~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

生きること

2021-03-31 15:42:10 | 日記
青森の友達から”ばっけ”が送られて
来ました。
青森ではふき味噌を
”ばっけ”というそうです。
こちらで作るふき味噌とは大違いに
ふきのとうがたっぷり入っていて
それは、それは美味しいです。
森のイスキアのふきのとうは
どうなっているかな~
優しく摘んでくれる初女さんが
いなくなって5年が経つんだ…
何年経っても美味しかった思い出は
色あせていかないものですね。
弘前の桜も何年も見ていないな~
何があっても春になると桜が咲いて
くれる。
それだけで、人は励まされるのです。
桜の思い出は、ひとり一人の心の中に
宿っていて、静かにその人を支えて
くれている、そんな気がします。
去年伐採されたあの山桜さんは
根が移植され、ひこばえが出て来た
そうです。
すべての生命体は”生きよ、生きよ”と
生きることに向かっています。
根っ子だけになった山桜さんも
生きることを諦めなかったんだ…
凄いな~

 生きることほど
 素晴らしいことはなく
 また、
 生きることほど
 苦しいことはありません。
 しかし、
 人は、この世にいる限り
 どんなことがあっても生き続け、
 生き抜かなければなりません。
 生きることは、それ自体が
 あなたがこの世に生まれてきた
 目的なのだから。
     
  葉 祥明 幸せに生きる100の智恵


       山桜さん
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「なぜ生きているのか」池田晶子

2021-03-29 23:17:17 | 日記
誰でも1度くらいは、人生の中で
”なぜ生まれてきたか”
”なぜ生きているのか”という問いを
自分に投げかけた経験があるのでは
ないでしょうか…
答えの出ぬままいつしか忘れて
歳を重ねてしまいましたが、
池田晶子さんのその問いと答えに、
ここまで、ハッキリ言われると
自分の中に新鮮な感覚が蘇って
来るのを感じます。

『人が絶望した時の一般的表現として、
「なぜ生きているのかわからない」
「生きている理由がない」という
言い方をする。
しかし、なぜ、生きていることに
理由が要るのだろうか。
有名な登山家が「なぜ山に登るのか」
と、問われ「そこに山があるからだ」
と答えた。あれと全く同じことである。
「なぜ生きているのか」という問いには
「生まれたからだ」という答えが、
最も正確なのである。
「なぜ生きているのか」の「なぜ」に
対して、何らかの「理由」、すなわち
生きているというそのこと以外の
何事かがあり得ると思うから、
希望をもったり絶望したりという
ことにもなるのだが、生きている
ということそのことには、そもそも
いかなる「理由」もない。
山がそこに在るのと同じである。
たんに、在るのである。

   池田 晶子 考える日々

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大事なことは、いつもシンプル

2021-03-28 11:50:02 | 日記
どうも、人は心の在り様が現実となって
出てくるようです。
コロナで、感染が心配で心が不安だと
いくら不安を払拭しようとしても
不安の世界が展開される…
コロナだけれど、心が不安で
なかったら、不安の世界は展開されない
何て、明快なんでしょう。
私の知り合いの治療院に、コロナの
感染が心配で、感染してないのに
歩けなくなった人がいるそうです。
トラブルなど色々な問題もそうです、
何か問題が起こっても、自分が問題に
しなければ、それは自分にとって
問題となっていかないのです。
このことが分かると、凄く生きやすく
なると思います。
では、自分の問題としない為には
どうしたらいいか?というと
私の場合は、坐ることとなんです。
大体、複雑にしてしまうのは脳の
働きなのだから、坐って脳を
休ませればいいんです。
それともう一つのやり方は、心が
明るく元気になる言葉を空に放てば
明るい気持ちになります。
私は「スマイル、オープンセサミ」
「笑顔・ひらけゴマ!」って、言うと
炭酸水がシュワシュワってするみたいに
嫌なことが消えていきます。
自分なりのおまじないの言葉を
持っているといいかも…
いのちの本質はシンプルなのに
頭が複雑にしているんですね。
人間以外の生きものって、シンプル
ですよね。
心療内科にかかっている子供たちが
いると聞いて、この単純明快の
いのちのシステムを伝えたいなって
思いました。
大脳に捕まらなければ、いのちは
生き生きと生きたがっているんだと
思います。
初女さんはよく「私って単純なのよ」
と、言ってました。
大事なことは、いつもシンプル
なんですね!
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初女さんの言葉の深さ

