~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

どこにもいないということは…

2012-10-31 22:03:04 | 日記
新聞の投稿に、92歳の誕生日を目の前にして亡くなったお母さんの

ことを、事あるごとに「ああ、もう、いないんだ」と思っていたら

お母さんのお誕生日の日に、どこにいるのかなーと、思っていたら

すとんと音がするようにわかったことがある。

「つまり、どこにもいないということは、どこにでもいるということ

特に強く強く私の中にいることがわかった」と書いてありました。

死とは、消えて無になることではないと思っていても、見えない

ということは、どうしようもない不安に襲われます。

何処にもいないと、いうこがどこにでもいるって思える

そのことが、素敵だなと思いました。

見えなくたっているんだよね。

心を柔らかくして、感じる心を全開にしていれば

メッセージがとどいてくるはずです。
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まだまだの筈が…

2012-10-30 22:45:18 | 日記
気がつけば10月も終わり…

まだまだ先だと思っていた、初女先生の講演会が目の前に迫って

きました。

昨日は、スタッフの最終打ち合わせ!

どれだけ集まり話し合ってきただろう…

準備も、やってもやっても何か足りないような気がして…

スタッフの皆に、何があっても対応できるように柔軟な心で

いましょうね。

愛 言葉は「今 ここがイスキアよ」と、言いました。

これだけ、話し合い準備をしてきた仲間だから、この言葉だけで

全てが通じる気がしました。

講演会の準備があり、息子の命日を迎え、来週は義母の法要で

広島へ日帰り、職場は作品展を控え一年で一番忙しい時

スタッフに、どうぞ深呼吸をして下さい!なんてメールを送り

ましたが、一番深呼吸が必要だったのはこの私

今日は、仕事から帰って来て夕飯を作る気力も無くなっていたら

「すなおさん!」と、初女先生から電話がありました。

「梅干しも、100文字の言葉も間に合うように送りますからね」

という先生のお声は、ちょっと高くて張りがありました。

仙台から戻って来たばかりというのに、私よりお元気そうなお声に

こちらが元気を頂きました。

さあ、あと少し心を込めて、心を合わせて準備していこう!

