~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

不意に訪れる涙

2010-08-31 22:23:19 | 日記
夏から秋になる時、空気が少し澄んできたのを感じただけで

「あーあの子が亡くなった秋がやって来た」と、落ち込んでいましたが

初女先生の講演会をやった年、初めて秋っていい季節だったんだと、

思えるようになりました。そして今年は、あまりの暑さに秋を待って

いる、そんな自分がいます。

先日、「4分の1の奇跡」を観に行った時、上映会場が息子の行って

いた幼稚園の近くだったので、懐かしさに包まれる思いで歩いていた

ら、会場の前にある公園に来た途端、涙が溢れてきてしまいました。

幼稚園の帰りに、子供とよく来た公園で、ブランコも水飲み場も

水の流れる水路も、まるでタイムスリップしたように、あの頃のまま

でした。子供を思い出した訳じゃなくて、その風景を目にしただけで

涙がでてしまいました。

自分の中にある悲しみを見たような気がしました。

深い悲しみは、本当に不意の涙となってやってきます。

以前は、そんな涙も受け入れられなかったけれど、今は

「お母さんだもん、仕方ないさ。」と思えるようになりました。

こういう涙は、何年たっても溢れてしまいそうです。

だって、私はあの子のお母さんだから…
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青虫が蝶になるって

2010-08-30 22:18:36 | 日記
いつか、いのちの素晴らしさを伝えたいと、そんな思いから
数年前から語りの稽古をしています。
師匠は、一人語りの第一人者である古屋和子さん。
ずーっと自分が響いた作品を稽古してきましたが、今なぜか自分の
対極にあるような、三島由紀夫の作品に取り組んでいます。
心に伝わる語りを目指すには、いろいろな作品をやってみなければと
三島由紀夫の短編を選んだものの、やっていて苦しくなって
しまいました。
「やっぱり、私には合わないみたい…」と言うと、古屋さんが
「こんなことを聞いたことがあるの、青虫からどうやって蝶に
なると思う?さなぎの時に、一度どろどろになるって…
科学的なことは、分からないけれど変わろうとする時
一度ぐちゃぐちゃになるのも、必要なことじゃない」と…
私は、ぐちゃぐちゃの段階で逃げようとしてました。
今日、すごく集中して読んだら語りの仲間の人に、初めて話が
分かったと言われました。
そうだ、この作品を選んだ時、サスペンスのようだけれど、そこにある
戦争の悲劇に、読んでみたいと思ったのだ…
青虫から蝶になるのは、きっとたやすい事ではないのかもしれない。
でも、逃げないで耐えて頑張って、あんなに、まったく別の生き物
のような蝶になれるんだ!
ぐちゃぐちゃになって苦しむのも、また良し!なんだ。
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世界を変えるって

2010-08-29 22:17:00 | 日記
今日、養護学校の先生のドキュメント「4分の1の奇跡」という
映画を観てきました。
「みんな違ってみんないい!」「ありのままの、あなたでいいんだよ」
というメッセージがどの場面からも感じられ、養護教諭のかっこちゃん
と、子ども達の響き合う心に感動しました。
何と素敵な先生でしょう、かっこちゃんは。
映画の中で、「かっこちゃんの様な人が、1000人いたら世界は
変わる」と言っているのを聞いた時、世界を変えるなんて出来っこ
無いと思っていたけれど、そうなのかもしれないと思えました。
もし、初女先生のように、心から話聞いてくれ、すべてを受けとめて
くれる人が1000人いたらどうだろう…
初女先生やかっこちゃんに、少しでも近づきたいと思う人がいる
だけで、世界は変わってくるかもしれない…
世界なんて大きなものでなくても、自分のぐるりが変わってくるかも
しれない。
ダライ・ラマが世界平和は、ひとり一人の心の平安からと言って
いましたが、そうなのかもしれない。
世の中を変えるのは、政治家のような気がしていたけれど、仕組みを
替えるのが政治家で、ひとり一人の心が自分達のまわりを、社会を
世の中を、そして世界を変えて行く…
なんて思ったら、私に出来ることが少しはあるように思えて
きました。
初女先生やかっこちゃんなど、心響く人に出会ったら、その人に
少しでも近付きたいと、目指したら、そういう人が増えていったら
生きてることが嬉しいと感じられる世界になってくるかもしれない。
宇宙から見た地球は、国境なんてどこにもない、美しい青い星!
その星に生れたってこと、生きているってこと、それだけでも
奇跡のように素晴らしいって事に、今日気づきました。

