~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

姿の別れは悲しい

2020-09-29 23:41:57 | 日記

夕方、携帯の留守電に昔の知り合いからの

メッセージが入っていました。

かけ直し、話し始めた時いやな予感がしました。

この予感が当たらないといいなと思って

いた時、Gさんが亡くなったのと…

私の大好きな先輩で、忙しい中で毎年

上野の書展に来てくれ、「直の書はいいね~」

と、私を励まし続けてくれた人です。

今年の書展はコロナで中止になったので、

会えなかったのですが、1年前はいつもと

変わらず元気なGさんでした。

病気が見つかった時は、手遅れの状態

だったというのです。

魅力的な人形劇の役者であり

演出家だったGさん

突然の訃報に頭が真っ白になりました。

初女さんは、人の死は姿の別れであって

心の別れではありませんと言われてます。

そのことは、よく分かっているのに…

心の動揺がおさまりません。

昨日の続きに今日があり、今日の向こうに

明日があることが当たり前と思っていますが、

生きるとは、刻一刻の今しかないと

息子を失った時の記憶が蘇ってきました。

魂は永遠だけれど、姿の別れは

やっぱり悲しいです。

明日、会いに行きます…

 

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初女さんを思う時、ご飯が浮かびます

2020-09-28 23:05:27 | 日記

初女さんのお誕生日が近づいてきました。

去年までは、ランディさんたちとイベントを

やっていましたが、今年はありません。

森のイスキアも、今年はオープンするのかな?

何ににおいても、コロナが付いて回る

今ですから…

昨日はオンラインで、ランディさんのご主人の

お指導の下で玄米を炊きました。

納得できる炊きあがりには、イマイチでした。

お米は、本当に奥が深いです。

思えば、お米は神事に使われるものですから

神聖な気持ちで扱わないと、初女さんも

お祈りをするようにお米を洗いますって

言われてました。

初女さんを思う時、あの美味しいご飯が

浮かんできます。

『幸福な一日はおいしい朝ごはんに

 始まります。

 朝ごはんをおろそかにしていると

 なんとなくふわふわして心が

 満たされません。

 

 何より大切なのはごはんです。

 昔から「一粒に八十八の神さまが宿る」と

 言うけれど瑞穂の国のお米には、

 いのちを元気にしてくれる

 不思議なほどの力があるのです。

 

 私はごはんが大好きです。

 毎日欠かさず炊いていますが

 毎回毎回ふっくらおいしく炊き上げるのは

 何十年と繰り返してもむずかしい。

 ごはんの炊きあがりを見るときは

 いつもどきどきしていますよ。

 一生続いていく修練ですね。

           佐藤 初女』

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生きる

2020-09-27 17:20:29 | 日記

悲しいニュースが飛び込んできました。

女優の竹内結子さんが亡くなったそうです。

自死のようです。

三浦春馬さんのことが、まだ昨日のことの

ように感じられるのに…

幼いお子さんを残してなぜ…

8月の自殺者は1849人で、去年の同じ月に比べ

246人増だそうです。

なぜ、私たちの国はこんなに自殺者が多いの

でしょう。

内山興正老師は「我々が一生を生きて行く上で

一番大切なことは、まず何より生きることだ。

生命だ。」と書いています。

岡本太郎氏は「人間の目的は悟ることでは

ありません。

生きるんです。人間は動物だから」と言って

います。

詩人の谷川俊太郎さんは

「僕は若いころから「生きる」ことと

「生活する」ことを区別していました。

人間にとっては生活よりも

生きることの方が大事です。

生活するということは、

どうしても社会との関係で、

給料をもらったりとか、

人とつきあったりすることが必要でしょう?

