~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

嬉しい気づき

2011-06-30 17:04:22 | 日記
ブログをやり始めた時、パソコンの前に座ると、自分の思いと

キーボードを打つという行為が繋がらず、下書きを書いてから

打ち込んでいました。私のブログを読んだ出版社の方に、

「直さん、下書きをしているでしょ」と、見事に見破られて

しまいました。

でも、いつの間にか下書きなしで打ち込めるようになり、時間の

短縮になったと喜んでいました。

それが、パソコンが使えなくなり、FAXで文章を送るのに、

久し振りに下書きをしてみると、自分の思いをパソコンで

打つのとは、全く違う感覚があることに気がついたのです。

言葉と自分との間に、いい距離があるのです。

自分の考えや思いを見つめ、反芻する時間があり距離があるのです。

私は、これが好きだったのです。

大好きな手紙がメールに替わり、速く便利になったのに、

何か大切なものを置き忘れている気がしたのは、自分の紡ぐ言葉を

見つめる時間だったのですね。

便利さを追求した生活が潤いを失っていくのは、無駄と思える行為の

中にある豊かな時間を忘れているからなのかもしれません。

初女先生のあの美味しい、深い優しい味は、決して手を抜くことのない

どこまでも丁寧な調理にあるのです。

パソコンの故障が大切な気づきを私に与えてくれました。

梅雨空に見つけた青空のような、嬉しい気づきとなりました。
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壊れたパソコン 繋ぐ心

2011-06-29 23:10:13 | 日記
パソコンが突然壊れてしまいました。

友達のTさんに、「直るまでブログをお休みします。」と言うと、

「FAXしてくれたら 打って載せるよ」と、

何でもないように言ってくださり、この言葉を聞いて

「やっぱりどんな時でも支えられて生きているんだ」と

胸が熱くなりました。

ふと、脳性麻痺で自ら動くことも言葉を発することも出来ず、

意思の疎通が「まばたき」だった水野源三さんの詩を思い出しました。


      有難う

物が言えない私は 有難うのかわりにほほえむ

朝から何回もほほえむ

苦しいときも 悲しいときも 心からほほえむ

              (水野源三)