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信じて進もう

2010-08-28 21:14:48 | 日記
今日は、初女先生の講演会で歌を歌って下さった、高山千代美さんの
ふるさと宮崎でのコンサートでした。
口蹄疫の為に、中止になるのではとハラハラドキドキしたり、本当に
いくつもの山を乗り越えての、宮崎コンサートでした。
大変だった分、きっと深く響き合うものになったと思います。
今朝、高山さんに「大丈夫、信じて進も!」とメールをしました。
石橋を叩いて渡る人もいるけれど、私は立ち止まってみるか、
信じて進むかのどちらかです。
大抵は、信じて進んでしまいます。
初女先生の講演会の準備をしている時も、何度も自分に
「信じて進も」と言っていました。
もう限界と思えることも、信じて進むと乗り越えられるような、
気がします。
初女先生は「限界をひとつ乗り越えると、また限界が出てきます。
      限界をひとつずつ乗り越えることによって
      人は成長しますし、その過程は
      生涯続くものだと思います。」と…
そして、また何かに取り組む時、ある限界までは、誰でも出来ること
だと思います。けれども、そこを一歩超えるか超えないかが、大きな
違いになると思うのです。と言われています。
大きなものを乗り越えた、高山さんの歌は心の深いところで、響き
あったことでしょう。
これからも、「信じて進んで行こう!」    
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月明かりに照らされて

2010-08-27 19:24:46 | 日記
「暑さが重く垂れ込めている」これは、三島由紀夫の小説の
一節にあった言葉ですが、今年の夏はこの言葉を身をもって
知ったきがしました。
それでも9月の声が聞こえて来ると、夕方は昼間の暑さを忘れさせる
ような、涼しい風が吹いてきます。
科学的ではないけれど、私は何だか風の生まれるところがあるような
気がしてなりません。
この心地よい風は、暑さに耐えてる私達への風のふる里からの
宅急便のようです。
空も確実に高くなっています。
夜中、外があんまり明るいので、窓を開けてみたら月明かりでした。
お月さまがこんなに明るいとは…
昨日は、露天風呂から海を照らしている月をみました。
母さんを慕う子供の様に、金星がお月さまの側で輝いてました。
私は、このお月さまにどんなに支えられたことか…
夜になると、まるで息子に会いに行くように、お月さまを見に行って
いました。
雨の日、曇りの日は月が見えません。
でも、見えないけれど確かにある…
そのことが、息子が存在している証明のようで、淋しさで
折れそうなる心を、支えてくれていました。
お月さまを見ていると、どんな時も、何があってもお月さまは
見守っていてくれると、思えるんです。
満月2日の月はべっぴんさんでした…
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「グリーンマイル」への道

2010-08-25 23:39:44 | 日記
深夜に放映した映画を、主人がビデオに撮っていて、テレビが
新しくなったので、家族3人で観ました。
「グリーンマイル」随分前にアカデミー賞を取った映画です。
死への道が、グリーンマイルなのですが、深くそして映画の
面白さが充分感じられる、久々の感動ものでした。
明日、熱海に一泊で行きます。
叔父の病気がだいぶ進んだようで、みんなに会いたいという
叔父の思いに、親戚が集まることになりました。
姪として参加するのは、私と姉だけです。
叔父は私達の家から大学に通っていたので、親戚の人達中でも近しい存在でした。
体の弱かった叔父は、いつも勉強していて運動らしい運動は出来な
かったようです。
でも、早慶戦があると行き、当時早稲田のシンボルだった「ふくちゃん」
の応援グッズをお土産に持ってきてくれました。
岩波の児童書を買ってくれたのも、大学生だった叔父でした。
まだ小さな私達に、いいものと与えようと、アルバイトのお金が入ると
買ってきてくれました。
叔父の部屋に飾ってあった弥勒菩薩の写真に、美しいという日本語を
知ったようなきがします。
その叔父が皆に会いたいというのです。
私も人生のゴールが見えて来た時、こんなふうに会いたいと思うの
かなーと、叔父の気持ちに自分を重ねてみました。
そんな、明日を前にして主人と子どもと「グリーンマイル」の映画を
観たことが、何だか偶然でなく叔父と会う意味を自分の中に反芻すろ
ことだったにのかなと、思いました。
映画の最後に「誰もがグリーンマイルへの道を歩いている」と言ってました。
グリーンマイルへの道のゴールがいつ来るのかは、誰にも分かりません。
だから、やっぱり「今 ここを」なんですね。
明日は、感謝の気持ちで叔父に会いに行こう!
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母の心で…

2010-08-24 23:16:47 | 日記
息子が、4泊5日の予備校の合宿に行っています。
それまで、ゆるーい夏休みを送っていたから、どうしているかしらと
気になります。
主人に「まだ、あの子何を勉強したいのかも何も決まってないのよ」
と言うと「君は決まっていたのか」と返され返事に困ってしまいました。
どうも母親というのは、自分のことを棚にあげて、子供に求めてしまう
ところがあるようです。
偶然開いた雑誌に、こんな私への初女先生のお答えが載ってました。
  親は自分の願望でなく、子供の心の芽が育つよう、子供と心を
  通わせ、そしてサポートしていくこと。
  言葉ではなく親の生き方、姿そのものが教えになりますから、
  親がはっきりと信念を持つことだとおもいます。
  
  よい学校に入っても、仕事の能率がよくても、人として
  の道ができてなければ、結局様々な問題が出てきます。
  やはり人としてどう生きるか、その人その人が持って
  いるものをどう生かすか、私はここが大切だと思って
  います。   
         佐藤 初女 

明日、息子は疲れ果てて帰ってくることだろう。
私に出来ることは、美味しい食事を作ること!
余計な事は言うまい。
そう、母の心で迎えよう…
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柳澤 桂子さんに想う