生きるというのは、人間も哺乳類の

一つとして、命をもった存在として、

宇宙の中で生きるということ。

自分が宇宙の中の存在であると同時に、

人間社会の中の存在であるという

二重性がある…」

と、語っています。

自死する人は、死にたくて死ぬのではない

生きるのが苦しくて死ぬのだと言いますが

底なし沼にいるような苦しみも辛さも

延々と続くわけではなく、その中にあっても

必ず光は、どこかに射しています。

今は気が付ていなくても、

確かに射しているのです。

 

 

 

 

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自分のぐるりの世界を感じる時

2020-09-26 11:48:19 | 日記

自分は、思うように体も動かないし、

人の役に立つことが何も出来ないから

生きている意味がないと言われたとき、

そんなことはない!と強く思うのに、それを

どう言葉にしていいのか…

言葉が見つからず、そんなことはないよと

言うのが精一杯でした。

筋ジストロフィーで安楽死を医師に頼み

亡くなった女性がいましたが…

ドリアン助川さんが、この女性のことに通して

書いていた文章が、心に響きました。

”社会に何らかの働きかけをして生きてこそ

人間だという社会の空気が彼女を

追いこんでしまったのではないか…

社会に役立つために仕事をしたい、お金を

もうけたい…

そういう価値観は否定しないけれど

重要なのは、関係性の中に自分の存在を

見出すことです。

「積極的感受」と言っていますが

人間はこの世界を目撃し、感受する者として

存在するとというとらえ方です。

木、鳥、太陽、音、光、ひと、人工物など

世界の全てを、見たり聞いたり、感じたりして

関係を持つことに生きる意味がある…」

ドリアンさんは、仕事も収入もなかった

40代のころ、多摩川の河原を散歩をしていて

”花が美しいと思う僕が、花との関係の中に

確かに存在し、それだけで十分。

自分の多摩川だと思った。

僕の人生の一部になったのです。

人間社会でダメだけれど応援しているよ、

と生命に励まされた感覚でした。”

と、書いています。

私も苦しくて、一日を生きるのが精一杯と

いう時に、寒さの中で背筋をピンとして咲く

小さな水仙の花を見て、頑張って生きて

行こうと思いました。

自然は神様だという人もいます。

大きな自然も身近な小さな自然も

黙って私たちを支えてくれているのかも

しれません。

道端で咲く花に、”ありがとう”と声を

かけるだけで元気になります。

空を見上げ、言葉を投げかける

そうすると、自分と空との関係が生まれ

晴れ晴れとして来るのです。

私なんて…と下を向いてしまわないで、

自分のまわりに目を向けてみて~

いのちが喜んでいるのが感じられるよ。

きっと…

 

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初女さんはチャレンジャー

2020-09-24 22:47:33 | 日記

友人が、これからは観念を捨てると、

宣言しました。

その言葉を聞いた瞬間、初女さんが浮かんで

きました。

初女さんも観念をもっていない方でした。

71歳で「森のイスキア」を始めるなんて

観念があったら出来ないことです。

90歳を過ぎても「歳だから…」という言葉を

聞いたことがありませんでした。

94歳になって、手料理でおもてなしするのが

難しくなった時、イスキアに来た人がみんなで

お料理をする、そんな新しい森のイスキアに

します!と宣言されたのです。

つくづく凄い方だと思います。

もし、人と比べることと観念を手放したら

人はどんなに自由になるでしょう…

そうだ!私も観念を手放すって自分に言えば

いいんだ。

それだけでも目の前の景色が違って来るような

気がします。

人間って自分で、不自由を作っているん

ですね。

初女さんは、どこまでもチャレンジャー

でした~

『私も、もっともっと働きたいと願って

 います。

 人はいくつになっても航海の途上に

 あるのですから、一歩でも半歩でも進み

 少しでも広がっていきたいのです。

 もうできないと悲観するのでなく、

 希望を持って次の展開を待っています。

     2016年 佐藤 初女(94歳)』

 

 

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初女さ~ん、会いたいよ~

2020-09-23 22:32:24 | 日記

初女さんの「いのちをむすぶ」を見ていたら

ふいに涙が溢れてしまいました。

どうしてだろう?と思ったら、初女さんの

お誕生日、10月3日が近づいていました。

携帯の留守電に入っている初女さんの声も

なかなか聴けません。

やぱり、記念日ってその人の

リアルな思い出が立ち上がって来るんですね。

このコロナ禍、初女さんがいたらどうして

いたかな?