2021-03-26 20:00:12 | 日記
一昨日のブログに池田晶子さんの
『わからないという経験』という文章を
載せました。
池田さんの「言葉を読んでわからない
というこの経験はじつはとても貴重な
経験、貴重な時間なのでは
なかろうか。」という文章を読んで、
初女さんのことが浮かんできました。
初女さんの言葉は、やさしいので
直ぐにわかった気になりますが、
実はとても深いので、簡単には
わからないのです。
初女さんの
「響き合う人と出会った時が幸せ」
という言葉も「本当にそうだよね」
と、分かった気になっていましたが、
私の”響き合う”は共感というもので、
初女さんの”響き合う”は、
もっともっと深い魂レベルの
ことだと気が付きました。
初女さんの一言がわかるまで、
何年もかかります。
初女さんの言葉は、初女さんの
体験から生まれているので、
体験を通してでないと分からないから…
『…本当にお伝えしたいのは、
おむすびの作り方ではなくて
「信仰とはなにか」という
ことなのです』
この初女さんの言葉もずーっと
分かりませんでした。
”信仰”という言葉に対する観念が
邪魔してわからなかったのです。
去年、コロナ禍でおむすび講習会を
やった時に、初女さんの”信仰”が
やっと少し実感できたのです。。
本当に”わからないという経験”は
貴重な経験だと思います。
 この言葉も深い言葉です。

 ことばだけで考えているうちは
 本物ではないですね。
 とにかくことばを主にすると
 行いはあとまわしになって
 しまいがちです。

 気づきがあったら動きます。
 あなたのそばの大事な人に
 伝えてください。
 
 心の奥にはことばを超えた
 いのちの筋があります。
 ことばを、越えなければね。

      佐藤 初女

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”わからない”ということ

2021-03-24 23:05:25 | 日記
”わかる”ってどういうこと
なんだろう…
本を読んだり、話を聴いたりして
”わかった!”と思っても、
そう思った先から、その”わかった”は
どこかに逃げて行ってしまうのです。
わかりたいと思っているから脳が
誤作動するのか…
ところが、わかる・わからないの
判断をせず、”そうなんだ~”と
思った時は、逃げていかないんです。
不思議だな~と思っていたら
池田晶子さんの言葉が心に留まり
ました。

  『分からないという経験』
考えてもみたい。
言葉を読んでわからないという
この経験はじつはとても貴重な経験、
貴重な時間なのではなかろうか。
我々、言葉を読んで何かをわかる
という経験に慣れすぎている。
世の中、読んでわかる
言葉だらけである。
わからない言葉にぶつかって
立ち止まる瞬間、人は、これまで
考えたことのなかったことを
考始める入口に立っているかも
しれないのである。

           池田晶子 


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池田晶子の哲学

2021-03-23 23:18:29 | 日記
昨日の、Eテレの100分で名著
池田晶子の「14歳からの哲学」に
深い感銘を受けました。
この本は、以前に読んでいるのに全く
理解できていませんでした。
もう一度池田さんの本を読み返して
みようと思います。
昨日の14歳からの哲学で心に刻まれた
言葉は
『君が真理
君の中に真理があるから、
しっかり考え思い出す』
これは、凄いことです。
真理は私たちの中にすでにあるのだから
よく考えて思い出せばいいと
いうのですから…
私は、このことに去年やっと気づき
目の前の景色が、がらっと変わりました。
池田さんが47歳で亡くなるまでに
あれだけの本を、言葉を遺してくれた
ということの意味の大きさを、
今やっと知ることが出来ました。

    『自分はどこにもない』
「自分」というものは、
名前でもなければ
身分でもない、体でもなければ、
心でもない
ないないづくしで、どこにもない。
それが「自分」というものだけど、
だからといって、自分など「ない」
というのでもない。
なぜって、自分など「ない」と
言っているその自分が、まさにそこに
「ある」からだ。
ないけれどもある、あるけれどもない、
それが「自分」というものの正体、
その存在の仕方の不思議さなんだ。
何を「自分」と思うかで、
その人の自分は決まっていると
いうのも、この意味だ。
      
    池田晶子 14歳からの哲学』
(最後の3行の深さにハッとしました)


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赤塚不二夫は天才アカボンなのだ!

