい!

ちょっと嬉しい気づきでした。

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夕焼け空に…

2012-09-27 17:48:02 | 日記
お彼岸を過ぎたら、季節はたちまち秋になったようです。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、昔の人は本当によく自然を

感じて暮らしていたんだなと、思います。

秋風が感じられるようになると、あの閉口するような暑さが

何だか懐かしくもなりました。

人間とはなんと勝手な生き物でしょう…

でも、どんなに暑い夏でも、夏の次には秋が来て、秋の後には冬が

くる。この自然の誠実さが私たちの心を支えてくれることを、

私は深い悲しみの日々の中で知りました。

どんなに悲しくても、苦しくても、四季が巡って来るということに

人は支えられることがあるのです。

 夕方、戸締りをしようと窓を開けると、見事な夕焼けで

空が紅に染まっていました。

私は、その美しさに感動して立ちつくしてしまいました。

そうしたら、フランクル達が収容所で見た夕焼けも

なんだか、この空と繋がっている感じがしてきたのです。

劣悪な収容所の生活と過酷な労働の中で、明日のいのちも

知れないフランクル達が見た夕焼け…

 「囚人運搬車の鉄格子の覗き窓から

夕焼けに輝くザルツブルグの山々を仰いでいるわれわれの

うっとりと輝いている顔を誰かが見たとしたら、その人は

それが、いわばすでにその生涯を片づけられてしまっている

人間の顔とは、決して信じ得なかったであろう」と「夜と霧」の

中で書き留めています。

夕焼けを見て、その美しさに心打たれる、そんな他愛のない事が

人の心を培う一つの糧になっているような気がしました。

そしてそんな時、人は宇宙に守られていると感じるのでは

ないでしょうか…



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ありがとうの不思議

2012-09-25 20:04:42 | 日記
晴佐久神父さまの本を読み、自分自身に「ありがとう」と言ってみる

「あれ…」

自分の体なのに、「ありがとう」と言ってみると何かが違う…

確かに違う。

これって何?と思った時、私が敬愛するkさんの言葉が

思い出されたのです。

kさんは、「夜と霧」とそのテキストを読んで、自分の身体は

自分のものではない、借りものだと思えるようになり、そうしたら

「我」が薄らいでいくのと、言っていました。

前にも、お寺の住職の奥さんが同じような事を、私に話して

くれました。

でも、私はよく分からなかったのです。

ところが、自分自身に「ありがとう」と言ったら、自分の体なのに

自分のものって感じがしなくなり、有難いという気持ちが

ふつふつと沸いて来たのです。

こんな感覚は、今まで体験したことがありませんでした。

不思議です…

そして、自分の「我」で堅い蕾のようになっていた心が

はらっと、少しだけれどほどけたような感じがしたのです。

もしかしたら、私は生れて初めて自分自信に自分の体に

「ありがとう」を言ったのかもしれません。

その時、初女先生のお言葉が思い出されました。

   「『生きている』ということは、誰がどうして

    こんなふうに生かしてくださっているのかと思うくらい 

    考えてみれば不思議なこと

    体は、もう80年以上も生きているというのに、少しも

    休まず働いてくれていることを思うと、本当に

    「ありがたい」という思いで胸が一杯になるのです。」


初女先生のこのお言葉は、何度も読んでいるし、ブログにも書いて

います。

でも、その時これほどの深い意味があるとは思ってもみません

でした。

うんと浅いところで、分かったと思い込んでいたのです。

初女先生のお言葉は本当に本当に深い…

「ありがとう」は不思議な言葉

自分自身に「ありがとう」と言うと、自分の体が愛おしくなり

謙虚な気持ちになれるのです。

先生のお言葉が心に沁み渡ります。

今、kさん言葉に素直にうなずける自分がいます。

「ありがとう」は不思議な言葉。

そして、本当に有難い言葉…



 
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ありがとう

