年末に講演会に来て下さった方々に、初女先生との記念写真を送り
ほっとし、お正月は忙しくて今まで読めなかった本を読むぞ!と
はりきっていたのですが、元旦にダウンしたり色々あり、
結局読み終えたのは、「この悲しみを知ることができるなら」一冊
だけでした。
この本は、今なお未解決の世田谷一家殺人事件の被害者の
お姉さんが書かれたものです。
新年早々読むには、あまりにも辛い本ではありましたが、
昨日まであった現実が引き裂かれるという、凄まじい喪失が
私の体験とあまりに重なるのです。
「朝カーテンを開ける時が一日で一番寂しい瞬間です。
目覚めると四人のいない世界が待っています」
という箇所を読んだ時、私も同じような朝を迎えていたな
眠っている間だけが忘れられ、目覚めた時から絶望の時間が
始まったのです。
この本には、「世田谷事件・喪失と再生の物語」とい副題が
ついています。
深い深い喪失からの再生語られているのです。
その再生の道程があまりにも自分に重なるので、驚いてしまい
ました。
著者の入江さんが立ち直るきっかけとなったのが、絵本の
読み聞かせでした。
私も、ボランティアで小学校で読み聞かせをしていたのですが
息子を亡くし、学校に行くことも出来なくなっていたのですが
仲間の人に声を掛けられ、再び子ども達の前で絵本が
読めた時に、まだ自分にはこういうことをする力が残って
いたんだと初めて気づき、そこから少しづつ動けるように
なったのです。
入江さんの本の中にも「ヨブ記」が出てきますが、私は聖書の
中で、「ヨブ記」は嫌いでした。
でも、深い喪失の中で思い出したのは「ヨブ記」だったのです。
入江さんは柳田邦男さんに会われていますが、私は柳田先生の
本で、初女先生を知り柳田先生の講演会にも行き、お話させて
頂き、後日先生から息子さんのご霊前にとご著書が届きました。
そして、この本の最後には「夜と霧」を書いた、アウシュビシュ
から生還した精神医学者のフランクルが出て来るのです。
私はフランクルによって、人生の意味を180度転回させられた程
フランクルとの出会いは大きかったのです。
入江さんは、「喪失を経て再び情熱を抱いて人生に向き合える
ようになったのは、何かのおかげとしか言えない…
何より大きかったのは、人との出会いだろう。
たくさんの人に支えられて、ここまでくることができた。」
と、書いていますが、私もまさにその通りです。
この本に出会い、深い喪失から再生へと向かう道は
きっと通るべき道があるのではないかと思えました。
フランクルの『どんな状況でも人生にイエスということが
できるのです。…人間はあらゆることにもかかわらず
困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の
苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下に
あったとしても…人生にイエスという事ができるのです。』
この力強い言葉に心から感動すると書いてありました。
私もフランクルにどれほど励まされたことか…
喪失~再生
どんなに深い喪失を体験しても、人は再生できるということ…
入江さんの「苦しみからの贈り物」を私も頂いた気が
しました。
ほっとし、お正月は忙しくて今まで読めなかった本を読むぞ!と
はりきっていたのですが、元旦にダウンしたり色々あり、
結局読み終えたのは、「この悲しみを知ることができるなら」一冊
だけでした。
この本は、今なお未解決の世田谷一家殺人事件の被害者の
お姉さんが書かれたものです。
新年早々読むには、あまりにも辛い本ではありましたが、
昨日まであった現実が引き裂かれるという、凄まじい喪失が
私の体験とあまりに重なるのです。
「朝カーテンを開ける時が一日で一番寂しい瞬間です。
目覚めると四人のいない世界が待っています」
という箇所を読んだ時、私も同じような朝を迎えていたな
眠っている間だけが忘れられ、目覚めた時から絶望の時間が
始まったのです。
この本には、「世田谷事件・喪失と再生の物語」とい副題が
ついています。
深い深い喪失からの再生語られているのです。
その再生の道程があまりにも自分に重なるので、驚いてしまい
ました。
著者の入江さんが立ち直るきっかけとなったのが、絵本の
読み聞かせでした。
私も、ボランティアで小学校で読み聞かせをしていたのですが
息子を亡くし、学校に行くことも出来なくなっていたのですが
仲間の人に声を掛けられ、再び子ども達の前で絵本が
読めた時に、まだ自分にはこういうことをする力が残って
いたんだと初めて気づき、そこから少しづつ動けるように
なったのです。
入江さんの本の中にも「ヨブ記」が出てきますが、私は聖書の
中で、「ヨブ記」は嫌いでした。
でも、深い喪失の中で思い出したのは「ヨブ記」だったのです。
入江さんは柳田邦男さんに会われていますが、私は柳田先生の
本で、初女先生を知り柳田先生の講演会にも行き、お話させて
頂き、後日先生から息子さんのご霊前にとご著書が届きました。
そして、この本の最後には「夜と霧」を書いた、アウシュビシュ
から生還した精神医学者のフランクルが出て来るのです。
私はフランクルによって、人生の意味を180度転回させられた程
フランクルとの出会いは大きかったのです。
入江さんは、「喪失を経て再び情熱を抱いて人生に向き合える
ようになったのは、何かのおかげとしか言えない…
何より大きかったのは、人との出会いだろう。
たくさんの人に支えられて、ここまでくることができた。」
と、書いていますが、私もまさにその通りです。
この本に出会い、深い喪失から再生へと向かう道は
きっと通るべき道があるのではないかと思えました。
フランクルの『どんな状況でも人生にイエスということが
できるのです。…人間はあらゆることにもかかわらず
困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の
苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下に
あったとしても…人生にイエスという事ができるのです。』
この力強い言葉に心から感動すると書いてありました。
私もフランクルにどれほど励まされたことか…
喪失~再生
どんなに深い喪失を体験しても、人は再生できるということ…
入江さんの「苦しみからの贈り物」を私も頂いた気が
しました。
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