~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

状況は変わらないけれど…

2010-04-30 22:35:20 | 日記
講演会のお申込みを頂いた方のお名前を聞いて、
思わず「昨年、逗子に来て下さった方ですよね」と言うと
「そうです。あの時と状況は変わらないのですが、初女さんのお話を
聞いたり、初女さんの本を読んだりしてたら、状況は変わらないのに
気持ちが変わりました。」と明るい声が返ってきました。
私は、幸せのおすそわけを頂いたような気持ちになりました。
状況が変わり、気持ちが変わるのは、表層の変化なのかもしれません。
また違う状況になれば、気持ちも変わる可能性があるからです。
状況が変わらないけれど、気持ちが変わったというのは、
確かな変化が起こったことだと思います。
私など、何をしても息子がいないという状況は変わらないのです。
でも、心が変わり受けとめ方が変わると、目の前が本当に
拓けてきたのです。
今でも泣いてしまうし、突然の涙に自分でも驚くことがあります。
以前は、泣く自分がまだ立ち直ってないと受け入れられませんでし
たが、今は「涙はでるさ。」と、それもよし!と思えるのです。
だって私は、あの子の母親だものと…
 昨年、初女先生に出会った方がこうして歩きだしているのを
感じると、深い喜びが込み上げてきます。
これが、初女先生の「いのちのエネルギー」になっているかも
しれません。
7月16日はどんな出会いになるでしょう。
初女先生との出会いが、未来をひらいてくれると信じています。
その日の為に、心を込めて準備をして行こう!
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繋がる

2010-04-29 19:35:26 | 日記
今朝、NHKで合唱コンクールの予告のような番組をやってました。
前の課題曲だった、アンジェラアキの「手紙~拝啓15の君へ」が
聴こえた途端に涙が溢れてしまいました。
ここで泣いたことが息子にばれたら、完璧バカにされると我慢して
いたら、すごい嗚咽がもれてしまい、振り返った息子は私の涙を
見て、「何この親?」というような呆れた顔をしてました。
自分でも、なんで涙がでたのか分かりません。
アンジェラさんは「音楽は繋がり、人との繋がり。時を超えて
自分との繋がり」と言ってました。
そうか、音楽は繋がりなんだ。
人と人とを繋げ、心と心を繋げ
過去の自分と今の自分を繋げているのだ。
人は一人では生きていけない、だから誰もがどこかで繋がりを求めて
生きているのではないだろうか。
私は、初女先生を求めている方と初女先生が繋がって欲しいという
思いで、この講演会の準備をしています。
たとえ講演会に来られなくても、チラシが初女先生とその方を繋いで
くれると信じています。
講演会の準備をしていると、繋がる喜びを感じないではいられません。
音楽のように、響き合う心が繋がって行けばいい!
繋がりとは、心が通い合うということ。
心が通い合うということは、信じ合えるということ。
信じ合えるということは、深い安心があるということ。





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癒し

2010-04-28 23:04:16 | 日記
森のイスキアや初女さんの名前がでると、初女さんて癒されるでしょ。
と言う人が多いです。
そんなの時私は、なんと答えたらよいか分からなくなります。
初女先生の思いは、癒すという言葉ではとても表せないくらい
深いものなのです。
イスキアは癒しの場ではなく、自分を見つめ立ち上がるところだと
私は思っています。
あまりにも簡単に、癒されるでしょ。と言われると心に隙間風が
吹いたような気がします。
「癒し」という言葉がこんなに簡単に使われる時代とは、なんでしょう
初女先生の口から、癒すという言葉を聞いた記憶が私にはありません。
先生は「人が他人を癒すということは、できることではないと私は
思います。癒しとは、自らの気づきから起こってくるものなのです。」
と言われています。
そして又、「苦しみを否定せずに自分の心を真っ直ぐに見つめます」と、
初女先生と会っていると、自分の心を真っ直ぐに見つめられるのです。
講演会は、癒しの場ではなく、初女さんと出会いそして、自分と
出会う場になって欲しいと思うのです
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思い出

2010-04-27 21:16:58 | 日記
尼崎の脱線事故から5年目を迎えた日、事故で娘さんを亡くした
お父さんの手記が載ってました。
あの日から、娘さんに毎日手紙を書いているというお父さんです。
お嬢さんの部屋も部屋のカレンダーも、あの日のままだそうです。
お父さんは、悲しみは少しも減らず、娘の思い出がだんだん薄れて
行くことがとても辛いと書いていました。
私も、同じように思っていた時があります。
9歳で兄を失った弟の兄への記憶が、どんどん無くなっていくのです。
不安になった私は、お兄ちゃんと貴方はこんな事をしたとか、兄弟の
結びつきを緩めてはいけないと、事あるごとに兄の話をしてました。
思い出の刷り込みを、私がやっていたのです。
それでも、弟の兄との思い出が消えていくのを止められませんでした。
そのことが、本当に辛く悲しかった時期がありました。
ある日、息子の部屋で「僕はお兄ちゃんの行けなかった高校へ行く。
お兄ちゃんの歩けなかった道を、お兄ちゃんの分も歩いていくのだ」と
書いたものを見つけた時、思い出の刷り込みを止めようと思いました。
息子の中で、兄はちゃんと生きているのです。
今、彼は兄と共に歩き新たなる思い出を構築しているのです。
私は、兄の思い出を消してはなるまいと必死になっていましたが、
ふと気がつけば、亡くなった息子が私達家族に今尚、新しい思い出を
つくってくれているし、掛けがえのない出会いを与え続けてくれてます。
尼崎でお嬢さんを亡くされたお父さん、娘さんは「お父さん 私は
死んで無くなった訳じゃない、ここにいるの!お父さんの一番近くに!」
と言っているのが聞こえませんか…
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携帯メールと床屋さん