2012-09-24 22:35:32 | 日記
先日、職場の人が「うちの職場って、みんなが有難うって

よく言うでしょ。私、ここで働きだした時、有難うって

言えなかったの。でも、今は言えるようになったよ」と話して

くれました。

彼女に言われて、初めて「ありがとう」が行きかう職場なんだと

気がつきました。

「ありがとう」には他の言葉にはない力を感じます。

もとはといえば、ありがとうは「有難い」であり、本来ありえない

ものが、あるという喜び、あること自体が奇跡だという驚きから

生れてくるので、創造の神秘に深くかかわった言葉だそうです。

晴佐久神父さまは、「ありがとう」は天国の扉を一瞬開けるだけの

力を秘めている。他にも尊いことば、美しいことばはあるけれど

この「ありがとう」のもつパワーは、ちょっと比類がないと…

そして、神父さまは「どうか、一度でもいい、この言葉を

信じて、自分自信に向かって、そっと言ってほしい。

「ありがとう」と。その瞬間、天国の扉が開く。」と言われて

います。

今、私は小さな小さな声で自分に「ありがとう」って言って

みました。

体も心も、ぽっと温かくなりました。

今日は「ありがとう」に包まれて眠ります。

   「ありがとう」



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死なれてしまうより辛い思い

2012-09-22 11:25:18 | 日記
新聞に「娘」という題に投稿があり、読んでハッとさせられました。

その方は「夫」という投稿を読んで、思わず筆を執り、書いたそうです。

 娘が、高校3年の時に難治性の白血病と告げられ、

今年19年目の夏を迎えたそうです。

治療の過程で記憶障害や歩行困難などあらゆる苦難が

降りかかってきたそうです。

徐々に文字が書けなくなり、自力で歩けなくなる娘…

「死なれてしまうより、つらい思いもある」ということを初めて知った

と、ありました。

私は、脳死状態の息子に「何も出来なくていい、息だけしていて

お母さんが、なんでもしてあげるから」と言い続けていました。

この投稿の「死なれてしまうより、つらい思いもある」というのを

目にした時、そうかそういう思いもあるのかと、言葉を失い

ました。

死なれてしまうより、辛い思いがあり、一方息子に死なれ

遺された私は、生きて行く方が辛かった…

みんな様々の思いを抱え、人生を生き抜いているんだと、思い

ました。

投稿の最後は「病気や事故の受け入れがたい現実を、懸命に

生きている多くの家族の皆さんとどこかで繋がっているという

思いを持つことで、孤独感を少し和らげられるのではない

でしょうか。

体験した者でないと分からない苦しみ。

それでも、まだ娘が生きていてくれるという幸せを大事に、

私は娘に寄り添っています。」という文章で締めくくられて

いました。

ここにもまた、フランクルの言う「人生からの問いかけ」に

懸命に答えている母がいました。
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宿題

2012-09-21 20:24:19 | 日記
今、私はスタッフに宿題を出し、私自身もその宿題を抱えています。

講演会のプログラムに、初女先生のお言葉を載せようと思ったの

です。

スタッフの皆に、「初女先生の言葉で一番心に響いたのを一つ

書いて来て下さい」という宿題を出したのです。

私は、無理を承知で「一つ」と言いました。

皆は、もう一度先生の本を読みなおし、その「一つ」を選んで送って

くれました。

初女先生の言葉を一つ選ぶことが、どんなに大変かと、誰もが

言っていました。

本当にそうです。

先生の言葉は、その時の自分の心の道しるべとなるものなので

(どの言葉も、心に響くのですが、)より強く響き、心に

寄り添ってくれる言葉は、その時によって違ってきます。

スタッフの選んでくれた先生の言葉を読みながら、一人ひとりの

心のあり様が少し感じられました。

私は、苦しい時や迷った時に、初女先生の本を(「今を生きる言葉・

森のイスキアより」が多いのですが)パット開くのです。

すると、不思議とその答えとなる言葉がそこに書いてあるのです。

まるで、初女先生が私の話を聞いて下さっていたかのように

ぴったりの言葉が…

私は、まだ皆に出したこの宿題をやっていません。