物言える私は、いったいどれ程「有難う」と

言っているだろうか・・・。

今日という日は、心からのほほえみをしただろうか・・・

「有難う」感謝一杯の今日という日!!
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びわの実

2011-06-26 17:53:49 | 日記
なんの手入れもしない枇杷の木が、今年は沢山の実をつけて

くれました。

引っ越して来た時に、びわ温灸の為にびわの葉っぱが欲しくて、

猫の額ほどの小さな庭に、細ーい枇杷の木を植えました。

実をつけるなど、期待もしていなかったのに、毎年びわの味を

楽しませてくれています。

子どもが小さい時は、枇杷をもぐのも遊びのような楽しいひと時

でした。

近所にお裾分けに配ったり、体の調子が悪い時は、枇杷の温灸を

したり…

うちは犬までもが、びわ温灸をしてました。

びわの木様々なのに、普段はほったらかし、それでもびわの木は

実も葉も、惜しげもなく差し出してくれています。

長男が亡くなってからは、枇杷がなると一番先に「今年の枇杷だよ」」

と、お供えしてきました。

今日、びわをもぎながら、すっと枝から離れる実、引っ張っても

なかなか離れない実があって、ふと親から離れる子どもみたい

だなと、思いました。

うちの大学生の息子は、きっともうポロっと離れる実になって

いるんだろうな…

13歳だった長男は、きっと引っ張っても引っ張っても

離れない実だったのではないかしら…

でも、あれだけ納得した顔をして旅立っていったのだから、

やっぱり、まだまだ青くても枝から離れてしまう実だったのかな…

びわの実一つにも、尽きない思い出があり、悲しいけれど

心を潤してくれるのも、こういうささやかな気づきなのかも

しれない…

今年最後の枇杷をもぎながら、そんなことを思いました…

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ひまわりの花に…

2011-06-24 18:10:14 | 日記
この震災で、石巻の大川小の生徒達は避難途中で津波にのまれ、

全校児童108人中68人が亡くなり、6人がいまだ行方不明です。

大川小学校の生徒のことを、遺された家族のことを思うと、胸が

痛いです…

初女先生が言われるように、自分の体験を重ねてみても、子どもを

亡くしたご家族の苦しみ、悲しみを思いはかることはできません。

今朝の新聞に、大川小学校の校舎の近くの花壇で100株を超える

ひまわりの苗を育てているという記事が載っていました。

子供を亡くした親御さんが、「津波をかぶった土なので、花は

咲かないかもしれないけれど…」と思いながらも育てている

と、ありました。

津波で6年生と3年生のお子さん二人を亡くしたお母さんは、

「子どもがいなくなってしまい、育てられるいのちを求めて

いるんだと思う」と言われていました。

それを読んだ時、私は長男を亡くした後、まだ9歳だった次男に

事あるごとに、「あなたがいるから、お母さんは生きていけるの」

と、言っていたのを思い出しました。

次男はどんな思いで私の言葉を聞いていたのでしょう…

でも、長男を亡くした後の1年は、子育ての記憶が殆んどない

のです。

ただ、下の子の為にも生きていかなければ!と、それだけが

自分を保つ支えだったような気がします。

大川小の二人の子どもを失ったお母さんの、「育てられるいのちを

求めている」と言う言葉に、あの悲しみの中で次男のいのちが

私のいのちを支えていてくれたのだ、と気がつきました。

津波をかぶった大地は、きっと向日葵を育ててくれると、私は

信じています。

育てられるいのちを求める親と、育てられることを望んでいた

子ども達の魂(いのち)が、ひまわりの花となって咲き誇る

ことを…

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今日という日

2011-06-23 22:30:37 | 日記
今日、私は3回以上書類に6月23日と書いたのに、その時何も

気がつかなかったのです。

家に帰りほっとした時に、やっと思い出したのです。

今日6月23日は、沖縄慰霊の日であることを…

たった66年前のことが、この国では風化していってしまう

沖縄戦での県民の死者は12万から16万人というのに…

沖縄に初めて行った時、私は海外旅行にでも行くように

うかれてました。

二十歳そこそこの私を知念さんは、まだ遺骨収集が済んでない

自然壕に連れて行ったくれたのです。

私は、そこで生まれて初めて人が人を殺す戦争が

どんなものであるかを知らされた気がしました。

沖縄から戻り、沖縄戦についての本を何冊も読み、

「青い海」という沖縄の雑誌をずっと購読していました。

そんな私が、今日と言う日を忘れていたのです。

まだ、たった66年しかたっていないのに、こんなにも早く

過去の歴史となってしまうのか…

戦争を知らない私たちが、伝える側にいることを自覚しなければ

夜遅く、帰って来た息子に「今日は何の日だ」と聞くと

「お母さんが聞くから、きっと戦争系でしょう」と言いながらも

6月23日が分からなかった息子です。

私に戦争というものを教えてくれた、天国の知念さん「知念さんの

思いを、伝えたかったことを、今度は私が子供に伝えて

行きますから…」




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人生を前向きに生きる

2011-06-21 19:02:40 | 日記
今日は、テレビで楽しみにしていた舘野泉さんの番組がありました。