2010-04-26 22:06:40 | 日記
息子の友達から、アドレスを替えましたと、メールがきました。
息子が亡くなって9年目になるというのに、いまだにアドレスの
変更を知らせてくれる、彼の気持ちが嬉しいです。
以前は、年中アドレスが替わるので、同級生の子に「なんであんなに
替わるの」と聞いたら「彼女が替わると、アドレスも替わるんだよ」
と言われ、新しいアドレスが来ると「おー」っと思っていました。
ここ何年か、変更が来なかったのに、この変更は…と余計な気を
回してしまいました。
主人は、床屋に行くのを悩んでいます。
もっとカッコイイ頭にしたいのに、「あいつは、いつも同じだもんな」と
あいつとは、息子の同級生です。
彼が、床屋さんに就職したので主人が行くと「おやっさん、僕の
営業第1号」と彼が主人の担当になり、主人はまるで息子との
約束を果すように、彼のところへ通っています。
他の処へ行けば、何だか彼を裏切るような後ろめたさが
あるようで、悩みながら床屋行きが延びてます。
でも、私はこの人はやっぱり息子の友達に髪を切って貰うんだろうなと
思っています。
携帯メールと床屋さん。
ささやかな日常の中で、息子の友達を感じる時、説明のつかない
涙が溢れてくるのです。
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伝わる祈り

2010-04-25 12:44:37 | 日記
昨日、大切なお便りが届きました。
4月にご主人を亡くされた方からです。
初女先生が、その方に講演会のチラシを送って下さったようで
「私も悲しみを乗り越えられる日を待ちます。
 森のこもれびを受けながら、たたずみ祈る初女さんの姿に
 救われています。」と書かれていました。
チラシを作る時、先生の祈りが届くものにしたい!と思いました。
たとえ当日来られなくても、チラシを見ているだけで初女先生と
繋がっていると感じられるチラシにしたいと…
チラシの中の先生が、深い悲しみの中にあるこの方の心に
寄り添っていて下さっているのです。
私は、それだけで胸が一杯です。
今日は、「先生の手を見て、涙が溢れてきました。
父のあの手を思い出したのです。いつもいつも働いていた、あの手
先生の手も、本当に動の祈りそのまま よく働かれている手のような
気がするのです」というメールを頂きました。
一枚のチラシが、初女先生そのものように一人ひとりの方に
寄り添ってくれています。
こんな素晴らしいチラシを作って下さった、写真家のKさんにお伝え
すると、「私は皆さんが喜んで下さることに、とても励まされています。
撮っても撮っても、初女さんの動の祈りそのものの日常は、
こんなものではない、という思いばかりでしたので…」
というお返事が返ってきました。
私は、ファインダーを通して先生を見つめ続けているKさんが
もしかしたら、先生の思いを一番分かっているのではないかしら。
と思いました。
今回の講演会は、みんなが喜んでくれる講演会にしたかったのです。
チラシを配ってくれた人も、もらった人も作って下さった人も…
たった一枚のチラシが、みんなをしあわせな気持ちにしてくれてます。
悲しみを抱えている方には、そっと寄り添って、初女先生の祈りが
その人を包んでくれてます。
私はもう、それだけで胸が一杯です。
先生の祈りが、みなさんに届いていることが、大きな喜びと
力になっています。
きっと、先生を必要としている方の処にこのチラシは届くと
信じています。

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弁当の日

2010-04-24 08:28:45 | 日記
もし人に、後悔しない程やり尽くしたのもは?と聞かれたら、
私は迷わず「お弁当作り」と答えるでしょう。
中学の3年間一度も休まず作ったし、高校に入り学食を選ぶかと
思っていたら、やっぱりお弁当がいい!と、土曜以外は5時起きで
作り続けています。
最近、弁当の日というのが注目されています。
それは、四国の田舎の小学校で始めた取り組みが、今全国に
広がっているのです。
親は絶対に手伝わず、子どもが献立から片づけまで全てやる日。
それが、「弁当の日」なのです。
この取り組みを始めた竹下先生は、「非行やリストカット援助交際
摂食障害などは、子ども達の「生きてもいい」と思う気持ちが
満たされない、心の空腹感がもたらす病。
家族のあり方や食べることについて問われないまま、塾やお稽古事に
追われるから、子どもは育ちにくい」と言われています。
子どもたちは、自分の作った弁当を、美味しいと喜んでくれる家族を
見て、人の為に何かをする喜びを知るのだそうです。
竹下先生は「料理とは食材の命に自分の命をあえることだ」と
そして、「子どもの作った弁当を、殆んどの父親は泣いて喜ぶけれど
掃除や洗濯をしてもらって、泣く父親はあまりいない。
食べ物は体の中の話だから、作る人のいのちをあえた食べ物が
体の中に入るという繋がりがとても大きいのです。と言われています。
子どもが悩み苦しんでいる時、親は何も出来ないと、自分の無力さを
感じますが、そんな時唯一出来ることが、手をかけ丁寧に食事を
作ることだと、私は思っています。
子どもに「お母さん、そんなに弁当に力込めなくていいよ」と
言われつつ、弁当作りに励んでます。
「弁当の日」か…
主人は息子の作ったお弁当を、間違いなく泣いて食べるだろうなー
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精一杯悩んで

