~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

それもいいじゃん…

2011-09-29 23:11:40 | 日記
商店街が終わるところで、何年振りかで長男の同級生のお母さんに

会いました。

毎月、息子の亡くなった27日には来てくれていた子でした…

兄弟の多い子で、遊びに行った息子が帰って来て「お母さん、kは

偉いよ、親みたいに下の子の面倒見ていた」と言っていたことを

今、ふいに思い出しました。

彼は、高校に行かず働くことを選びました。

ギターが好きで、バンドをやっていて、「山ちゃんのお母さん

来てよ」と言われ、家族3人で演奏を聴きに言ったら、バリバリの

ロックの世界で、若者が踊りまくっていて、私たち3人は完全に

浮き上がっていました。

ディスコなるところへ行ったのは、あれが最初で最後…

その彼のお母さんにあったので、「調理の仕事してるって聞いて

たけど、元気ですか」と言うと、「今は、パチンコ屋に勤めながら

バンドやってるのよ」という答えが返ってきました。

そうか、早くから働いていたけれど、人生を諦めたりせず、

夢を持ち続け、夢に向かって歩いているんだ!と嬉しくなりました。

K君のお母さんと別れた後、鼻の奥がつーんとして、

ふいに、涙が出てきました。

何の涙だか説明のつかない涙が…

心の奥底にあった悲しみが、ひょっこり顔をだしたのかも

しれません。

まだ、こういう悲しみが自分の中にあるんだと、思ったら

それも、いいじゃん!と空を見上げて言っている自分が

いました。

悲しみが、空にとけていくようでした。



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星空に…

2011-09-28 21:51:19 | 日記
「書」の帰り、夜空を見上げたら星が…

三浦で見たあの星空を思い出しました。

明る過ぎて、星達はまばらに光っているだけですが、それでも思いは

あの夜に繋がり、潮騒さえも聞こえてくるような、そんな気持ちに

なりました。

晴佐久神父さまの本を読んでいたら、「地球上の砂粒の数と宇宙の

星の数では、どっちが多いか」という議論になり、知人の

宇宙物理学者に尋ねたところ「圧倒的に、星です。そもそも宇宙は

開放系ですから、可能性は無限です。閉鎖系の地球上の数値など

比較になりません。」と言われ、晴れ佐久神父様は、すごい。

地球上の砂粒よりも多い星々。新たな星たちが今日も無数に生れ

続けてている、生きている大宇宙。すごい。

と言っていました。

砂粒よりも、星々のほうが多いなんて…

私達の目は、本当に一部しか見えていないのですね。

見えない世界の方が、ずっと多いってこと…

見えないいのちにも、支えられて今のこのいのちがあるってこと

あの夜の星空をみて、守られているんだ!と思えたのは

この見えないいのちを感じたからだろうか…



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おむすびの不思議

2011-09-27 18:09:44 | 日記
先月の今日、初女先生をお迎えに羽田に行ったのです。

まだ一カ月しか経っていないのに、なんだか随分お会いしてない気が

するのはなぜでしょう…

先日、先生が車の中で「来月出る雑誌の写真がいいの。

誰の写真だろうと思っていたら、kさんなの。

お米の一粒一粒まで写っているの。なかなかああいう写真は

撮れないよね」と言われていた、その雑誌を買いました。

写真を見た途端に、あー先生に会えた!と、嬉しくなりました。

私は、kさんの写真が大好きです。

初女先生の祈りまで届いてくるからです。

この雑誌(日経ヘルスプルミエ)は、文も先生と交流が深い

Ⅰさんの文章でした。

読んでいて、あ!私と同じこと言っている、「やっぱりなー」

と思いました。

それは、先生の丸いおむすびのことです。

「三角に握れないから」と初女さんは笑うけれど、指でぎゅっと

握ってお米をつぶさないようにと掌(たなごころ)を使って

握る為自然と丸い形になるのですと…

お米に対する初女先生の思いが、あのまあるいおむすびと

なっているのに、先生はいつも「私は三角に握れないの」と

言われるんです。

やっぱり、Ⅰさんも気づいていたんだなーと、嬉しくなりました。

先生は、「調理する姿勢には、その人の生き方がそのまま反映

されます。

特におむすびは、素朴な食べ物だからこそ、作った人の心が

はっきりと表れてしまう。

ご飯を洗うところから、海苔を巻くところまで、片時も

心が離れません」と言われていました。

私は、初女先生のおむすびに出会うまでは、おむすびは

簡単にすぐに食べられるものとしか、思ってませんでした。

でも、おむすびは、人と人を繋ぐソウルフードであるという