「今 ここがイスキア」は、今のいまから始まっているのだから

どんな出会いがあるだろう

初女先生もイスキアの梅干しも、遠く三浦半島まで来下さる

すべてに感謝です…
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また一歩

2012-10-29 21:26:38 | 日記
息子の命日を迎えると、私たち家族はこんなにも支えられて

ここまで来たんだと、心から思います。

11年も経つのに、命日の朝にはお花が届き、同級生や私の友達が

お参りに来てくれるのです。

創がみんなの心の中で生きているのを感じ、感謝で胸が一杯に

なりました。

25歳になったお友達たちを見ていると、うちの子はなんで

そんなにも早く逝ってしまったの…と、思ってしまいますが

13歳のいのち一杯生きた日々が、それがあの子の人生だった。

長さじゃないよね。みんなの心に創は深く刻まれているもの

夜、仕事が終わって来てくれた同級生と鍋をつつきました。

こんな時間も、創が与えてくた時間かな…

いつか、創と会うことが出来たら、あなたがいなくなって

すごーく悲しかったけれど、母さん頑張って生きて来たよ!と

威張ってやろうと思います。

命日を迎えると、また新しい一歩が始まります。

息子と共に歩む、新しい一歩が…

今日は満月。

眩しいほどの明るい、まんまるお月さま

明日は晴れだね!
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お月さま

2012-10-27 22:10:10 | 日記
昨日のお月さまは、なぜか悲しい悲しい月でした。

お月さまを見ているだけで、涙が止まらなくなり

自分でもびっくりしてしましました。

息子が亡くなってから、11年も経つのにこんなに涙がでるなんて…

今までも、随分泣いて来たけれど、泣くとあの子が悲しむという

思いが、いつも心のどこかにありました。

でも、昨日はそんな思いもなく、只々とめどなく涙が溢れてきました。

kさんに、こんなに経つのに悲しくて悲しくて涙がとまらないと

泣きながら電話をすると、「創くんが、泣いていいって言って

るんだよ」と…

やっと、泣くことを解禁してくれたのか…

それから、思いっきり泣いたら、目が開かなくなってしまい、

kさんに、一杯泣いたら目が開かなくなり、ブスになりました。

と、メールをしたらブスはダメです。という返信に、心がふっと

軽くなりました。

何だか、息子が「母さん、母さんがどんなに泣いても、もう僕は

大丈夫だよ」と言ってくれた気がしました。

泣きくたびれて布団に入り眠っていたら、夜中に大地が「お母さん

起きて、木星がハッキリ見えるよ」と起こすのです。

あまりの眠さに私は「明日見る」と言ってしいましたが、

朝起きた時、大地もまた夜空を見上げていたんだなーと

胸が熱くなりました。

創に会いたくなると、寒い冬の夜でも小3だった大地の手をひいて

お月さまを見に行ったものでした。

20歳になった弟は、お兄ちゃんに会いたくなると、やっぱり

夜空を見上げていたんです。

眠くても、一緒に木星を見ればよかったと思いました。

今日は創の命日、泣くだけ泣いたから、笑顔が戻ってきて

いました。

「創君が皆の中で生きているね」と言われ、嬉しくて

また、涙が…

仕方ない泣きべそ母さんです。

でも、明日からまた新しい一歩が踏み出そう!

創と共に…



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涙 溢るる

2012-10-25 20:12:17 | 日記
2001年 10月25日木曜日。

息子が倒れた日…

あの日あの時の、空の暗さが今なお私の脳裏に残っています。

あの日あの時、着ていた自分の服も、持っていた手提げも

あの日あの時、何をし、何を考えていたかも、すべて照射された

記憶として、私の中に鮮明に残っているのです。

その記憶が、不意に立ち上がって来る時、あの日あの時の私の

ように、何も出来ず、ただ 涙 溢るる…

 難病で、治療方法が見つかっていない息子さんを持つお母さんが

快気祝いを持って来られました。

快気祝いを配る母も、また涙 溢るる…

空を見上げると、お月さまが私を見降ろしていた

母たちの深い悲しみを知っているかのように…

死が、消えて無くなることではないと分かっているけれど

時々、襲われるようにやってくる深い悲しみは

母である証拠でしょうか…
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初女先生の言葉

2012-10-23 22:19:06 | 日記
昔、マルチンルターは宗教改革で忙しくなればなるほど祈ったという

のを聞いたことがあります。

今、講演会の準備で混雑している日々を送っているので、

ふと、そのことが思い出されました。

そうしたら、ルターさんは「動の祈り」を知らなかったのかしら?