2010-08-23 23:09:51 | 日記
ずいぶん昔、柳澤桂子さんが「後、何十年かしたら、人がなぜ信仰を
(広い意味での信仰と思われる)持つか、生命科学で解明出来る
だろう」と言われているのを読んだことがあります。
その時、それが解明されるまで生きていたいなーと、漠然と思いました。
私には、人が人と成り得た時に、もうすでに信じる心が備わっていた
ように思えるからです。
初女先生は、「素直な心が信仰の根源」と言われています。
心が素直になった時、人の心には信仰が生まれてくるのでしょうか。
柳澤桂子さんの訳の般若心経は、宇宙に繋がるものを感じます。
その柳澤桂子さんが、素敵なことを言ってました。
  「愛はこだまする
   人の心は、愛に感応する力を持っている。
   我を捨てた人は、相手にも我欲を捨てさせる力を持つ
   愛は、美しい音楽のように相手の心に浸透し、
   さらに美しい音楽として送り返されてくる。」
この言葉を目にした時、初女先生のお姿が浮かんできました。
そしてふと、私達は母性という愛の種を持って生れて来ているのでは
ないかだろうか…
初女先生は、女性にも男性にも母性があると言っておられました。
その愛の種を育み、母性という愛にまで成長させることが
私達に課せられているお役目ではないかと…

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ブラウン管テレビ

2010-08-22 23:42:16 | 日記
ブラウン管テレビの寿命が来たのか、画面が緑と黄色の状態が
ずっと続いていました。
何度も復活したテレビなので、エールを送り直ることを期待して
ましたが、もう限界と今日主人とテレビを買いに行きました。
買った後でふと、「創(つくる)が観ていたテレビ」だもんね」という
言葉が漏れてしまいました。
3人とも、テレビが壊れても買い替えられなかったのは、その思いが
あったからなのに…
このテレビの前で、チャンネルの取りあいで兄弟げんかをしたり
ゲームをしたり、たくさんの思い出のあるテレビです。
創が倒れた時、私達は兄のこの姿を9歳の弟に見せられないと
思い、最初の日は会わせませんでした。
でも、もう難しいと分かった時、会わせないと後悔することになると
思い、「お兄ちゃんは、いつものお兄ちゃんじゃないから
驚かないでね」と言って集中治療室に連れていきました。
変わり果てた兄を見たあの子の口からでた言葉は、私達の予想も
しないものでした。
「お兄ちゃん!おれ一人でテレビ観るの嫌だよー!」と兄にしがみつく
ようにして泣きながら言ったのです。
そのテレビが壊れてしまったのです。
テレビの好きだった創の祭壇は、テレビの真正面の特等席にあります。
いつも私達家族がいる部屋です。
野球もアニメもお笑いも、いつも一緒に観ているような気持ちでいました。
だから、創が観ていたテレビが無くなるというのは、なんとも言えず
淋しいんです。
初女先生は、石でも机でもすべてにいのちがあると言われています。
兄弟喧嘩を見て来たテレビ、兄を亡くした淋しさをテレビで紛らわして
いた弟を見て来たテレビ…
テレビにもいのちがあるなら、私達の悲しみも乗り越えてきたものも
みんな知っているんですね。
愛すべきブラウン管テレビさん、さようなら 
そして、ありがとう 
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繋がるいのち

2010-08-21 23:29:53 | 日記
私の父が好きだった昔の遊びに、子供の顔を指差しながら
「ここは、じいちゃん似んどころ(似ているところ)ここは
ばあちゃんにんどころ ここは父ちゃん似んどころ…」というわらべ歌
とも昔遊びとも言えないものがあります。
父は「昔の人ってすごいよなー。こうやって、小さい子供にいのちが
繋がっていることを、教えていたんだから…」と感心してました。
本当に、どこか一つのでも途切れたら私という人間はいないのですか
ら、沢山のいのちに支えられ、自分が存在してるってことなんですよね。
息子のいのちは途切れたけれど、あの子の思いはちゃんと繋がっています。
13歳で歳を重ねられなくなったけど、18の弟にとっては、やっぱり
お兄ちゃんはお兄ちゃんなんです。
いのちの繋がりは心の繋がりでもあるんですね。
3人になっても、やっぱり私達は4人家族なんです。
今、この国で変な事が起こってます。
亡くなっていたり、所在が分からなくなっているのに、書類の上では、
歳を重ね生きているお年寄りが、全国に沢山存在していたのです。
長寿国日本!はそういう病巣の上に成り立っていたのかもしれない
のです。
紙の上だけで生き続けている人は、何だかその人の生きて来た人生
そのものが、無かったかのように思えて来てしまいます。
何でこんなことが、私達の住んでる国で起こっているのでしょうか。
いのちが、人の心が繋がらなくなってきているのでしょうか。
新聞やテレビが、新しい事件を追いかけて、このことを忘れ去ったと
しても、私達は忘れてはいけないと思いました。
「ここはじいちゃん似んどころ ここはばあちゃん似んどころ…」
この遊びを生みだした、昔の人の思いを受け継いで、いのちを
心を繋いでいかなければ…
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