2010-04-23 23:04:08 | 日記
息子の担任から、「息子さん進路のことで悩んでいるので、話を
聞いてあげて下さい」と電話がきました。
担任から電話が来るほど悩んでいるのかと、本人に聞いてみると
「別に…」という返事が返ってきました。
将来の進むべき道をきめるなんて、簡単には出来ないだろうなー。
精一杯悩んでよ!と思ってしまいます。
悩むことは、悪いことではないし、むしろ若い時は悩んで欲しい。
息子は、いつも心のどこかに「兄の歩めなかった道を自分は行くのだ」
という思いを持っているし、大人でも耐えられない悲しみを
乗り越えてきた。それだけで、私はこの子は大丈夫と思えるのです。
初女先生も、「揺れているのは悪いことではなくて、成長の過程
なんですから。心が揺れたときはあわてたりしないで、その状況を
受けとめること。しばしそこに留まって、状況を判断してから
ゆっくりと進みましょう。」と言われています。
悩める息子よ、大いに悩んで自分で歩きだして!
それが、成長するっていうことだから!
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大切な事

2010-04-22 22:46:03 | 日記
先日、新聞に素敵な投稿が載ってました。
 一人っ子だから、挨拶とありがとうが言えたらいいと、
育ててきました。大学に入り一人暮らしを始めた息子から、父親に
桜を見に来ませんか。とメールが来て息子の処に行った父親が
ちょっとの間に大人になった!と感激して帰って来た。という
お母さんからの嬉しそうな投稿でした。
これを読んで、挨拶とありがとうが言えたらいいと育てたなんて
いいなー。素敵なお母さんだなーと思いました。
子育てしていると、いつの間にか親は子どもに期待や欲をもって
しまうものです。
そして、大切なことを忘れてしまうのです。
うちの長男は、中学生になっても、家の近くで会う人は誰彼となく
挨拶していました。
ありがとうもよく言っていたと思います。
何しろ、亡くなった後に友達の夢の中にたって「お母さんに
ありがとう!って言っておいて」と言った程ですから…
私は、そういう子どもの良い処を全く心に留めず、「勉強しなさい!」
とそんなことばかり言っていました。
次男は恥ずかしがり屋で、挨拶も上手くできません。
でも、彼の部屋のボードには、時々「今を生きる」と書いてあるのです。
大切な事は、さり気なく伝わっているのでしょうか。
初女先生は「言葉で伝えたいときは、タイミングを見ることです。
言葉も工夫してさりげなく、くどくなく。
あまりくどく言うと、子どもは聞き流すようになりますよ」と
言われています。
さりげなく言った言葉が、何気なくした行為が人の心に響くのですね。
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黄色い蝶々

2010-04-21 22:42:53 | 日記
今日、子どもが通っていた小学校の前を歩いていたら、
黄色い蝶々が、目の前をひらひらと飛んでいきました。
今年初めての黄色い蝶々に、春が来たことを感じTさんにメールを
したら、「創君の応援メッセージですね。」という返事がきました。
私は、そのメールにはっとしました。
黄色の蝶々は、何か大切な時に飛んでくるのです。
前回の逗子の講演会が決まった時も、あの子の最後の姿を見送った
まさにその方向から黄色い蝶々が飛んできたのです。
そのすぐ後に、しかも蝶々の季節でないのに…
講演会の準備で苦しくなった時も、黄色の蝶々が飛んできて、
後に、初女先生のファックスが届いたのです。
昨日、あの子を思い泣きながら歩いていた私を、息子は見ていたので
しょうか。
優しい子だから…
今朝、講演会をやるから母さんを支えて一緒にやってね。とお祈り
したのが届いたのでしょうか…
あの子の通っていた小学校の前に飛んでくるなんて!
勉強は嫌いだったけれど、学校は大好きな子だったから…
創、母さん頑張るから、力を貸してね。
去年、講演会に来て下さった方からの手紙をなぜか今日、読み返して
いました。
「山崎さんの息子さんのことを知り、涙がとめどもなくあふれました。
きっと555人の中にいたと思います」
この手紙を読み、また息子と共に頑張ろうと思って出掛けたら
黄色い蝶々が飛んで来たんです。
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