舘野さんは、世界で活躍するピアニストですが十数年前に演奏中に

脳梗塞を起こし右半身が麻痺し、ピアニストとしては致命的な

右手が使えなくなってしまったのです。

2年間まったくピアノを弾けなかったけれど、確か舘野さんの

息子さんが持ってきた、左手の為の曲を弾いたことから、世界の

舘野泉が左手のピアニストとして復活したのです。

私は、一度だけ舘野さんのコンサートに行ったことがありますが、

アンコール曲のピアノの一音が鳴った途端に、涙が

止まらなくなりました。

ピアノを弾けない、音楽の事が全く分からない私が…

舘野さんのピアノが、舘野さんの生き方が私の心に響くのです。

久し振りに、テレビで拝見した舘野さんは、歩くのもご不自由

そうでした。

でも、お顔はとても晴れやかで、舘野さんの笑顔を見ているだけで

こちらの心が柔らかくなって行くようでした。

舘野さんは、病に倒れる前から交流していたフィリッピンのセブ島

の若者たちと再会し演奏会をしたのです。

楽器も買えない貧しい家庭の子供達が、フィリッピンのピアニスト

の支援と舘野さんとの出逢いによって、音楽をやり続けていたのです

舘野さんは、彼らの人生と自分の人生を重ね合わせているように

「人生をポジティブに生きる」と言われて

そして、「両腕であろうと、腕が3本あろうと演奏するという事には

変わりがない」と言われていました。

私は、この言葉を聞いて「そうか、人生を前向きに生きるとは

そういうことなのだ」と思いました。

私たちは、何がない、あれが足らないと不足ばかりに目を向けて

しまいますが、そうではないのですね。

深い大きな挫折を乗り越えた舘野さんの、この前向きさに

私も大きな力を頂いたような気持ちになりました。

あの、優しい慈しみ深い笑顔は、舘野さんの人生そのもの

という感じがしました。

そう、同じ一生ならば、前向きに生きたい!

舘野さんのピアノはどこまでも優しくそして力強く、私の心に

響いていました。
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お父さんのおむすび

2011-06-20 23:02:44 | 日記
昨日は父の日

おむすび講習会を始めるにあたり、森のこだまのKさんが、

なぜおむすび講習会をするようになったかを話して下さいました。

おむすびっていうと、誰もがお母さんのおむすびを思います。

でも、森のこだまさんのおむすびはお父さんのおむすび

仕事人間だったご主人がリストラに遭い、家族との絆を取り戻す

かのように、毎朝娘さん達におむすびを作ったそうです。

それも2年間ずーっと…

初女先生がハワイから戻られる時、おむすびを持って空港に

行かれたというのを聞いたことがあります。

初女先生は、お父さんの思いもおむすびと一緒に頂いたのでは

ないでしょうか…

ご夫婦でおむすび講習会をすることを勧められたのも、初女先生

でした。

ご夫婦でのおむすび講習会をスタートさせたところで、ご主人が

病に臥し、そして亡くなられました…

父の日にひらかれたおむすび講習会は、お父さんのおむすびから

生まれたのです。

帰る時、前を歩くスタッフの後姿を見ながら、6人のメンバーのうち

3人が子どもを亡くし、2人が御主人を亡くし1人が義父母を

突然亡くしています。

これって、なんだろう…

深い悲しみはあるけれど、みんな前を向いて歩いてる

みんな素敵に生きている

初女先生が結んでくれた心のおむすびに、森のこだまさんの

ご主人も、最後に食べた食べ物がおむすびだった、私の息子も

みんなちゃんと結ばれているんだ。

そう思ったら、何だかすごく力が湧いてきました。

この日来れなかったスタッフも入れて、三浦の講演会は

チームこもれびで頑張るぞー

何と言っても、天からの強力メンバーがいるのですから…

父の日のお父さんのおむすび、忘れない…

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実り多きおむすび講習会

2011-06-19 19:28:58 | 日記
今日は、8月の講演会に向けてのプレ企画として、おむすび講習会を

鎌倉でやりました。

やってみて、このおむすび講習会は私の為にあったのだと実感!

おむすびに、プラス何か一品あったらいいし、お味噌汁も

欲しいよね。と、思いつくままに言ってしまった私です。

講習会が始まって分かる、自分の不備さをスタッフが見事にカバー

してくれて、とてもいい雰囲気の充実したおむすび講習会となったの

です。

朝、紀伊国屋で豆腐を3丁買うのに、20分近くも並び、私のやる事の

見通しの甘さが、ボロボロと出ていたのに、ご飯はふっくらと

初女先生から合格点が頂けるように炊けて、皆で歓声をあげました。

おむすびを作るのが主なので、それだけでよかったのに、

もう一品と欲張ってしまい、時間はどんどん経ってしまい

どうしようと思っていると、スタッフの皆が黙々と準備を進めて

行ってくれていました。

私は改めて、素晴らしいスタッフと共にやっていることを実感

しました。

支笏湖の講演会に参加して、果して自分か宿泊の講演会なんて

出来るだろうかと、自信を亡くした時、初女先生が言われた

「みんながいるでしょ」の意味がやっと分かりました。

今日の講師の、森のこだまの小玉さんが、おむすびの心も

伝えてくれました。

参加された方々が、とてもいい顔をされ帰っていかれました。

私は、8月の講演会までに自分が成長しなければと、つくづく

思いました。

でも、このスタッフがいたらきっと心響く講演会になるぞ!

