今日で9月も終わりです。
夕方、風を感じながら歩ていたら、昔のことが
思い出されました。
風は目には見えないけれど、確かに在る・感じる
だから、息子の姿が見えなくても息子は消えて
なくなった訳ではない、私の目に見えないだけ…
この言葉を何度呟いたことだろう
見えない風に、見えない息子を探していた私
今は、いのちは永遠だと信じられる
だから、風に吹かれても涙が出なくなった…
初女さんは言っています。
「人の死は姿の別れであって、心の別れでは
ありません。」と…
信じるということは
この世の限界を超えることです
宇宙を味方につけることです
奇跡が起こらない訳がありません
葉祥明
今日は、鎌倉の葉祥明美術館に行きました。
美術館の前に来ると、いきなり私の目の前に
黄色い蝶々が現れたのです。
蝶々は、美術館の庭の中に飛んで行き、ひらひらと
舞っていました。
いつもの小さい羽根の黄色い蝶々です。
黄色い蝶々は、息子だと思っています。
私が葉さんのところへ来たのを喜んでいる
ようです。
美術館でシスター高木のお話を聴きました。
本当に優しい人は強いと、初女さんをみていて
思いましたが、シスター高木も強い方だなと
感じました。
帰り道、円覚寺の階段のところに来ると
また黄色い蝶々が目の前に…
息子がナビゲートしてくれているような
今日という日でした。
葉祥明さんは、絵もですが詩も心に響きます。
母親というものは
母親というものは
無欲なものです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれることを
心の底から願います
どんな高価な贈り物よりも
我が子の優しいひと言で
十分過ぎるほど幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから
母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです
葉祥明
昨日、森のイスキアのスタッフからお便りが
届きました。
「10月1日から5日までイスキアを開放し、
訪れて下さる方々と自然な形で触れ合いたいと
計画しているところです。
特別なメニューを持たず、どのようになるのか…
きっと初女先生が導いて下さると信じて…」と
書いてありました。
読んでいて、そう初女さんは導いて下さる!
初女さんは、いつもそうだったと思えました。
今もひとり一人の心の中に生きている初女さん
でも、やっぱり会いたいな~
(イスキアは10時頃から13時半ぐらいまで
開けて皆さんをお待ちしているそうです)
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横須賀に暮らしていると分からないのですが、
先日、虎ノ門方面に行ったらオリンピックに
向けて、建設ラッシュが物凄い勢いで進んで
いるのにびっくりしました。
聞くところによると、何丁目というそこを全部
郵便局まで企業が買い取り、ヒルズを作るようです。
町が無くなって行く、そんな気がして恐ろしさ
を感じました。
高輪の友達の処へ行った時も、この道の向こうの
ビルが全部壊され新しくなると言ってました。
オリンピックに向け、何が始まっているのでしょう
人々は、バブルの到来を期待しているのでしょうか
3・11の東日本大震災で、日本中が立ち止まり
生活や経済、社会の在り方や今までのことを
見つめたのは、何だったの?
それらはすべて過去のこととして通り過ぎて
しまったの
復興五輪は何を目指しているの…
新聞に千葉の停電のことが載ってました。
倒木による停電の復旧は大変なものです。
原因は山林の手入が行き届いていないからだ
そうです。
日本は、フィンランドやスウェーデンに並ぶ
「森林大国」だそうですが、高度瀬長期の
供給不足を補うため国は、木材輸入の拡大に
踏み切り、安い輸入材が入って来て、国産材が
売れなくなると働き手も流出し、林業は衰退の
一途をたどり森林は放置されたままになった
そうです。
人工林は育てて、切って、また植林するという
サイクルを繰り返していれば健全な森であり続け
きちんと伐採している森林は風や雨にも強く
それを怠ると保水力が落ちて倒木しやすくなり
災害に弱い森になるそうです。
復興五輪に向けた建設ラッシュが高度経済成長の
時と重なるのは私だけでしょうか…
私たちの国はどこに向かっているのでしょうか
私たちは望んでいるのもは何?
もう一度、立ち止まって見つめなければ…
10月3日の「いのちのエール」の全ての
イベントが満席になりました。
有難うございます!