ことを、初女先生の丸いおむすびから知りました。

三浦の講演会で、おむすびを結んでいた時のみなさんの

あの幸せそうな顔は、きっと心も結んでいたからなんですね。

初女先生も雑誌の中で「名前通り、おむすびは人と人を結ぶ

不思議な力があるんですね」と言われていました。

「おむすび」って、いったい誰が名付けたんだろう…

きっと、きっと昔の昔のお母さんかしら…

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おむすびの不思議

2011-09-27 18:09:44 | 日記
先月の今日、初女先生をお迎えに羽田に行ったのです。

まだ一カ月しか経っていないのに、なんだか随分お会いしてない気が

するのはなぜでしょう…

先日、先生が車の中で「来月出る雑誌の写真がいいの。

誰の写真だろうと思っていたら、kさんなの。

お米の一粒一粒まで写っているの。なかなかああいう写真は

撮れないよね」と言われていた、その雑誌を買いました。

写真を見た途端に、あー先生に会えた!と、嬉しくなりました。

私は、kさんの写真が大好きです。

初女先生の祈りまで届いてくるからです。

この雑誌(日経ヘルスプルミエ)は、文も先生と交流が深い

Ⅰさんの文章でした。

読んでいて、あ!私と同じこと言っている、「やっぱりなー」

と思いました。

それは、先生の丸いおむすびのことです。

「三角に握れないから」と初女さんは笑うけれど、指でぎゅっと

握ってお米をつぶさないようにと掌(たなごころ)を使って

握る為自然と丸い形になるのですと…

お米に対する初女先生の思いが、あのまあるいおむすびと

なっているのに、先生はいつも「私は三角に握れないの」と

言われるんです。

やっぱり、Ⅰさんも気づいていたんだなーと、嬉しくなりました。

先生は、「調理する姿勢には、その人の生き方がそのまま反映

されます。

特におむすびは、素朴な食べ物だからこそ、作った人の心が

はっきりと表れてしまう。

ご飯を洗うところから、海苔を巻くところまで、片時も

心が離れません」と言われていました。

私は、初女先生のおむすびに出会うまでは、おむすびは

簡単にすぐに食べられるものとしか、思ってませんでした。

でも、おむすびは、人と人を繋ぐソウルフードであるという

ことを、初女先生の丸いおむすびから知りました。

三浦の講演会で、おむすびを結んでいた時のみなさんの

あの幸せそうな顔は、きっと心も結んでいたからなんですね。

初女先生も雑誌の中で「名前通り、おむすびは人と人を結ぶ

不思議な力があるんですね」と言われていました。

「おむすび」って、いったい誰が名付けたんだろう…

きっと、きっと昔の昔のお母さんかしら…

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有り難うの日

2011-09-25 13:59:06 | 日記
朝目覚めた時、三浦の講演会からもうすぐ一カ月になるんだと思い

ました。

早いのか遅いのか分からないけれど、特別な時間として私の中で

一つひとつのことが、少しも色あせずにはっきりと残っていると感じて

それだけで、何だか満たされた気持ちになっていました。

そして、初女先生のことを思っていたら、思いは通じたのでしょうか

ファックスがスルスルと送られてきて、見たら先生からでした。

先生も三浦のことを思っていて下さったようです。

宿泊の講演会は、深いから…と言われましたが、本当に思っていた

以上に深いものでした。

参加者のみなさんの感じて下さったことや、結びつきが同じ釜の

飯を食べるとはこういうことなのかと、初めて分かりました。

送られて来るお便りや、メールをみると響き合う幸せを感じないでは

いられません。

本当に色々な思いを、人生を抱えここに集って下さったんだなー

そして、響き合い分かち合えた喜びが、あの帰られる時の

皆さんの満たされた笑顔だったんだなーと、思い出してもいまだに

胸が熱くなるようです。

最後の最後に写した、先生と子供達の写真はまるで「二十四の瞳」

の映画の1シーンのようでした。

初女先生の周りに小さい子供達がいて、先生が優しく微笑み

ちょっと歳を重ねた(失礼)二十四の瞳の大石先生みたいです。

しあわせの瞬間を切り取ったような写真です。

宿の若女将さんも、とても喜んで下さっています。

あれから、おむすびが美味しくなったと子ども達に言われたとか…

うちの息子は、自分でおむすびを作って学校に持って行ったり

しています。

野球のボールの様なまんまるおむすびを…

あの講演会に関って下さった方が、みーんな何かしら幸せを感じて

下さったようです。

そして、その幸せのお福分けで、私はまたまた幸せになって

います。

何だか、何もかもに「ありがとう」を言いたいような

そんな今日と言う日でした。

   ありがとう!








