~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

初女先生の好きなこと

2014-04-30 22:26:21 | 日記
初女先生に「私はお餅つきが好きなの。直さんも子供とついた

でしょ」と、言われ焦りました。

私は、何かの行事に参加した時に、お餅つきをしたぐらいで、後は

田舎の義母が使わなくなったという電気製品の餅つき機でお餅を

ついたぐらいだったからです。

お正月のお餅は、もっぱら買うものとなっていました。

先生は、目を細めもう一度「お餅つきが好きなのよ」と、言われ

ました。

そして「ほら、朝一番のおいしいにおい」にも書いてあるでしょ」

と…

あまり前に読んだ本なので、帰ってきて早速ひらいてみたら、

書いてありました。

「わたしもお餅つきが大好きです。」と

『餅つきは一人で出来ない共同作業です。

その共同作業では、各自が自分のタレントを知って、自分で

役割を決めます。

蒸す人、つく人、のす人。いつの間にか心がとけ合って

しまいます。

蒸し上がった一粒一粒のお米はつくことによって一体となって

しまうのです。

もとのお米には戻れないし、食べる時はみんなで分かち合います。

和気あいあいの雰囲気に浸りながら、わたしはここに、

キリストの望まれた食卓が実現しているように思いました。』と

先生のお餅つきが好きな理由が書いてありました。

イスキアの小さな森のお祝いの時だったか、鐘のお祝いの時

だったか、イスキアの庭でお餅つきをしたことがありました。

お餅つきというと、子供も大人もお年寄りも心躍るものがあり

みんなが張り切るのです。

もしかしたら、瑞穂の国の民のお祝いはお餅つきなのかも

しれません。

餅つきが始まると、活気に満ちた和やかさに包まれます。

そうか、お米が一体となりお餅になって、それをみんなで

分かち合う!

イスキアの精神が餅つきにあることに初めて気が付きました。

「私はお餅つきが好きなのよ」と、言われた先生の顔が

思い出されました。

先生は、その意味を伝えたくて「朝一番のおいしいにおい」に

書いてあるでしょと、言われたんですね。

あのー初女先生、私もお餅つき好きになりました!

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障害って…

2014-04-28 20:10:35 | 日記
妊婦さんの「新出生前検査」のことを聞くと、何か心が重くなる

私です。

検査をして胎児に障害があると分かった妊婦さんは、5人のうち

4人が中絶するそうです。

きっと中絶を選択したお母さんもお父さんも、悩んで悩んで悩み

抜いてのことだと思います。

私の知り合いは、お腹の赤ちゃんが18トリソミーと分かっても

出産を決意しました。

赤ちゃんは、10日間お母さんとお父さんのもとにいて、天に

召されていきましたが、あの清らかな葬儀は今でも忘れられません

たった10日でも、その存在は永遠です。

ダウン症の子供の笑顔は、神様からの贈り物のように思えます。

お腹の子に障害があると分かった時、親は育てていけるだろうか

という不安で一杯になると言ってました。

本当にそうだと思います。

先日、障害をもった青年の葬儀に行った時、障害のある40代の

娘さんを持つお母さんが、1日でも長く私はこの子より

生きなくちゃいけないの。この子を置いて先に逝けないのと

言ってました。

子供に先立たれる苦しみを知っている私は、複雑な思いで

年老いたお母さんの話を聞いていましたが、お母さんの思いも

理解でき、何も言えませんでした。

どうしたらいいんだろうと思っていたら、「障害を持って

いても、心配なく生きていける社会にすればいい」と

言っている専門家の言葉に、ハッとしました。

そうだ、そうなんだよ!

神さまが、なぜ障害をもった子供を与えるか、それは

とても深い意味があることだから…

「4分の1の奇跡」の本を思い出しました。

医学の進歩から、胎児の障害がもっともっと分かるように

なったら、障害をもった子供は生れてこなくなるので

しょうか…

それは、私達にとってしあわせなことなの?

障害があっても幸せに生きていける世の中をつくる

ことなんだ!

