今日で10月も終わりです。
時の刻みが早くなっているように感じるのは
私だけでしょうか…
昨日、母のお見舞いに行ったら、母が私が誰だか
分からないらしく「お母さんの子どもよ!」
と言うと、「ああ~」と曖昧な返事が返って
きました。
話すことは、かなりとんちんかんだけれど
看護婦さんが何かをしてくれると「ありがとう」と
言うので、「ありがとう」を忘れてなければ、
まあいいか!と思いました。
帰り道、母の「ありがとう」を思い出すと
ちょっと幸せな気持ちになり、あっ!これが
ばななさんが言っていた、小さなしあわせなんだと
思ったら、嬉しくなりました。
ふと、初女さんのことを思い出しました。
初女さんも93歳を迎えて、講演会も大変になり
森のイスキアも今までのようにやっていくことが
難しくなった時、諦めるのではなく
新しい森のイスキアをやると、宣言されたのです。
それは、イスキアに来た人と一緒にご飯を
作るというものでした。
最後の最後まで「食はいのち」を持ち続けて
いたのですね。
新しい森のイスキアは、初女さんの病気で実現
しなませんでした。
田口ランディさんが「わりと淡い感じで、
ふわっと、ぼやっと思ったことが実現するのが早い。
ほんとだってば、試してみてねー、ダメ元で。」と
ツイッターで呟いていたので
私も「新しい森のイスキアが期間限定で実現する
ことを、淡~く思っていよう!」
先日、友人と電話で初女さんの話をしていたら
気がつけば午前12時近くなっていたので
たまげてしまいました。
電話をかけたのが、9時前でしたので3時間近く
話していたのです。
私は、電話が得意な方ではないのに、初女さんの
こととなると、時の経つのを忘れてしまうのです。
電話を切った後で突然、初女さんは
良いとか悪いとか、あなたの判断はどうとか、
いっさい言わなかった方だった
ということを思い出しました。
自分を振り返ってみると、色々な場面で
いい悪いを言っているのです。
学校で、評価されるということが、あたり前の
世界の中にいると
いいとか悪いとか言うことが、意識しないでも
身についていて、癖のようになっているのかも
しれません。
「これはやばい!」と、何とこの歳になって
気がついたのです。
気がついたら、もうそちらの方に進んでいますと
確か初女さんが言っていたと思うので
私は自分に「これからは、出来るだけ
いいとか悪いとか言わないぞ!」と宣言
したのです。
初女さんを思い出すと、新たな気づきが
与えられるようです。
初女さん、見ていて下さいね!
息子の命日が過ぎると、あ~また一歩からと
毎年思うのです。
私にとって命日は、一年を振り返り新しい一歩を
踏み出す日でもあるのです。
今朝は、すべての時間がゆっくり流れていました。
することは色々あるのに、初女さんのレシピで
りんごを煮たら、それだけで心が満たされ
ました。
今日読んでたよしもとばななさんの本に
ばななさんがご両親を失った時に、友人から
おくられ言葉が載ってました。
『今は本当につらいと思うけれど、ある時から
亡くなった人と自分はほんとうに共に生きていると
わかるようになる。
実感としてここにいる、と思うようになる。
自分の中にいるという感覚に近い。
それで本当に納得することができるし、
実際に会えない淋しさがなくなることはないが
あまりにも今いっしょに、思い出とかではなく
まさにここにいる感じがするから淋しくなくなる。
時間がたてばたつほど、共に生きている
ということが、理屈ではなくわかるように
なるものなんだ』と書いてあるのを読み、
「そうなんだよ」と思わず言ってしまいました。
息子がどこに行ったのか知りたくて、福井県の
仏国寺というお寺を訪ね、老師様に「うちの子は
どこにいるのでしょうか」と聞いた時
老師様は私に「お母さんといつも一緒にいますよ」
と、深い眼差しで私に教えて下さいましたが
あの時は全くわかりませんでした。
今日、「そうだよ、共に生きているんだよ。」と
ばななさんに言ってもらったような気がして
ちょっと嬉しくなりました!
息子のお友達は、働きかける盛りの素敵な大人に
なっていました。
それもまた、嬉しいことです!