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おかえり

2011-09-24 23:02:57 | 日記
「ただいま!」「おかえり!」この他愛もない挨拶がしたくて、

息子を亡くした後随分涙しました。

あんまり思っていたせいでか、夢で息子が「ただいまー」と帰ってきた

ことがありました。

昨日の新聞に「おかえり、小春」という見出しが目に飛び込んで

きました。そして、その記事には重機を操縦する女の人の写真が

添えられていました。

「おかえり」は、あの石巻の大川小で行方不明になっていた

娘さんへのお母さんからの言葉でした。

大川小は全児童108人のうち70人が亡くなり、今も4人の

子供達が行方不明でいます。

小晴さんのお母さんは、小晴さんを探すために6月下旬に教習所に

通い、重機の資格を取り、石巻市から重機を借りて、手掛かりを

求め地面を掘り返していたそうです。

お母さんの思いが通じたのか、9月22日小晴さんの遺体が確認

され「おかえり」が言えたのです。

お母さんは「せめて一部だけでもと思っていたら本当にそうでした。

それでも帰ってきてくれてうれしい」と…

辛く悲しい「おかえり」だけれど、それでもどんなに

この「おかえり」を言いたかったことか…

「ただいま!」「おかえり!」この他愛のない挨拶にある平安を

私達はいつの間にか忘れてしまっています。

「おかえり」を言ってあげられなくて、涙していた私も

いつの間にか、今日一日の平安に感謝する心を忘れていました。

「ただいま」「おかえり」

「おやすみ」「おはよう」





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被災地からの答辞

2011-09-21 21:07:05 | 日記
気仙沼の階上中の梶原裕太君の答辞を、テレビで聞いて涙が出て

しまいました。

彼の答辞は、悲しみを超えた向こうにある人間の素晴らしさを感じ

させてくれるものだったからです。

    
          答辞   梶原 裕太  
        
  階上中学校といえば、防災教育といわれ、内外から高く評価され

  十分な訓練もしてきた私達でした。

  しかし、自然の猛威の前には人間の力は、あまりに無力であり

  私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。

  しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って

  生きて行くことが、これからの私たちの使命です。


これが、あの大震災を体験した中学3年生の答辞です。

この大震災で、どれだけの人が「なぜ」「なんで」を叫んだだろう…

震災を体験しなかった人達も、同じように「なぜ」と言い

日本中の人が、あの映像を見ながら「なぜ」「なんで」と呟いた…

答えの出ないこの問いを、問わずにはいられなかったのだ。

でも、大人達は言えなかった。

天を恨まずとは…

被災地の人達は、悲しみ苦しみに耐え、助け合っていました。

その姿の中に、子供達は自分達の使命を感じていたのです。

ある本に「この世は、実にわからない。

わからないから、実につらい。なぜ自分がこんな苦しい病気に

なったのか。なぜ我が子がこんな困難な障害を背負わされて

いるのか。なぜあんないい人が、こんな事故でいのちを

落とさなければならないのか。だれひとり、納得のいく説明を

してくれないし、どんな理由を並べられても納得できるはずもない

しかし、人間のすばらしさは、分からない事を受け入れて、

尚も生き続けることが出来るというところにある。

人間は、わからなくても信じることができる生き物なのだ。」と、

ありました。

私は、この答辞に、大きな苦しみと深い悲しみの中から放たれる

眩しいばかり光を感じました。

未来は光の中にあることを信じていこう…と思いました。




             
                  

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まるいおむすび

2011-09-20 22:38:45 | 日記
初女先生のおむすびに出会うまで、私は三角のおむすびでした。

初めてイスキアを訪れた時、おむすびを教わり作ったのですが

どうしても三角になってしまいました。

初女先生は「私はまるいおむすびしか出来ないの」と言われてるので

私は、何も考えず東北のおむすびはまるいんだなと、思っていました。

けれど先日ある方から、「なんでおむすびって三角か知ってる?」と

聞かれ、はたと考えてしまいました。

先がとがった三角おむすびだと、早く食べられるからだそうです。

にぎる時も、三角だとキュキュと力が入ります。

だから、おむすびとはかたく握るものだと、私も思っていました。

まるいおむすびは、指でにぎれない、掌(たなごころ)を使わないと

出来ません。

力では結べないおむすびなんです。

やってみると、なかなか出来るものではないと分かります。

まるいおむすびは、急いで食べれません。

ゆっくりゆっくり食べます。

初女先生のふっくらとしていて、くずれないおむすびを

結べるようになるまでには、作り続けていかなければ出来ません。

それには、ごはんの研ぎ方、ごはんの炊き方からです。

奥が深ーい深ーい、まあるいおむすび!