今年も初女さんのことをみんなで分かち合う
そんな豊かな時間になると思います。
10月が近づいてくると、初女さんに
会いたい気持ちが強くなります。
初女さんのお誕生日が10月3日
息子の命日が10月27日
悲しみの向こうにあった初女さんとの出会い
それは、天が与えて下さった贈り物のようです。
『大切な人の死は悲しいことですが
悲しみにおぼれてはいけないと思います。
人の死は姿の別れであって、心の別れでは
ありません。
悲しみも苦しみも捧げて
亡くなった人が生前望んだように
生きて行くことが
いちばんの供養であり、自分の慰めにも
なります。
かけがえのないものをなくされた方には
いつか大きなものが与えられますよ。
佐藤 初女 』
10月3日が近づいて来ました。
初女さんとランディさんのお誕生日です。
同じ誕生日というご縁は、何でしょうね~
私が初めてランディさんにお声をかけたのが
「ランディさんって、初女さんと同じお誕生日
なんですか?」でした。
その一言から、ランディさんとのご縁が繋がり
初女さんとランディさんの対談が実現したのです。
初女さんが亡くなってから始まった
「いのちのエール」のイベントも4回目に
なります。
そして、今年で最後になります。
淋しいけれど、終わりは訪れるし、終わりは
新しい始まりかもしれないし…
最後の「いのちのエール」は、どんな集いに
なるでしょか
去年は、温かい愛に包まれた時間でした。
思い出すだけでも、あの温かさが蘇って
来るようです。
初女さんと二人でいた時に、初女さんが
「私が動けなくなっても、動いていくのが
本当なの」と、言われたことが心に残っています。
初女さんの姿は見えませんが、きっと大きな
お働きをなさっていると思います。
見えない初女さんに支えられて、私はおむすびを
結んでいます。
天のお母さん・宇宙のお母さんになられた
初女さんから見れば、私たちは誰もが子ども達
だから、困った時、悲しい時、苦しい時に
天に向かって言葉を放ってみるの
「初女さん、私どうしたらいいの?」って
必ず、何かしらのおこたえが返って来る気が
します。
初女さんに出会った、出会っていなんて
関係なく
初女さん!と呼びかければ、初女さんの愛に
包まれると、私は信じています。
初女さんは愛の人だから…
ね!初女さん、そうですよね。
初女さん!「いのちのエール」に来て下さいね~
昨日は、成増の奈の里でおむすび講習会でした。
12名の参加者のうち初女さんに出会っていた方は
お二人でした。
初女さんのことをお話して、おむすびを結んで
行くと、心を込め丁寧に作るということから
初女さんを感じて下さるようで、本当に嬉しく
なりました。
今、お料理の軸は時短・簡単にあるように思います。
初女さんは”湯がく”と”茹でる”には違うのと
言われていましたが、今は湯がくも茹でるもなく
ラップをして、電子レンジで「チン」です。
食材をいのちとしてとらえ、そのいのちが一番
生かされることを考えて調理をしていた初女さん。
食べるものほど、ストレートに伝わるものはない
と言われ、手間を惜しまず台所に立たれていた
初女さん
お米には力が宿っている、ご飯は日本人の
食事の基本ですと言われ、講演会では必ず
「日本は瑞穂の国と言われ」とお話しされていた
初女さん
その初女さんが生涯をかけて伝えていた
おむすび
ご飯と塩と梅干しと海苔
シンプルだから難しいのと言われ、
「おむすびは簡単でないんだよ。
おむすびはご飯が一番なの(ご飯の炊き方が
一番大事)と、会う度に何度も言われていた
初女さん。
私は、まだまだ初女さんのおむすびには遠く
及びませんが、初女さんのご飯の炊き方
初女さんのおむすびを伝えたいと思っています。
初女さんのことを知らない人たちが、丁寧に
作るということ、丁寧に作ったものの味わいの
深さを感じて下さっています。
それはどこかで、初女さんの生き方に繋がって
いるような気がします。
私に出来るのは、小さな小さなことです。
その小さなことをやり続けて行くことが、
私の人生なのかなと思っています。
初女さんを感じ分かち合えた嬉しい、嬉しい
おむすび講習会でした。
今日も友達が手紙を送ってくれました。
心響いた言葉を書き写して、分かち合って
くれるのです。
メールでもなく、コピーでもなく手書きで…
その手紙を貼っていったら、厚い大学ノート2冊に
なりました。