こんな当たり前のことに気がつかなくなっている

現代人は、効率ということに心の一部が麻痺させられて

大切なことが分からなくなっているのかもしれません。

18トリソミーで亡くなった赤ちゃんは遺してくれた

清らかな生と死を、私はいつまでも忘れないと思います。



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山に返す

2014-04-26 22:59:02 | 日記
里山という短い番組を観ていたら、歳をとったご夫婦が二人で

畑をやっていましたが、だんだん耕せる体力がなくなってくると

畑を山に返そう

ただ返すのでなく花を咲かせようと、小さな花の苗木を畑に植えて

いました。

やがて、ご主人が亡くなり、おばあさん一人になり畑も一枚に

なりました。

そして、その畑も耕すことが大変になった時、おばあさんは

小さな桃の苗木を植えました。

「こんなに小さいけれど、5年経ったら花が咲くから」と言って

植えたおばあさんは、その桃を見ることなくこの世を去りました。

でも、おばあさんが亡くなった翌年、桃の花が2つ

おじいさんとおばあさんが寄り添っているように咲いたのです。

畑は山にかえって色とりどりの花を咲かせていました。

短い番組でしたが、とても心に残りました。

畑を山に返す

こんなことは、考えもつきませんでした。

土地は私有するものと思っているからです。

畑を山に返そうと、花の苗木を植えているおじいさんと

おばあさんを見ていたら、これが本当なんだと思いました。

昔 昔の人達は、土地を自分のものだなんて思っていなくて

住まわせてもらっているって、そんなふうに思って

いたのでしょうね。

山に帰った畑に咲く花は、人の心にもぽっと花を咲かせて

くれるようでした。

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まどさんの詩

2014-04-24 21:59:58 | 日記
まどみちおさんの詩はつくづく凄いなーと、思います。

まどさんの詩の代表作に「ぞうさん」があります。

『ぞうさん、ぞうさん お鼻が長いのね。そうよ母さんも長いのよ』

母さんも長いと書いたまどさんは、5歳のときにお母さんがまどさんを

祖父の元に残して台湾に渡ってしまったそうです。

まどさんの母さんには、まどさんの寂しさが一緒にあるんですね。

まどさんの「頭と足」という詩に圧倒されました。

   
          「頭と足」      まど みちお

 生きものが立っているとき その頭はきっと
 
 宇宙のはてをゆびさしています。

 なんおくまんの生きものが なんおくまんのところに

 立っていたとしても…

 針山にさされた まち針たちのつまみのように

 めいめいはなればなれに 宇宙のはてのぼうぼうを…

 けれどもそのときにも足だけは みんな地球のおなじ中心を

 ゆびさしています。

 おかあさあん…

 と声かぎりよんで

 まるで 

 とりかえしのつかない所へ とんで行こうとする頭を

 ひきとめてもらいたいかのように 
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初女先生・のりのつくだ煮