おむすびに見えてくる、初女先生の生きる姿…

     いのちをいただく

  今朝もふっくらおいしそうに 

  炊き上がった

  ごはんが輝いている

  一粒一粒が呼吸している

  毎日はおろか何十年も

  食べているのに飽きもせず

  食べるたびに新鮮な気持ちで

  味わえる幸せを

  かみしめ今日も感謝で生きる


                 佐藤 初女

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時間の謎

2011-09-19 18:25:31 | 日記
やっとパソコン君が返ってきました。

どうも、超デリケートなパソコンのようで、心して扱わなければ…

 実は、ブログを書かなかった間にずーっと持っていた時間の謎が

解けたのです。

初女先生との一泊二日の講演会の時間は、とってもゆっくり過ぎて

いったのに、講演会の終わってからの時間が経つのが早かったこと…

でも、これは私だけが感じている事ではなく、参加したほとんど全員

の方が、感じている事のようです。

同じことがイスキアでの時間にも言えるのです。

これってなんだろう?とずっと思ってました。

その答えを、晴佐久神父様の著書の中でみつけました。

「時間の感じ方は、時計で刻むようなものではなく、その時間内に

脳が何回強い印象を受けたかという回数による。

脳が驚きや感動を感じると、それは脳の中の海馬という器官の

フィルターを通過し、脳の深みに達し、意味のある記号となって

「カウント」される、脳はそのカウント量で時間を感じるので、

カウント量の多いほど時間は長く感じられ、カウント量が少ないと

時間が早く過ぎてしまう。」と書いてありました。

子供の頃は、感動や驚きが一杯あるから、一日が長く感じられ

のです。

歳を取るとともに、時間がたつのが早く感じられるのは、

感動や驚きが少なくなってきたからなのでしょう…

初女先生と過す時間は、満たされているから、深い感動に

包まれているから、ゆっくり過ぎていくのですね。

こうやって見てみると、一日が一カ月が、一年が

あっという間に過ぎて行く私は、なんと感動のない時間を

過しているのでしょうか…

今朝、テレビで93歳の画家の堀文子さんの番組がありました。

堀さんは「息の絶えるまで感動していたい」と言われて

いました。

初女先生は、「今日と明日と同じ日というのは嫌い。

どんな些細なことでもいいから、今日と明日は違わないとダメ。

だから今の年齢でできることを精一杯やるのです。

精一杯生きていれば、必ず気づきはあるものです。

どんな些細な気づきでも、気づいたことを体験にまで高めようと、

努めていれば長い年月の間に、それが必ず大きな積み重ねに

なるのです。」と言われています。

気づきは感動でもあります。

初女先生と過す時間が、ゆっくりゆっくり過ぎていく

その謎がやっと解けました。

幼い頃、一日はたっぷりあり、時間がゆったりと流れて

いました。

私は、あの頃の時間をすっかり忘れて大人になってしまい

ました。

気づき、感動し、驚き、あの頃の時間を取りも出したいな…

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同じ月を…

2011-09-13 07:51:28 | 日記
先日、テレビで十代の女の子に、なんで援助交際をするのかと

聞いている番組がありました。

その子は、「こんな自分でも必要としてくれる人がいると思うと

生きてるって思える」と言っていました。

十代の子の口から、こんな言葉が出てくるとは…

私達は決して一人じゃない、繋がっているのです。

昨日のまんまるお月さまを見ていた人が、何人もいました。

同じ月をみていたのです。

それだけで繋がっていることを感じませんか

初女先生には、滅多に会えません。

でも、初女先生を思うだけで、それはもう繋がっているのです。

思いは時空を超えると私は信じています。

どんなにダメな自分でも、お月さまは太陽は分け隔てなく

照らしてくれています。

孤独に負けそうになった時、空を見て下さい。

宇宙を感じて下さい。

私達はいつどんな時にも大きなものに、見守られているのです。

私達って、愛されて存在しているのです。

空を見上げて、そのことを感じてください。

同じ月を見ていたことが嬉しくて、思わず書いてしまいました。
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