~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

りんごの心イスキアの心

2012-02-29 16:36:21 | 日記
朝、窓向こうは雪でした。

凛とすうような寒さの中を、やっと開いた梅の花が一時でも長く

咲いていたいと、雪と北風の中を懸命に花をつけていました。

みんな、いのち一杯生きていると、感動し力をもらった筈の私は

寒さに震え、今日は一日中家の中でした。

これでは北国には住めないと思っていたら、青森の友達から

「雪大変ね!」とメールをもらいました。

北国では、こんな雪は雪のうちに入らないのかもしれませんが

こちらでは、大騒ぎです。

仕事も休みだったので、イスキアに最初に行った時に初女先生と

一緒に作った、りんごのコンポートを作りました。

あの時、初めて先生とお料理したので、それだけでドキドキして

りんごが同じ大きさに切れなくて、恥ずかしくて仕方なかったのを

今でも覚えています。

先生の隣に座って、りんごを切りお鍋に丁寧に並べていく

何の話もしないで、黙って…

そんな時間が、悲しみで空いた私の心の穴を、気がつかないうちに

埋めてくれていたのかもしれません。

この静かな時間の中で、私は大事にされていると、心から

思えたのです。

   「食材を大事にしながらつくる、

    その気持ちがイライラも和らげてくれます。

    食べ物を大事にする人は、人をも大事にします。」

初女先生のこの言葉が、りんごのコンポートとの思い出と

重なりました。

大事にされることを知った人は、今度はその人が他の人を

大事にする…

冬眠していたイスキアの心が、ちょっと目覚めた今日という

日でした。

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雪の降る夜は…

2012-02-28 19:30:04 | 日記
今日は寒い一日でした。

仕事からの帰り道、早く家に着きたい、と思って帰ってきました。

ストーブの前に坐ると、「雪の降る夜は、楽しいペチカ」と

遠い昔に歌った歌が、ふいに口からこぼれました。

そして、初女先生が思い出され、雪に閉ざされた森にイスキアが

心に浮かんできました。

私は川崎生まれなので、ふるさとと言える自分の原風景を持って

いないという思いが、いつもありました。

でも、森のイスキアを訪れて、人生の後半に私はふるさとに出会えた

と、思えたのです。

「ふるさと」母なる場所に…

そんなことを思っていたら、初女先生の著書の中に「私は森の

イスキアを、どなたにとっても心がおだやかになり、気持ちが

明るくなる場所にできたらと思ってきました。

人をありのままに受け入れる場所、それが「母の心」と

同じだと気づいたのはいつだったでしょか。

 
 どんなときも子どもを優しく見守り、包み込む「母の心」。

私は「森のイスキア」がお母さんのような場所であリ続けたいと

願っています。」と書いてありました。

「雪の降る夜はたのしいぺチカ…」北国のふるさとを想い

初女先生を思いそっと歌ってみると、心にぽっと灯りがともり

母の心に包まれたような、静かな穏やかな気持ちになるのです。

今夜は雪になりそうです…
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どんな時にも傍らに…

2012-02-26 11:58:08 | 日記
先日、ちょっと堪えることがあり、初女先生も色々な思いをして

来られたんだなーと、先生の歩んできた道を思っていました。

そんな時、先生に会いたくて仕方がなくなります。

今月初めにお会いしているのに、こんな贅沢な事を思っては

いけないと、自分を戒めていました。

そうしたら突然、不思議とご縁が繋がって、先生をお呼びしていた

主催者の方が、私にお声をかけてくださり、土曜日に羽田で

初女先生に会える機会が与えられたのです。

私は、先生に会いたいです!なんて言ってなくて、ただ心の中で

会いたいなーと思っていたのです。

それがこのタイミングで、先生と急に会えるようになるなんて…

何だか神様はどんな時でも、傍らにいて下さり、

どんな小さな心のひだも、ちゃんと見ていて下さるという

気がしてきました。

初女先生とは、特別何かをお話ししたわけじゃないのに

大丈夫って思えるのは、先生がたくさんの困難を

乗り越えて今があるからでしょうか…