2014-04-23 22:17:56 | 日記
2月に初女先生のお会いした時に、お料理の本の話をされていました。

以前出した「初女さんのお料理」に何品か新しいお料理を入れると

言われ、帰ったら作らなくちゃと言われていました。

先生は、最近の若い人は切干大根を喜ぶのよ、嬉しそうに

話されていましたが、新しく出た愛蔵版「初女さんのお料理」

切干大根のレシピが2つも入っていました。

先生が若い人達に食べてもらいたいと、思われたことが写真からも

伝わってくるようです。

随分前にイスキアに行った時、先生がおむすびに使った海苔の

切れ端で作る、海苔の佃煮の作り方を教えてくださーい!と

お願いしたことがあります。

頼んでおいて、私はイスキアの近くの散策に行ってしまった

のです。

帰ってきたら、テーブルの上には海苔の佃煮が出来ていて

初女先生に「直さん、いないんだもの。」と、言われ

何とも、勿体ないことをしたと後悔しました。

その、初女先生の海苔の佃煮が新しいお料理の本に載って

いるのです。

思わず、ヤッターと声をあげそうでした。

あの美味しい初女先生の「海苔の佃煮」には及ばなくても

もどきの味になるかもしれませんから…

食材のいのちを慈しむように作られる、初女先生の愛情が

伝わってくるようです。

母から娘へ受け継がれるお料理の本です。

あとがきの「終わりに、食材のいのちが生かされた

おいしい食事が、皆さまの生きる力となり、また家族の和に

つながりますようにお祈りいたします。」という先生の祈りが

どのお料理からも響いてくるような、温かい優しい

お料理の本です。

思わず「初女先生、ごちそうさまでーす!と、心の中で

言っていました。

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海の向こうの悲しみが…

2014-04-21 18:52:31 | 日記
海の向こうの悲しみが伝わって来るような、冷たい雨が降っています。

韓国の客船沈没事故が起きてから、ずーっとそのことが心から

離れません。

生還を待っている家族は、生き地獄ではないでしょうか…

テレビの映像を観ているだけで、胸が押しつぶされそうです。

なぜ、なぜこんなことが…運命という言葉も非情に聞こえます。

想像できないことが起き、目の前でおこっている事が、

現実味が無く、まるで夢のように思える…

私は、元気で学校に行った息子が、次に会った時は脳死状態

ということを体験した時に、突き付けられる現実の厳しさを

嫌というほど知りました。

海を見つめ、我が子の生還を待っている親たちの苦しみは

計りしれないものです。

何もできません。

ただ祈ることしか…

どうして、こんなことが起きるのでしょう…

今、神さまに問う言葉も見つかりません…
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息子の置き土産

2014-04-20 22:40:36 | 日記
暖かくなり、冬眠していた我が家の亀が動き出しました。

上の子が小学校2年生の時だったでしょうか、家族で富士サファリ

パークへ行き、お土産に売っていたミドリガメが欲しいとせがまれ

買ったのです。

1ぴきでは可哀そうだからと2ひき

小さなミドリガメは、ずっと小さいままだと思っていたのが

大間違えでした。

ずんずん大きくなって、水槽が小さくなり、何度も買い替え

その上、2ひき入れるとけんかをするので、1ぴきづつとなり

今、狭い我が家に大きな亀の水槽が2つもあるのです。

昨日は、主人と水換えをしましたが、一仕事でした。

飼い主だった息子は、早くも天に召され、亀がのこったのです。

何とも皮肉なことですが、息子の亀だからと主人が一生懸命

世話をしています。

鶴は千年亀は万年というから、この亀は私たちより長生き

するよねーと、時々ため息交じりに話しています。

亀の水を換えながら、「亀、買ってー」と言った小さい

息子の姿が思い出され、ふいに来た悲しみに戸惑って

しまいました。

ミドリガメがこんなに大きくなるとは…

亀がこんなに長生きするとは…

息子の置き土産である、2ひきの亀の世話をする主人の

仕事はまだまだ続きそうです。

次男に、結婚する時に亀を持って行ってと言ったら

見事にふられてしまいました。

亀の恩返しなんてあるのかなー

見返りを求めてはいけませんよね。

亀にも無償の愛を、でしょうか…
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林竹二先生を思う

2014-04-18 20:58:12 | 日記
昨日、テレビで佐賀県の武雄市が、学習塾の指導法を組み込んだ

官民一体型学校を開設すると、市長のインタービューや塾の様子を

放映していました。

観ていて、何だかとても嫌な気持ちになりました。

これが学ぶということだろうかと…

確かに勉強は出来るようになるかもしれませんが、子ども達の

学ぶ姿に、何とも言えない怖さを感じてしまいました。

武雄市の市長は、民間の力を活用すると、意気揚々と話して

いましたが、塾ならこのやり方に合わない子は辞めるという

手だてがありますが、学校ではそうはいきません。

このやり方に合わない子は、学校に行けなくなってしまうの

ではないかと、心配になりました。

故・林竹二先生は、学んだことの唯一の証は変わることだと

言っておられました。

林先生の授業を受けている子供たちの映像や写真を、何度も