今日の言葉も心に留まりました。
「親友」についてです。
若い頃は、この”親友”ということに、ジタバタ
していたような気がします。
送ってもらった言葉を読んで、何だかストンと
きました。
親友
大抵の人は、親友をほしいと思っています。
若い頃には、友達の間ばかりでなく、
親や先生との間でも同じですが、自分が理解され
愛されることばかり要求して、その要求が
満たされないと「わかってくれない」などと
言いたくなるものです。
しかし反対に自分が相手をそんなに
よくわかっているだろうか、そんなに深く
愛しているだろうかと考えてみたら、
その要求は全く無理であることがわかるでしょう
つまり人間というものは、どんなに親しくても
別人は、やはり別人であって、何から何まで
理解し合えるものはないことを知らなければ
ならないのです。
私はそういうことに気づいた時(それは大人に
なってからですが)それまでの自分本位の
勝手な考えをとても申し訳なく、恥ずかしく
思いました。
そして、誰に対しても、そのような欲張った
要求を持たなくなったら、急に友達がとても
親しく感じられるようになりました。
それからは、特別な親友というものを求める
気がなくなり、誰でも親しくしてくれる人は
みんな有難い友達だと思うようになりました。
物や金をむさぼるのも浅ましい根性ですが
人の心をむさぼるのも同じことだということに
気づかなければならないと思います。
心の安定は何事によらず、与えられたもので
満足してむやみに、むさぼらないことに
よってのみ得られます。
和田重正 あしかび全集より
息子が家を出て、お弁当作りがなくなり朝の時間が
空いたので、毎朝30分正坐を始めました。
4月から始めたので5ヶ月が経ちました。
何も期待せず、ただ坐っています。
友人が送ってくれた和田重正先生の文章を読み
坐るということの意味に、驚きました。
正坐
バケツの濁り水を動かさずに、静かに置いとけば
自然に埃が沈んで水は澄んでくる。
人間もガサガサしていると心の中がひどく濁って
ものが正しく見えない。
頭ものぼせてよく働かなくなってくる。
この濁りをとろうとして、色んな方法を講じても
ますます濁りを増すばかりだ。
ただ黙って教えられた通り坐っていると、
自然に濁りがとれて心が明るく、目がよく見え
頭も軽く働くようになるものだ。
どうしようとも思わずに、一切成り行きに
まかせて放っておきさえすればよい。
自分で鎮めようとしなくていいのだから、
これほど楽なことはない。
こんな楽なことを毎日実行していると、
いつの間にか心が澄んで頭が良くなるのだから
面白い。
一年も続けていれば、誰でも見ちがえるほど
心が澄んで軟らかく、また頭もよくなって
くるだろう。
そして、それが必ず顔にあらわれる。
和田 重正
昨日のブログで、お鍋でご飯を炊くやり方を
載せたら、何人もの人がシェアして下さいました。
私の子どもの頃は、母がお釜で炊いていました。
おこげをもらいたくて、お釜の蓋を開けるのを
今か今かと待っていたのを覚えています。
いつの頃からか、私たちの生活はこんなにも
電気に依存するものになっていたので
しょうか…
一昨日、買って半年しかたっていない掃除機の
調子が悪くなり、電気屋さんに持っていくと
修理するかどうかも含め、2週間かかると
言われて、座敷ほうき探していたら職場の人が
貸してくれました。
昔はどこの家にも箒がありました。
掃除機が普及しても座敷箒は健在でだったのに…
我が家は去年から電子レンジが壊れたのを機会に
電子レンジなしの生活にしました。
困るかと思っていたら、全然大丈夫なんです。
トースターもありませんが、魚焼きの火加減を
調整すれば、こんがりとあっという間に焼けます。
ご飯の温めは、蒸し器で出来るし
初女さんは、スープを作るのにミキサーは
使わず、すり鉢でした。
すり鉢を使って南瓜スープを作ったら、
ミキサーを使った時と味が全然違って、実に
美味しかったです。
野菜の気持ちになれば、そうだろうな~と
思います。
子どもの頃は、お風呂も薪だったし。
暖房は、練炭をおこして掘りごたつに入れて…
昔は、停電もよくあったからでしょうか
こんなにも、電気を必要とする生活では
ありませんでした。
もう一度、暮らしを見直す機会が与えられた
そんな気がします。
初女さんが、「私、つましいの。」と言って
いたことが思い出されます。