2021-03-21 23:49:03 | 日記
井上ひさしの「ひと・ヒト・人」という
エッセイを読んでいたら
「天才アカボン」というのがありました。
そこには『天才バカボンの第一作
「わしらはバカボンだ」を読んだとき、
わたしは思わず立ち上がってこう叫んだ
ものだ。
「バカボンは天才だ。しかし、
赤塚不二夫は天才の総元締めだ」と…』
ありました。
そして、劇作家の飯沢匡氏が『「いつか
赤塚不二夫の漫画を、戯曲にしますよ」
張り切っておられるが、これもやはり
氏が赤塚漫画のセリフの見事さを買って
おられたからであろう。』と書いて
ありました。
去年くらいから、バカボンは
凄いということが、私の耳にも
届いてきていましたが、
井上ひさし氏も言っていたかと、
びっくりしました。
検索したら詩人の谷川俊太郎氏と
バカボンのパパ(赤塚不二夫)の
コラボレーションという詩が載っていて
これが、胸にズキューンとくるのです。
この歳で知った「天才アカボン」です~


 自分トフタリッキリデ暮ラスノダ
 自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ
 自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラ
 ソレクライナンデモナイノダ
 自分ガニコニコスレバ
 自分モ嬉シクナッテニコニコスルノダ
 自分ガ怒ルト自分ハコワクナルノデ
 スグニ自分ト仲直リスルノダ
 自分ハトッテモ傷ツキヤスイカラ
 自分ハ自分ニ優シクスルノダ
 自分ノ言ウコトサエキイテイレバ
 自分ハ自分ヲ失ウコトハナイ
 自分ハ自分ガ好キデ好キデタマラナイ
 自分ノタメナラ生命モ惜シクナイ
 ソレホド自分ハスバラシイノダ

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春分・宇宙の元旦におむすび講習会

2021-03-20 22:22:58 | 日記
今日は、1年ぶりのおむすび講習会!
去年の4月18日の日野の講習会を最後に
コロナで全部中止になりました。
このコロナ禍に、素手で結ぶおむすびに
集まって下さる人がいるなんて、
初女さんのおむすびの力を感じました。
初女さんはお米に並々ならぬ思いを
持ってました。
「昔からお米には八十八の神様が宿って
いるといわれてます。」と…
お米を神事に使うものとして扱われて
いました。
おむすびはご飯の炊き方が一番なの
と言われていたので、私もお米を洗う
所から始め、給水具合、炊くタイミング
などをお伝えしながら、今回はお鍋で
炊きました。
皆さん、炊き上がったごはんの美しさと
美味しさにびっくり!
初女さんの丁寧なおむすびの作り方で
作ったおむすびは、今までと
全然違うと感激されてました。
私は、久々に観た初女さんの映像に
涙が溢れそうになったり…
いつも思うのですが、皆でおむすびを
食べると、不思議に心が結ばれて
行くようなのです。
おむすび講習会は、私にとって至福の
時間です。
今日は春分、宇宙の元旦だそうです。
素晴らしい、一日となりました。
「初女さん、来てるんじゃないの」と
いう声に、私は大きく頷きました。
初女さん、私は初女さんのことを、
初女さんのおむすびを伝えていきますよ~
瑞穂のこの国で、お米の美味しさを
伝えなくてどうする!って思います。

『 何より大切なのはごはんです。
 昔から「一粒に八十八の神様が宿る」
 と言うけれど
 瑞穂の国のお米には、いのちを
 元気にしてくれる不思議なほどの
 力があるんです。