今の自分が先生のどんな言葉を選ぶのか、自分でも楽しみです。

講演会のプログラムが、どのようなものになるのか

まだ、想像がつきません。

でも、先生を思い初女先生の本を読みなおし、皆が選んだ言葉には

深い思いがあるはずです。

分かち合いの心が感じられる、そんなプログラムができたらいいなー



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宿泊の講演会って

2012-09-19 20:58:51 | 日記

 
スタッフ7人で、三浦の民宿へ行ってきました。

まだまだと思っていた初女先生の講演会が、目の前に迫ってきました。

今日は女将さんと打ち合わせをしたり、DVDの試写をしました。

私は、やること満載でちょっと焦ってました。

あれこれ考えたせいでしょうか、昨夜は頭が痛くなり

びわ温灸をしたり、寝る時は枇杷葉を頭にのせて、鉢巻ををして

寝ました。

その甲斐あってか、今朝は痛みも無くなっていました。

そして、スタッフのみんなの顔を見たら、益々元気になれました。

宿泊の講演会は、容易い事ではありません。

でも、その分スタッフの結束力が強く深くなるのを感じます。

初女先生が「泊りは深いからねー」と言われたのは、

私はてっきり、講演会に参加される方のことかと思ってました。

でも、先生のお言葉はスタッフの関係のことも言っていたのです。

そのことが、初めてわかりました。

いつもながら、初女先生のお言葉は深いです。

初女先生とこのスタッフがいたら、「今ここがイスキア」に

なるような気がしました。

講演会に向けて、一つ一つ心を込めて準備をして行こう…

頑張りまーす!



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秋刀魚の季節に…

2012-09-17 22:18:09 | 日記
職場の人の友人が気仙沼にいて、私達は毎年この時期になると

気仙沼から届いた秋刀魚を、家族の人数分頂き秋が来たねと

言いながら、秋刀魚を頬張ったものです。

気仙沼からの秋刀魚が届かなくなって、二度目の秋です。

秋刀魚の季節が、震災に繋がります。

そんな思いでいた時、新聞に「東北の秋は祈りに満ちて」という

特集が載っていました。

東日本大震災のあと、亡き家族、知人を歌うことによって魂を鎮めて

あげたいと、沢山の歌が生まれたそうです。

「震災三十一(みそひと)文字」という歌集も生まれたそうです。

五七五七七という、限られた文字の中に込められた思いの深さ…

     
     ここにいた ここにあったと 思い出が

       泣き声上げる東北の秋



     「じゃあまたね」 いつもの声を 留守電に

      残して友は逝ってしまいぬ



     生きねばと 仮設のそばの 荒れ地借り

       記憶辿りて野菜種まく
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深い言葉に…

2012-09-16 10:18:28 | 日記
思いは時空を超えると言いますが、まさにそれを体験したような気が

しました。

11月の講演会の夕べに、イスキア20周年のお祝いをしようと

いうことになり、その記念品に先生の好きなお言葉か聖句を

入れたいので教えて下さいと、少し前にお願いしていました。

昨日、私は先生はどんなお言葉を下さるだろうと、考えていましたら

そうしたら今朝、先生からFAXが届いたのです。

 「現在ここまでたどり着いたのは、全く次の聖句によると日々

感謝です。」のお言葉の後に、コリント信徒への手紙或いは

「神のはからいは限りなく、生涯私はその中に生きる」と書いて

ありました。

深い深い言葉です。

初女先生は著書「いのちの台所」の中で「これからも

神さまのおはからいの中で、一日一日を精一杯生きて

いきたいと思います。」と書かれています。

森のイスキアの20年間を、先生はその思いで歩いてこられ

たんですね。

初女先生に、私達はささやかな集いですが、心はいっぱいです。

と、お返事しました。

11月はみんなで、心からイスキア20周年をお祝いしよう!

初女先生、待ってますから!

本当に神さまのおはからいは限りなく…

ただ、感謝です。
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