観ましたが、思考する子供たちの表情に、その思考の

深さを感じ、感動したことを今でも覚えています。

林先生の授業は、活発に意見が飛び合うというものでは

ありません。

授業を通し、子供たちが自分を深く見つめていくという

ものです。

表面的な答えには、林先生がどこまでも追い詰めて行きます。

そして、小学生といえども自分自身と対峙させるのです。

宮城教育大学の学長だった林先生が、定時制高校や沖縄の

小学校…などへ出向いて授業をされていたのです。

先生の授業を受けた後の子供たちの表情が、授業を受ける

前と全く違うのです。

それは、その後の人生をも変えていました。

「学んだことの唯一の証は、かわること」を、林先生は

実践されていました。

今、林先生が生きていらしたら、官民一体校の目指す授業を

見たら、何と言うでしょうか…

人間は考える葦であると、フランスの哲学者パスカルは

言いましたが、私達は思考し判断し行動する生き物なの

です。

林先生の授業を受けている子供たちの、あの静かな深い

表情を忘れることができません。

頭は良いけれど、思考しない薄っぺッたい人間が増えて

いくような、何とも言えない怖さを感じています。

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存在

2014-04-17 23:14:18 | 日記
小さな森東京のYさんが、初めて初女先生にお会いした時のことを

『初女先生は丁寧にもてなしてくれました。

まさに、観音様みたいで目にうっすらと涙をためながら、僕たちと

黙って向き合ってくれました。

そこに存在するだけで、人は大切なメッセージを伝えることが

出来ると感じました。』と、言われているのを読んだ時

「存在」という言葉が私の心の真ん中を貫きました。

そしてその時、天に召されたY君を思い出しました。

ここ一年ちょっと、寝たきりだった彼のその姿が

彼の存在そのものが、深いメッセージを伝えていました。

彼を見て、生きるとは長さではなく、何をしたかでもなく

存在そのものなのだと、思えました。

自分はどんな存在なのだろう?と、思った時に

私はまだ、答えを見つけられないでいます。

Y君、貴方の笑顔と存在が、たくさんの人の心を、

これからも支えてくれると、思います。

Y君、酸素マスクをつけ、ベッドに横たわっていた

貴方がそこにいるだけで、

大切なメッセージを私達に伝えてくれていました。

ただ、そこにいるだけで…

初女先生の存在とY君の存在が重なります。

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パピヨン さなぎから蝶へ

2014-04-15 22:47:07 | 日記
昨日は、Y君を見送りました。

今、私は田口ランディさんの「パピヨン」を読み終わろうと

しています。

キュブラー・ロスの本にある、ナチスの強制収容所に描いてあった

という蝶の絵を、ランディさんが探しに行くところから始まる

「パピヨン」

息子が亡くなった後、「死」とは何か、死んだらどこへ行くのかが

知りたくて、キュブラー・ロスの本も読み蝶々の話が、私も心に

残っていました。

ロスは死とはさなぎが蝶になることだと言っています。

死とは、人間の最終段階ではなく、死は魂の次の段階への過程

さなぎが蝶になるように、肉体という殻から脱皮して別の存在

になることだと言っています。

そして、ダライ・ラマは死とは古い着物を脱ぎ棄てるような

ものだと…

息子の死後、ずっと息子の姿を追い求めていた私には、

キュブラー・ロスの言葉も、ダライ・ラマの言葉も理解する

ことが出来ませんでした。

姿、形を追い求めなくなると、私の中にあった死の概念が

取り払われて、死して終わりではなくなったのです。

ランディさんの本によって、再びキュブラー・ロスの言葉に

そしてランディさんの言葉に向き合ってみると、

私にも蝶が見えてくるような気がします。

22歳のY君のお別れは、どうしようもなく悲しかったけれど

何か、安堵したような彼の顔を見たら、魂の存在となって

本当に自由になったのだと思えました。

真っ黒の表紙の「パピヨン」の隅に明るい色が見えたので

ふと、表紙をはずしてみると、なんと黒の下には鮮やかな

ピンクがあったのです。

「死」が何かをこの本は、装丁が表わしていたのです。

黒い表紙の下に、これほど美しい明るい色があったとは…

ダライ・ラマの古い着物を脱いだ後の着物は、やはり

驚くほど明るく艶やかな着物かもしれないと思えました。

Y君の死を知った時、私が「パピヨン」を読んでいた

というのも偶然ではない気がしました。

  『地球に生れてきて、あたえられた宿題を全部

   すませたら、もう、からだをぬぎ捨てていいのよ。

   からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、

   たましいをつつんでいる殻なの。

   ときがきたら、からだを手放してもいいわ。そしたら

   痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。

   神さまのお家に帰っていく、

   とてもきれいな蝶のように、自由に…
                  キュブラー・ロス』
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