何も変わらず日々の暮らしをしている

かな~

東日本大震災の時は、どうしていいか分からず

初女さんに「私、どうしたらいいの?」と

聞いて「じたばたしない!」と、初女さんに

活を入れられましたが、このコロナ禍は

ひたすら自分と向き合っています。

そして、一生ものの気づきを頂きました。

今、初女さんがいたら深い話ができたのに…

あの頃は一緒に居るだけで嬉しくて

初女さんの言葉の深さがよく分かって

ませんでした。

初女さんと”いのち”の話をしたかったな~

 『ことばだけで考えているうちは

 本物ではないのですね。

 とにかくことばを主にすると

 行いはあとまわしになってしまいます。

 気づきがあったら動きます。

 あなたのそばの大事な人に伝えてください。

 心の奥にはことばを超えた

 いのちの筋があります。

 言葉を超えなければね。

               佐藤 初女』

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レレレのおばちゃん

2020-09-21 23:08:45 | 日記

初女さんが、「私間違ってないよね」と

聞いていた方がいます。

私は、その方は初女さんの精神を最も理解

していた方だと思っています。

その人が、時々「バカボンのパパ、

それでいいのだ」って言うのです。

私は「何言っているの?」と思ってましたが

その意味が、わかりました。

バカボンは(バギャンボン バカボン)で

お釈迦様の尊称で、「これでいいのだ」は

あるがまま、ありのままを受け入れることの

ようです。

バカボン、奥が深しです。

 少し前から、私はゴミ出しに通る路地を

掃くことを始めました。

休みの日に、なるべく人の通らない朝早く

掃いています。

なぜか、自分でもわかりませんが…

なんと、バカボンに出てくる箒を持って

いつも掃いてるレレレのおじさんは

お釈迦様の弟子である、チューラバンタカ

という人がモデルで、この人は物覚えが悪く

自分の名前も覚えられず、笑われて

いたそうです。

ある時、お釈迦様が1本の箒を渡し、

「塵を払わん あかを除かん」と、掃除を

しながら唱えなさいと言ったそうです。

チューラバンタカは毎日唱えながら

掃いていたら”塵とあかは私の執着の心”だと

気づき、今から仏の眼を頂いていこうと

悟ったそうです。

レレレのおじさんを、ただ変なおじさんと

思ってましたが、これも奥が深い。

赤塚不二夫って何者?と思ってしまいました。

このことを知り、私は

レレレのおばさんになって密かに路地を

掃くぞ!と思いました。

度胸がないので、レレレのおじさんのように

堂々とはできませんが…

目指せ!レレレのおばちゃんです。

 

 

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星野道夫の言葉

2020-09-19 20:24:10 | 日記

楽しみにしていた星野道夫さんの写真展が

中止になりました。

星野さんの写真を通し、星野さんの

スピリットに出会えると思っていたのに

本当に残念です。

星野さんの言葉が、このコロナ禍に

深く心に降りてきます。

 『人間の風景の面白さとは、

 私たちの人生がある共通する一点で

 同じ土俵に立っているからだろう。

 一点とは、

 たった一度の一生をよりよく

 生きたいという願いであり、

 面白さとは、そこから分かれてゆく

 人間の生き方の無限の多様性である。』

 

 『あらゆる生命が

  ゆっくりと生まれ変わりながら

  終わりのない旅をしている。』

 