一つ乗り越えると、また新たな課題が与えられ

立ちどまり、そしてまた一歩を…

最後の一呼吸まで、成長していたいとは、すごいこと

だと思います。

森のイスキアは、今雪に埋もれ自然の一部になり深い眠りの

中にありますが、その間も初女先生は休むことなく

活動されているのです。

感謝なくして前に進めないという、先生のお言葉が

イスキアの鐘の様に、私の心に鳴り響いています。

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死とは

2012-02-24 20:20:22 | 日記
何だか重たい題を書いてしまったなと思いながら、今朝友達から来た

メールを思い出していました。

22日に54歳で亡くなった、知人のお墓参りに行った時

近くに25歳で亡くなった女の子のお墓があり、墓石には

「ありがとう」と書いてあり、近くに行くと涙がでました。という

メールでした。

その情景を心に描いただけで、私も胸が一杯になりました。

遺された人達が、墓石にありがとうという言葉を刻みたいと思う

この女性は、どんなに尊い生き方をされたのでしょう…

息子を亡くした後、死ぬとはどういうことなのか、あの子は

どこへ行ったのか、その答えが見つからないと、自分は前に

進めない気がして、先ず読んだのがダライ・ラマの「死の謎を解く」

でした。

それには、死とは古い着物を脱ぐようなものだと書いてあり、

私にはまったく理解できませんでした。

でも、今あの時とは違い、分からないながらもダライ・ラマの

言葉が体に沈んでくるのです。

「死」が終わりではないと確かに思えるからです。

私は交通事故で亡くなった、風見さんのお嬢さんのえみるちゃんに

会ったこともありません、でも私の心の中にえみるちゃんは

いるのです。

うちの創(つくる)も、創が出会ってない人の心の中に

ちゃんといるのです。

創もえみるちゃんも、亡くなった人達は生きていた時以上に

人と人を繋げ、みんなの心の中で生きているのです。

魂と魂の関係においては、死はないのかもしれません。

そして、生きている者と亡くなった人との新しい関係が

そこに生れていくような気がします。

森のイスキアにある「小さな森」は、初女先生が亡くなった人と

生きてる人が交われる場所として、造られたと聞いています。

小さな森の木々の間から、ぽっかり見える丸い空は

こちらとあちらを行き来きする、天空の途かもしれません。

ありがとうと言える別れは、ありがとうという出会いになって

繋がっていくのですね。

ありがとう 創 

ありがとう えみるちゃん

ありがとう お父さん

ありがとう たくさんの魂(いのち)達…

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悲しい時代に…

2012-02-23 19:42:29 | 日記
私は、時々息子から「お母さんは、こんな悲しい時代なのに

へらへらしている」と、言われることがあります。

その度に、悲しい時代なんて言わないで!と思うのですが

昨日、一昨日の新聞を見ていて、悲しい時代を実感しました。

親子3人が餓死していたという事件

部屋には、飴玉が数個と一円玉が数枚、冷蔵庫は空っぽだったそうです。

その記事がでた翌日の新聞には、くも膜下出血で亡くなった母親の

傍らで、4歳の知的障害のある男の子が衰弱死していたという

男の子の紙おむつは汚れがひどく、1~10日ほど何も口にせず

死亡した可能性があると、新聞には書いてありました。

こんなことが起きるなんて、本当に悲しい…

悲しい時代なんでしょうか、今は…

時代は人がつくるものです。

悲しい時代なんかにしちゃいけない!

先日、スタッフで集まった時に、その中の2人の人が

昔は食卓によく知らない人も一緒に食事をしていたと、

いうのです。

食事の時に、家に来た人は工事の人でも、配達の人でも

母がご飯を食べていきなさいと、家にあげていたと…

それを聞いて私たちは、昔はイスキアがあちこちにあり

初女お母さんが、たくさん居たんだねと話しました。

貧しかったけれど、悲しい時代ではなかった…

マザーテレサの「愛情の反対は、憎しみではなく

無関心です。」と言う言葉が、悲しい時代に重なってきます。
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繋がっているのかな