 私はごはんが大好きで
 毎日欠かさず炊いていますが
 毎回毎回ふっくらおいしく
 炊き上げるのは
 何十年と繰り返してもむずかしい。
 ごはんの炊き上がりを見るときは
 いつもどきどきしてますよ。
 一生続いていく修練ですね。
      
        佐藤 初女  』


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この時代に伝えたい~初女さんのことを

2021-03-18 22:17:16 | 日記
初女さんの講演会をやる時に、
市や教育員会の後援があると公共施設に
チラシを置いてもらえるので申請に
行ったものです。
その時、担当の人に講師である
初女さんが何をしている人かと
聞かれるので、説明したのですが、
返ってくる言葉は、料理研究家?
カウンセラー?エッセイスト…?
なかなか伝わらないので、意を決して
「日本のマザーテレサです」と言うと、
「分かりました」と言って直ぐに
申請を受け付けてもらえるのです。
マザー・テレサは凄しです。
マザーの名前を聞いただけで、みんな
イメージが浮かんでくるのですから…
私、最近強く思うのです。
初女さんのことを伝えて
行かなきゃって
初女さんのあの圧倒的な母性は、
言葉を尽くしても伝えられる
ものではないけれど…
自殺する若い人が、こんなに
いるなんて…
私は、初女さんに一目会ってから
死にたいという方のメールを頂き
どうしていいか分からなく
なったのですが、
初女さんは毅然として「私に会って
死んだ人は(自死)いない」と
言われたのです。
初女さんに会って、生きる力を
もらった人は沢山いると思います。
私もそうです。
初女さんのいない今、初女さんのことを
伝えることで、その人の中の生きる力が
目覚めるかもしれません。
初女さんは病気で大変な時に
自分に「生きよ、生きよ」と言って
いたそうです。
私たち生命体は、生きること
いのちを繋いでいくことが一番の
目的です。
細胞の一つひとつは生きることに
最善を尽くしているのだと思います。
大脳が考え出す想念が、このいのちの
システムを狂わせるんじゃないかな
初女さんの母性に包まれた時、誰もが
赤子のように素直になれ、自分を
惑わしていた思いが吹き飛ぶのです。
初女さんは特別なことをしていた訳では
なくて、目の前のことを心を込めて
一心にやっていたのです。
そして、自分の人生を丁寧に生きた方!
マザー・テレサと聴いただけでマザーの
何かを感じるように、佐藤初女という
名前を聴くだけで、初女さんの母性に
包まれたら、生きることに光が射して
来るかもしれません。
いのちは、いのち一杯生きたがっています。
生きることが辛くなった時
どうか、初女さんの「生きよ 生きよ」
思い出してほしいのです!


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コロナの時代を生きているということ

2021-03-17 22:10:29 | 日記
レビで「コロナのパンデミックが
現代社会にレントゲンをかけている」
と言うのを聴いて、成る程と
思いました。
あるマガジンに「2020は物事の何が
真実で何が偽りなのかが浮かび上がって
来ると言われていました。
2021年は、人類がどちらを選択するか、
二者択一がテーマになっています」と
書いてありました。
本当に2020年は政治でも、今まで
隠されていたものが明るみに
出てきています。
これからは二者択一?
新型コロナ感染が始まった時、
「コロナによって道が二つに分かれる」
と言っていた人がいます。
コロナによって、自我ではなく
本当の自分、真我に目覚めてる
人たちがいます。
それって、自分の中にある内なる神
愛に目覚めるってことかな?
自我で生きるか、真我で生きるかで
道が分かれるのかな…
初女さんがいたら、きっと深い話が
聴けるだろうに…
自分の中にあるものだから、真剣に
自分を見つめたら、見えてくるものが
あるかも…
  
 「心貧しい人は幸いである」という
 言葉には、さまざまな解釈が
 ありますが
 私は「今を満足する心」だと
 受け止めています。
 自分があまりにかわいい人は
 次から次へと欲求がエスカレートして
 どこまでいっても満足することが
 できません。
 等身大の自分を受け容れて
 今日を満足することが
 明日への希望につながります。
  
          佐藤 初女

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