 『人間の生きがいとは一体何だろう

 たった一度のかけがえのない一生に、

 私たちが選ぶそれぞれの生き甲斐とは、

 何と他愛のないものなのだろう。

 そして、何と多様性にみちたものなのか。

              星野 道夫』

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初女さんの起伏の多い人生

2020-09-18 23:01:06 | 日記

初女さんの本に挟んであった2月1日の

朝日新聞の天声人語を読み返しました。

『…起伏の多い人生を送っている。

結核に苦しみ、50代で夫と死別、

80代で息子に先立たれた。

そんな経験から得たものが、心に重荷を

負った人々の胸に届いたのだろう…』

この短い文章の中に初女さんの人生が

見えて来るようです。

80代で初女さんの一人息子を亡くされた時

本当に突然のことのようでしたが、

初女さんは、これで子どもを亡くした人の

気持ちがわかると思ったと、言われてました。

そして、亡くなったその時から、息子と一緒に

いると思ったと…

初めてお会いした時、そんな話をして

下さいました。

本当に起伏の多い人生を歩んで来られたから

人の心に寄り添い、深い愛情で包んで

下さったんだなと、思いました。

それは慈愛と言っても母性と言っても

良いでしょうか…

初女さんを前にしたとき、言葉も交わさず

泣き崩れる人を何度も目にしました。

黙って手を握って下さるだけで、抱えてきた

苦しみや悲しみを受け取ってもらえる

そういう気持ちになりました。

それは、初女さんが深い悲しみや苦しみを

体験された方だからと思います。

私たちは、出来たら起伏の少ない人生を

歩みたい。

悲しみや苦しみは、あまり体験したくなと

思いますが、心が深くなるためには

どうしてもそこを通らなければならないように

出来ているのかもしれません。

私が、亡くなった息子の写真を見せた時の

初女さんの頬を伝わった涙を、

今でも忘れることが出来ません。

初女さんは、苦しみの先にある喜びも

伝えてくれています。

光は、どんな暗闇の中でも差しているんですね。

『すんなり、するすると

幸福になることはなくて

生きていれば、何度でも繰り返し

苦しみがやってきます。

けれども苦しみは決して苦しみだけに

終わることなく

いつか喜びに変わります。

苦しみなくして刷新ははかれません。

真の幸福は、苦しみの中にあってこそ

実感できるものです。

          佐藤 初女 』

 

 

 

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本当の自分とは…

2020-09-17 16:14:32 | 日記

パソコンがメンナンスが終わって戻って

来ました。

もう古いので青息吐息です。

知らない間に色んなものが入っていたようで

だいぶ重くなっていました。

人間も同じですね。

手放して行かないと掴めないって言いますから

手放して、手放して最後に残るものが

やっとわかりました。

和田重正先生が言っている”いのちの世界”が

知りたくて、20年近く求めてきました。

それが、本当の自分に目覚めることだと、

繋がったのです。

では、本当の自分とは何か?

坐っていたら、そのこたえが突然来たのです。

まだ、うまく言葉に出来ないので、

アニータ・ムアジャーニさんが『恐れずに

本当の自分を生きたいと思う人に贈る…』

という本の一節を記したいと思います。

『ただ存在するだけで、

 愛される価値があるのです。

 必要だったのは、

 ただありのままの自分でいること。

 自分の本当の姿である”愛”でいれば

 自分も他人も癒せるのです。』

佐藤初女さんは、愛そのもののような方

でした。

でも、その愛は私たちの中にもあるのです。

初女さんの言葉が深く響いてきます。

『昔のように動けなくなったことは残念ですが

 原点に返ったつもりで、弘前の自宅で

 訪ねてみえる方々をお迎えして、

 いのちを伝える活動を続けています。

 手料理でおもてなしすることも

 ままならないけれど、ひとつの出会いが

 また次の出会いへと結ばれ、融合し、

 うねりとなり、波のように

 どこまでも広がっているのが、

 はっきりと感じられます。

 ひとりひとりに森のイスキアが

 宿っている―。

 そのことがなによりの励みです。

          佐藤 初女 2016年』

 

 

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