2012-02-22 20:55:09 | 日記
今朝、時間を見るのにテレビをつけたら、風見しんごさんが

出ていました。

風見さんの話を聞いていたら、朝から涙が溢れてしまいました。

今日は亡くなった娘さんのことを歌にしたCDの発売日だそうです。

風見さんが作詞をしたという詩に、私は自分が重なり、それが涙と

なってしまったのです。

交通事故で亡くなったえみるちゃん。

えみるちゃんが渡ろうとしていた横断歩道を、風見さんは事故後

娘さんの代わりにと、渡りきったそうです。

さすが、父親だなと思いました。

私は息子が倒れた中学には、いまだに行けません。

次男は兄と同じ中学に行きたかったようですが、私は

お兄ちゃんの行った学校には、授業参観があっても

行けないからと、反対してしまいました。

風見さんの奥さんも、まだ横断歩道を渡れないと言ってました。

このCDの歌詞の中の「一番聞きたいことは、僕の涙が君の

邪魔をしていませんか」と言う詩が私の心の琴線にふれました。

悲しくて苦しくてどうしようもないのに、泣くことにも

ためらいを感じ、泣いてはいけないと思いながら、それでも

溢れる涙が止められなくて、泣く度に落ち込んでいました。

「お母さんだもの、涙が出て当たり前よ」と言われると

その時だけは、思い切り泣いて…

風見さんは悲しみを乗り越えて前に進んで行くことを

心に抱き、そのことを詩に託しているようです。

本当にそうです。

耐えて悲しみが薄らぐのを待つのでなく、行動することで

悲しみは悲しみで終わらず、力になってゆくのです。

そして、亡くなった大切な人との、新たな関係が生まれて

いくのです。

風見さんの歌に涙と勇気をもらいました。

何だか、空の向こうでうちの創とえみるちゃんが出会って

いるような気がします。

いつも、偶然のようにえみるちゃんのお父さんの映像に

出会うから…

悲しみを握りしめながら、それを力に進んで行く

風見さんともえみるちゃんとも、繋がっているのかな…





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ハッとする言葉

2012-02-21 23:06:32 | 日記
初女先生の、いまを生きる言葉「森のイスキア」より

この本は、何度読んでも心をハッとさせる言葉に出会います。

    「生活の中にこそ 祈りがあります」

この言葉を前にして、自分の生活にどれほどの祈りがあるだろうと

考えてしまいました。

イスキアで食事を作る時の先生の真剣な眼差しは、祈り

そのものです。

一人ひとりにご飯をよそって下さる先生の姿の神聖さ…

先生は「こころを込めて食事の支度をしたり、一緒に

食卓を囲んだりという、もっとも平凡な営みにこそ、深い祈り

があると思っています。

「食」を、私は「命」だと思っています。ですから、お料理を

作ること、そしておいしく頂くことは、本当に祈りそのものと

言えます。」と言われています。

祈りのある生活を、今の私はどれだけしているだろうか…

ハッとする先生の言葉に出会い、姿勢を正された気がしました。

何度読んでも、その度に気づきが与えられるのが、初女先生の

本です。

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宮澤賢治と初女先生

2012-02-20 22:23:15 | 日記
私は宮澤賢治が大好きで、独身の頃からもし子どもが生まれたら

宮澤賢治の童話を読んであげたいと、賢治の全集をそろえて

いました。

でも、いざ子どもに読んであげようと思ったら、あまりに

難しくて、賢治の世界を伝えられないと断念してしまいました。

今まで一度だけ人前で読んだのは、「ひかりの素足」という童話の

前半だけです。

それでもやっぱり賢治の作品を語りたくて、再び読みだしています。

以前は賢治の想像力はすごい!と思っていましたが、想像の世界に

しては、あまりに骨格がしっかりしていて、もしかしたらこれは

賢治には見えていたし、聞こえていたのではないだろうかと

思えるのです。

鳥の声にも、風の音の中にも、賢治には聴こえているものが

あったのでは…

宮澤賢治という人を貫いているものは「私はあなたであり

あなたは私であり、すべての人はつながっている」という

意識のようです。

このことを知った時、初女先生のおばあさんがよく言っていた

という「他人におこることは、自分にもおこる」という言葉を

思い出しました。

法華経に帰依する賢治の意識とぴったり重なるというものでは

ないかもしれませんが、なぜか私の中では繋がって感じたのです。