10月27日が巡ってきました。
息子の命日です。
何回迎えても慣れることはなく、この日から
また私の一歩が始まるという思いで、17年が
経ちました。
ふと、森のイスキアのことが心に浮かんできました。
「イスキア」の由来のように、私も森のイスキアで
自分を取り戻し、再びの生を生きる事が
出来たのです。
私にとって、これ以上大事な場所はないと思える
そういうところです。
ああ、森のイスキアに静かに座っていたい!
そう思っただけで涙が溢れて来ました。
やはり、あそこは特別な場所です。
初女さんの思いが、祈りが宿っているから…
お彼岸でもないのに、おはぎを作り
近所のお宅に届けたら、「今日は命日ですね」と
言われ、ふっと涙があふれてしまいました。
息子の友達の「もう僕、31っすよ!」という
彼の姿に頼もしさを感じたり…
心は静かなのに、なぜか涙が溢れてしまうのは
母親だからでしょうか…
昨夜の土砂降りの雨が上がり、清々しい青空が
広がっていました。
息子の笑顔を青空の中に感じ、
また、今日から一歩…
あっ!あの日と同じだ…
突然、そう思ったのです。
2001年10月25日木曜日
息子が校庭で倒れた日
あの日の夕方5時の空の暗さを、今でも覚えて
います。
今日の空も、あの日と繋がっているような暗さ
ああ、ここでタクシーに乗り学校へ行ったんだ
17年まえの記憶が、どんどん蘇って来るのです。
でも、そのことが涙へと繋がっていかない…
これは今までになかったこと
何だろう、時が経ったからという、そんなことでは
ない、もっと確かな存在として、息子が私の中に
あるのです。
「世界は愛で出来ている!」
ランディさんの言っていた「愛」の最大級を
私は、息子の誕生と死に感じています。
山田スイッチさんがFacebookに
「死ぬまで生きる」と書いていました。
この当たり前の言葉が、声に出してみると
不思議と自分を力付けてくれるのです。
息子も13年の人生を生ききったのだから
そうだ!死ぬまで生きよう!!
「私ってシンプルなの」と言っていた初女さんが
空の向こうで笑っている気がします。
「生きるってシンプルなことなの」と…
『若い時は困難にぶつかるが、歳をとると
困難がぶつかって来る』という言葉を聴き、
なるほどな~と思いました。
本当に歳をとると、何もしていなくても困難が
やってきます。
そして、若い頃とは違って、その困難と闘おうとか
乗り越えようとは思わなくなるのです。
困難を受け容れていくようになるのかな~
初女さんは、そのような生きた方をされた方だと
私は思っています。
初女さんが癌になったとき、私は90歳を過ぎて
乳がんなんてひどい!と、天を恨みました。
でも、初女さんはどんな時も
『神のはからいは限りなく、生涯わたしは
そのなかに生きる』ということを貫かれました。
その強さに裏打ちされた優しさが、
初女さんの母のこころ
初女さんの母のこころを思うだけで、
ぶつかって来る困難を、これも自分の人生だと
受け容れられそうな気がするのです。
27日は息子の命日です。
この子どもを失うという、人生最大の困難から
与えられたのが、初女さんとのご縁です。
本当に神さまのはからいは限りなく
それは、人間の判断をはるかに超えたものです。
困難がぶつかってきても、揺るぎのない自分で
ありたいけれど…
まだまだだな~
それでも、自分を信じて
私たちは、すべて愛されている存在だと
いうことを感じて生きたい!
そんなことを思っています。
昨日は、鎌倉の建長寺で東日本震災復興支援の
催しで、「早池峰岳神楽」をやるというので
母の入院の最中ですが、飛んで行きました。
早池峰神楽はユネスコ無形文化遺産・
国の重要無形民俗文化財に指定されている
ものです。
田口ランディさんと写真家の田渕睦美さんが
12月の寒い時期に、この神楽を観に毎年のように
足を運んでいるのを知っていたので、
何とか観てみたいと思っていましたが、とても
不便なところのようなので、諦めていたら
何と鎌倉で観られると知り心待ちしてました。
五百年以上の伝統をもつ神楽だそうです。
見てびっくり!とは、このことかというくらい
あまりの素晴らしさに、本当に度肝を抜かれ
ました。
これなら、ランディさんが毎年行くはずだ!