とい気がしました。

おむすびは本当に心と心を結んでくれるんです。

今日のおむすび講習会に感謝!

来て下さった方に素晴らしきスタッフに感謝!

感謝で山盛り一杯の、今日と言う日でした。
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百か日

2011-06-18 15:21:02 | 日記
今日であの震災から100日がたちました。

昨日、テレビに幼稚園バスに乗っていて津波にのまれた園児達の

お母さんが、毎日のように幼稚園のあった場所で遺品探しを

していたけれど、百か日で区切りをつけようと思うと言ってお線香を

供え手を合わせていました。

なんと辛い決断でしょう…

でも、仏教の初七日や四十九日、百か日などは自分が体験してみると

何となく決められた日にちではないのだろうな、ちゃんと意味のある

ものなのだろうと思えました。

うちの子も、百か日に夢に出て来てくれました。

「ただいまー」と言って帰ってきた息子は、真冬なのに半袖でした。

夢の中で、私は母と「やっぱり死んでなかったんだ」と抱き合って

喜んでいました。

目が覚めた時、やっぱり夢だったかと涙が溢れましたが、

この寒い時に半袖なんて、あの子は元気なんだと、そんなことを

思って、ちょっと安心したのを今でも覚えています。

 被災地では、死亡届を出した行方不明者の家族が、その届けを

出さないと保証が受けられないにも関わらず、届を取り下げに

来るそうです。

死亡届けを出してしまうと、その死を認めたことになってしまうと

役所の係の人に「ごめんなさい。ごめんなさい。」と泣きながら

死亡届を取り下げている姿が、映ってました。

どこかで区切りをつけないと、前に進めない。

そのことは、誰もが分かっているのです。

でも…

私の場合は、初女先生に自分の背負ってきた悲しみや苦しみを

聴いてもらった時に、やっと息子の死が受けとめられるかもしれない

と、思えたのです。

本当の区切りとは、苦しい決心によってなされるものでは

ないのかもしれない…

誰もが自分の中に答えを持っていると言います。そのことに

気づいた時が、区切りとなり、新たなる出発となるのでは

ないでしょうか…

仏教の四十九日や百か日、一年 三年 七年…は、

悲しみの質が変わっていく時間なのかもしれない…

明日は、みんなでおむすびを作り「おむすびの祈り」を捧げよう

何も出来ないけれど、思いは時空を超えていくはず…
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もうすぐおむすび講習会

2011-06-16 19:04:40 | 日記
8月の講演会に向けて、プレでなにかしたいね。ということから

おむすび講習会が決まりました。

人が集まらなかったら、スタッフだけでもいいじゃない!と言って…

ところが嬉しい事に、私たちの予想を上回る人が申し込んで

下さいました。

申し込まれた方は、とても楽しみにして下さっているので、私は

思わず、「あのー、このおむすび講習会は初女先生は来ないの

ですけど…」と言っているのですが、皆さん「分かっていますよ」

と言われ、それでも楽しみにして下さっているのです。

初女先生は「以前はおむすびを習うなんてと、驚かれたんだよ」と

言っていましたが、今はたくさんの方が初女先生のおむすびを

習いたがっています。

私たち日本人にとって、桜が特別な花であるように、おむすびも

やはり特別な食べ物のような気がします。

瑞穂の国に住む民にとり、日本人という民族を支えてきたのが

お米で有り、おむすびだったのでは…

震災が起き、都市部でも計画停電が実施された時、おむすびさえ

あれば大丈夫と思えました。

震災で大揺れに揺れた心が、落ち着きを取り戻したのも

おむすびを結んだ時でした。

19日は、「今こそおむすびの祈りを…」そんな思いを胸に

みんなでおむすびを作りたいと思っています。

その日のおむすび母さんは、私の大好きな

森のこだまさん。

私は妹分になったつもりの、森のこもれびちゃん

この日、どんな出会いがあるでしょうか…

もう、考えただけでも遠足の前の日みたいな気分です。

鎌倉発、おむすびの祈り

さあ、おむすびを持ってイスキア号に乗り込もう!
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