賢治は「人間も自然の一部である」と考えていたようです。

きっと初女先生もそうではないかしら…

有名な「雨ニモマケズ」の詩の中の

東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

この詩のここを読むと、初女先生を思い出します。

この「行ッテ」という言葉は、賢治の生涯を象徴する大切な

言葉だそうです。

私には、それが初女先生の行動に繋がるのです。

賢治が花巻農学校の教諭になった年に、初女先生が生まれました。

賢治と同じ時代を初女先生も生きて来たのですね。

同じ東北の地で…

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食べるということ

2012-02-19 11:20:09 | 日記
私の知り合いに、しっかりしているのに見た印象が「ふわふわ」という

感じの人がいます。

気持ちが定まってないというのではないのです。

最初、それはその人の持っている雰囲気かしらと思っていました。

真面目で、一生懸命生きているのになんで、そういう雰囲気が

あるのかなーと思っていましたが、先日その疑問が晴れました。

子どもがいない彼女は、朝ごはんもご主人と自分はそれぞれで

適当にすまし、夕ご飯はコンビニ弁当が多いと言いいます。

家で作る方がお金がかかるからと…

その話を聞いて、あのふわふわした雰囲気は、ご飯をちゃんと食べて

いないからかも、と思いました。

その人は、自分の意見はしっかり持っているのに、なぜか根本の

ところで迷っているようです。

数年前、出版関係の人から30代40代は迷っているから

そう人達をターゲットにした雑誌が、結構出ていると聞いた

ことがあります。

初女先生は、芯が通っていれば揺れてもいいと言われていますが

今、芯がなく揺れている人達が、結構いるような気がします。

やっぱり、ご飯をしっかり食べてないと、芯が通らないのでは

ないでしょうか…

先生は、生活がちゃんとしてないとねと、言われます。

食べることをちゃんとし、生活という土台しっかりすると

自然と芯は育ってくるものなのかもしれません。

初女先生の「食はいのち」が、生きて行く上でどんなに

大切で大きなことなのか、つくづく思いました。

自分には芯がないと悩む前に、ご飯をしっかり食べて

生活をちゃんとすることだと、気づいてほしいです。

今、生き難さを感じている人が、昔よりずっと増えているよう

ですが、私たちのいのちは、食べることによって成り立って

いるのですから、食べることをちゃんとすれば、いのちが

生きいきとしてくる…

いのちとは、私たちが考えているより、ずっとシンプルな

ものかもしれません。

まさに「食はいのち」そのものなんですね。きっと…









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気になる人

2012-02-17 20:10:27 | 日記
気になる人がいます。

前にもブログに書いたと思いますが、北海道大学准教授

中島岳志(たけし)さんです。

まだ、中島さんの本を読んだことはないが、あれっと思う文章に

出会うと中島岳志さんです。

東日本大震災の後の「がんばれ」は被災者を追い詰めているのでは

ないかと、言われています。

私もこの「がんばれ」にかき消されている悲しみや苦しみが

あるのではないかと、とても気になりました。

死についても、中島さんは「死者となった人との間に生まれる

生前と違う関係性。死とは、その人を失ったというだけでなく

出会い直しもしているのではないか。

それは、僕たちがよりよく生きること、自分をごまかさず

向き合うことを要求するような出会いです。

大切なのは、そうした死者と一緒に生きることじゃないかと

思う。未来のことばからり考えるのではなく、死者を思う事で

落ち着いて生きられるのではないか」と言っています。

私も息子の死により、死と向き合いそして今、息子との

ある意味新しい関係を築いてきているような気がしています。

37歳の中島岳志さんの言葉が私の心に、一石を投じます。

中島さんは今の日本の状態を危惧しています。

性急な単純化が怖いと言っています。

「いいか」「悪いか」「AかBか」「賛成か反対か」こんな

二者択一で私たちは進もうとしているのではないか…

ちょっと立ちどまり、中島さんの言葉に耳を傾けてみたいと

私は思っています。です。

今、私の気になる人、その人は中島岳志さんです…



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