と、思いました。
お囃子を聴いていると、日本人の体の中には
このリズムが刻み込まれているのでしょうか
いのちが躍動して来るのを感じました。
いや~日本人って素晴らしい!
生きているうちに、一度は早池峰神楽を
観て欲しいな~
(ユネスコ無形文化遺産) 早池峰神楽 諷誦の舞
前日にケアマネさんから「お元気で何よりですね」
と、言われた母が翌日転んで大腿骨を骨折して
しまいました。
入院した母は、認知が進み私たちには
見えないものが見えるらしく、天井を見つめて
「子どもが沢山いるね~」と笑うのです。
母はタオルケットを握り、しきりに何かを
縫っている仕草をしているのです。
認知症になっても手仕事をしているのです。
初女さんは、臥せっている時に大根を切る
仕草をなさっていたと聞きました。
女の人って、動けなくなってもやはり生活が
体の芯のところに沁みついているのですね。
一生懸命両手を動かし、何かを縫っている
そんな母を見ていて、ちょっと胸が熱く
なりました。
初女さんは『苦しみから這い出す時は
自分の好きなことに挑戦して気分転換し
少しずつ、忘れていくようにします。
手を動かすことによって、こころが落ち着きます。
疲れも消えていくのです。』と言われています。
母は、色々なことが分からなくなりましたが
手を動かすことは忘れてないようです。
そうやって生きて来た人だから…
母の心が落ち着いて穏やかでいられたら
それでいい!
分からなくなったことを拾うのは
もうやめよう…
中央公論の11月号に田口ランディさんが、
オウムの林さんのことを書いています。
昨日、やっと手に入れ読むことが出来ました。
まだ、言葉にすることが出来ないのですが
すごく響きました。
10月3日の「いのちのエール」の講演で、
林さんのことを語って下さいましたが、
ランディさんの真っ直ぐさが、文章にも
貫かれていて、林さんを近しい存在として
感じている自分がいます。
そして、これはランディさんにも投げかけた
質問なのですが、林さんにとって信仰とは
何だったのだろうということ…
11月2日に、ランディさんが語って下さる
会があります。
ランディさんからメールが届きました。
『日々の祈り(瞑想)と、行為、実践、
オウムの方たちもそれを目指していたはずなのに、
そして全ての宗教はそこに行き着くはずなのに、
自分の中に見出すことができず、
他者に何かを求めてしまうとズレていくんですね。
私が学んできたのは共に在りながら
自分で居続けるためのさまざまな技法です。
技法である事はおむすびと似ています。
技法でありながら技法以前を探っています。』
11月2日、ランディさんはこのことを語って
下さると思います。
良かったら足を運んでみて下さい。
イベント詳細はコチラです。
http://bit.ly/2RIzX0g
新聞に「美智子さまの歩み」という記事が
連載で載ってました。
読んでいて、これだけの身分の方が、どうして
こんなに謙虚に慎ましく生きられるのだろうと
考えてしまいました。
東日本大震災が起きた翌日、美智子さまから
災害看護の第一人者である南さんの携帯に直接
電話があり、被災地に一日でも早く伺って
お見舞い申し上げたいが、今行けば現地に
迷惑をかけてしまう。いつ、どのように行けるかを
考えていると言われ、電話は12日以降も続いた
そうです。
震災の4日後には、日本リウマチ財団の理事の方に
美智子さまから「被災地の患者さんは
困っていませんか」と電話がかかってきた
そうです。
北海道の有珠山の噴火災害の時はニュースを
見て、避難所の人たちの唇が荒れている。
リップクリームがいるのではと、心配された
そうです。
南さんが美智子さまに「なぜ人の苦労や悲しみが
そんなにも分かるのですか」とたずねた時、
「多くの人々との出会いがあり、出会った人々
から教えられています。」と答えられた
そうです。
この言葉を目にした時、「初女さんも
そうだった…」と美智子さまと初女さんが
私の中で一つになったような気がしました。
『目の前にいるその人の身に自分を置き換え
苦しい時は苦しい思いで、
嬉しい時は嬉しい思いで
ともに悲しみ、ともに喜ぶという気持ちで
聞いています。
佐藤 初女 』