なんて思ったら、ルターさんが近しく感じられました。

生活が慌ただしくなると、呼吸が浅くなります。

今日はスタッフのみんなに、深呼吸をしましょうと、言いました。

自分に一番に言い聞かせているのですが…

「今 ここ」が大切なんだ!と思った時、初女先生のお言葉が

響いてきました。

   
     幸せも安らぎも、

     どこか遠くに求めるものではありません。

     ちょうど、今に満足できることが

     本当の豊かさであるように、

     大切なのは「今、ここを」生きること。



     ふだんの生活の中にこそ、

     天国はあると思っています。

     また、苦しみの中にあってこ

     幸せを実感できるというもの、また真実です。

            佐藤 初女

         
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ルオーの絵に見る・苦難は続かない

2012-10-21 19:48:16 | 日記
今日の日曜美術館は「ルオー」でした。

ルオーの世界をより深く語ってくれるのは、三島由紀夫賞 野間賞

芥川賞をとった、まだ30代の作家鹿島田真希さんでした。

鹿島田さんは、クリスチャンで22歳の時同じ教会の神学校に

通っていた男性と結婚されて、今そのご主人が病気を患い

脳に障害が残り、一人にさせることが出来ないと言ってました。

30代の若さでこれだけの賞をとり、順風満杯の人生を歩かれて

いる方かと思っていました。

鹿島田さんの心の深いところで、ルオーの絵が寄り添い支えて

いるようでした。

私も、ルオーは嫌いな画家ではなかったけれど、ルオーの

本物の絵を観た時、深い感動に包まれ、忘れられない画家と

なりました。

鹿島田さんは、訳もなく大きな不幸と、巡り合った時、

人はどう生きるか…ということを語っていました。

ルオーの絵を観ていると、理不尽を受け入れ、何でこうなるの

かで終わらないその一歩先を考えると、言っていました。

人は雨が降っても不安に感じないのは、それはいつまでも続かない

のを知っているからで、ルオーの絵は苦難は長く続かない

その不幸はやがて無くなるものである、ということを語って

いる…

ルオーが67歳の時に描いたキリストは、ゴロゴダに向かう

キリストの顔ですが、いばらの冠をかぶったキリストが

どこか穏やかなのです。

ルオーの描いた道化師もキリストも、観ていると心が穏やかに

静かになってくるのは、苦難の先にあるものを知った人が

描いた絵だからでしょうか…

苦難・不幸は長続きしないと語っている、ルオーの絵を

鹿島田さんは、ことあるごとに観るそうです。

そして、ご主人の笑顔に励まされると言ってました。

不幸には意味があるという、鹿島田さんの言葉が

ずっしりと来ました。

私は、ルオーの絵が無性に観たくなりました。
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教訓 1

2012-10-20 21:50:17 | 日記
「教訓 1」とブログのタイトルを打って、昔、加川良の歌に

同じ題のものがあったのを思い出しました。

私の教訓は、「あまり色々考えるな・お任せ!」でした。

先週の日曜日、あれこれ考え一日かかって宿泊の講演会の

部屋割りをしました。

でもこれって、私っぽくないなーと思いつつ…

翌日、民宿に打ち合わせに行くと、一番考えた3人部屋がみんな

続きの部屋となっていたのです。

一日かかって作った部屋割りが、殆んどご破算になって

しまいました。

この時、やっぱり頭でこねくり回したことって、ダメなんだ!と

思いました。

初女先生がよく言われる「自然に任せましょ」とは、対極にある

頭での判断!

考えれば考えるほど、自分では気がつかないうちに自分の我が

濃厚になってくるということ…

ご破算になった後の部屋割りは、あっと言う間に決まりました。

教訓 1 考えれば考えるほど「我」が入る!ということ。

今、色んな場面で自分が試されているのを感じます。





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黄色い蝶々が…

2012-10-18 17:23:09 | 日記
今日の朝刊の投稿欄に、ご主人を亡くされた72歳の方の文章が

載っていました。

その中に引用されている詩を読んで、ちょっとびっくりしました。

訳は多少違いますが、私が昨日ブログに載せたのと同じ詩だった

です。

どんな人でも、大切な人を亡くしています。

悲しみ苦しみの深さの違いはあっても…

姿かたちが見えないということは、どこか果てしなく遠くに行って

しまう気がしますが、そうではなく「となりの部屋にそっと

移っただけ」と…

見えない事に悲しむ心の向きを、ちょっと変えて感じる心を

ふわっと広げてみれば、静かにメッセージが降りてくるかも

しれません。

昨日、私はおむすび講習会のお味噌汁のことで、初女先生と

いつも同行されているYさんのお宅に伺いました。

Yさんのマンションの下に来た時、目の前の葉っぱに

黄色い蝶々がとまっていたのです。

黄色い蝶々は、私は息子だと思っています。

その黄色い蝶々が私の周りをひらひらと飛んで、追いかけて

来たのです。

本当に久し振りに見る黄色い蝶々

何だか息子が「母さん、僕が付いているから大丈夫だって」と

言っているような気がしました。

27日は息子の命日なのに、講演会のことで一杯だった私を

責めることなく、大丈夫!と安心させに来てくれたみたいでした。

訪ねたYさんに、「これだけ準備していれば大丈夫。

きっと良いように流れていくわよ」と言われ、ほっとしました。

帰りは、土砂降りの雨が降っていました。

あの小さな黄色い蝶々は、雨に打たれてないだろうか…

  「わたしはしばしあなたを待っています。

   どこかとてもちかいところで。

   あの角を曲がったところで。

      すべてよしです。」

「さよならのあとで」の詩の一節が浮かびます…
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朝一番の素敵な本

2012-10-17 22:16:33 | 日記
金木犀の季節になりました。

小さな花の金木犀が、私は好きです。

人知れず咲いて、いい匂いでやさしく包んでくれる金木犀

金木犀の花が咲くと息子の命日がやってきます。

 今朝、朝一番で素敵な本に出会いました。

      「さよならのあとで」

   死はなんでもないものです。

   私はただ  となりの部屋にそっと移っただけ

        私は今でも私のまま

        あなたは今でもあなたのまま

   私とあなた かつて私たちがそうであった関係のままで
  
        これからもありつづけます

   私のことをこれまでどおりの親しい名前で呼んでください。 

        あなたがいつもそうしたように

   気軽な調子で話しかけて  あなたの音声を変えないで

   重々しく、悲しそうな 不自然な素振りを見せないで。

   私たち二人が面白がって笑った 冗談話に笑って。

   人生を楽しんで 。 ほほえみを忘れないで。 

     私のことを思ってください。

     私のために祈ってください。

   私の名前がこれまでどおり ありふれた言葉として

        呼ばれますように 。

   私の名前がなんの努力もいらず自然に

   あなたの口の端にのぼりますように。

   私の名前が 少しの暗いかげもなく話されますように。

   人生の意味は これまでと変わってはいません

   人生はこれまでと同じ形でつづいています。

       それはすこしも途切れることなく

       これからもつづいていきます。

      私が見えなくなったからといって

  どうして私が忘れられてしまうことがあるでしょう。

      私はしばしあなたを待っています。

      どこかとても近いところで。

      あの角を曲がったところで。

       すべてはよしです。

             ヘンリー・スコット・ホランド   

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