~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

お餅つき

2014-12-30 23:22:14 | 日記

年末は、これもしなくちゃ、あれも…と毎年切羽詰まるの

ですが、今日は片付けも掃除も捨てて、朝から

お餅つきに飛んで行ってしまいました。

田口ランディさんにお声を掛けて頂き、20年やって

いるというお餅つきに混ぜてもらったのです。

こんなに楽しかった年末って、あったかしら…

初女先生は、お餅つきが大好きです。

「餅は、蒸す人・つく人・のす人。

いつの間にか心がとけ合ってしまいます。

蒸し上がった一粒一粒のお米をつくことによって

一体となってしまうのです。

もとのお米には戻らないし、食べる時はみんなで

分かち合います。和気あいあいの雰囲気に

ひたりながら、わたしはここに、キリストの

望まれた食卓が実現しているように思います。」

と、書かれていますが、本当に和気あいあい

でした。

田口さんご夫婦以外は、初めての方

ばかりなのに、お供え餅の作り方から

丸め方、のし餅まで楽しい雰囲気の中で

教えて頂き、すっかりお仲間に入れてもらい

ました。

昔はどこでも、こんな風に集まってお餅つきを

して、新年を迎えたのですね。

いつの頃からか、お餅は買う物となってしまい

日本の食文化としてのお餅が、食品となって

しまったんですね。

つき立てのお餅は、実に美味しくて何個食べたか

分からない程、食べていました。

初女先生は、お餅つきは景気がいいから好き!

と、言われてましたが、みんなで掛け声をかけたり

それだけで楽しくなり、来年は良い年になるかもと

思えてきます。

お餅つきのお母さんが、仏壇にもお供え餅を

すると言ってました。

そうか、うちの子も景気のいいことは好きだった

から、お供え餅を飾ってあげようと思いました。

家に帰って、お餅をいれた箱をあけたら、

お供え餅が余分に入っていました。

ランディさんが、入れてくれていたみたいです。

有り難うランディさん!

忘れられないお餅つきとなりました。

 

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ことば館クリニック

2014-12-27 11:07:57 | 日記

昨日、明日の朝早く釜石にボランティアに行くと言う

息子に「土曜日くらい、ゆっくり寝たいから自分で

起きて行ってね」と、言ったものの朝ごはんぐらいは

食べさせなくちゃと、5時過ぎに起きて用意を

しました。

その時、時計代わりにつけていたテレビに釘づけに

なったのです。

北海道の富良野にある町のお医者さんの特集

でした。

「ことば館クリニック」という病院で、待合室には

お医者さんである、けんぞう先生の詩が筆で書かれ

貼ってあるのです。

その先生は病気を治すだけでなく、一人ひとりの

心と向き合っているのです。

診察室に貼ってあった先生の詩に、

初女先生のお姿が重なりました。

 

 『歳をとれば 体の力は衰えていく

 だけど 心の力は一生高めていけるんだな』

 

初女先生の、人は最後の一呼吸まで成長できる

という言葉が思い出されます。

弟さんを亡くされ、元気を失くした患者さんには

 

 『亡くなった人の魂は消えない

  思い続ける私たちの優しさの中に

  ほら、生きている』

 

先生は、言葉に込められている心を大切にすると

言われていました。

歌の好きな患者さんとは、歌がこの方の支えになると

思うと、休みの日に来てもらい先生がアコーディオン

を弾き、その患者さんが歌うと言う時間を

つくり、患者さんが笑顔になると先生も笑顔に

なっていました。

雪深い、北の小さな町にこんなに温かいお医者さんが

いたのです。

早起きのご褒美を頂いたような、テレビを通しての

けんぞう先生との出会いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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静かなクリスマス

2014-12-25 22:03:50 | 日記

昨日と今日のお月さまの美しさに、思わず見とれて

しまいました。

イエス様が生まれた時も、こんな月が出ていたんじゃ

ないかなって、思えました。

子どもが小さかった頃は、クリスマスは一大イベント

で、お父さんサンタは大張りきりでしたが、

息子はクリスマスのデートとかでいません。

子どもの成長は、ちょっぴり寂しい時もありますが

楽しい思い出も一杯あるので、それも良しです!

創も1年の中で、一番クリスマスが好き、

お正月よりも好きと、よく言っていました。

今頃あの子は、神様のところで本当のクリスマスを

過ごしているのかな…

メリークリスマス!創…

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までいの力

2014-12-23 13:22:45 | 日記

昨日のブログに、飯舘村の「までい」のことを書いたら

「までいの力」という本が、私の処にやってきました。

読書量の少ない私ですが、この本は今年読んだ本の

中でも、トップになるくらいガツンときました。

この本は、2011年初春に発売になるはず

だったようです。

発売直前に襲った東日本大震災と原発事故。

ですから、この本には原発事故以前の飯舘村が

あるのです。

人口6000人の小さな村が、周辺自治体との

合併をせず、体を使い、知恵を出し合い、

心を熱くし、夢を持ち続け、そしてその夢を

叶えていく行動力、それが飯館村なのです。

飯館村の全てを貫くのは「までい」

「までい」とは、真手(まて)の古語が語源で

左右揃った手、両手の意味で、手間ひまを惜しまず

丁寧に心をこめて、つつましく、と言う意味で

東北地方で使われている方言だそうです。

読んでいて、初女先生の生き方が「までい」そのもの

だと感じました。

本を読んでいると、飯館村に行ってみたい、出来るなら

そこで暮らしてみたいと思いが押し寄せてきますが

2011年3月11日以前の、この本にある飯館村は

もうないのです。

そのことを思うと、失われたものの余りの大きさに

途方にくれます。

飯館村の菅野村長が本のまえがきに

「戦後、一貫して大量生産・大量消費・大量廃棄に

よって作られてきた今日の日本経済の中に少し

スピードを緩めてみようと。走っている人は歩く、

歩いている人は立ち止まる。立ち止まっている人は

しゃがんでみる。そうすると足元の花の美しさが

見えてくるような気がする。

戦後一貫して効率一辺倒、スピーディーに、お金が

全てという価値観を進めてきた結果、人と人との

関係が希薄になり「自分さえ良ければ病」になって

しまった。「お互い様」のまでいの心が必ずや

新しい日本を再生する基礎になると思う。」と

震災直後の3月28日に書いているのです。

そして、2011年8月8日には、

飯館村「未来の翼」事業、第1回実施で、中学生

18人がドイツへ「持続可能な社会」の研修へ行って

います。

何が起きても、先祖代受け継がれてきた「までい」は

飯館村の人の生きる力になって行くのを感じました。

そういう核のない、私たちは焦り、自分を失い

来た道に戻ることが、この国の再生だと信じて

いるのではないかと、この本を読んで思いました。

出会って良かった「までいの力」

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「までい」丁寧に心を込めて

2014-12-22 15:34:01 | 日記

原発事故が起き、初めて知った町や村の名前が

いくつもあります。

飯館村もそうです

でも、村の名前を知った時は放射能の汚染された

と言うレッテルが一分の隙間もないほど貼られている

状態だったので、原発事故以前の飯館村は知らないし

知ろうともしませんでした。

新聞に『里山夕霧蜜蜂 野生の日本蜜蜂100%

「天然はちみつ」です。福島県飯館村産。』と書いて

あり、2011年の蜂蜜製品に貼られる

ラベルが今も残っているそうです。

飯館村は自然豊かな地に在り、マツタケ・タラの芽

ウドなど様々な木の実があり、イワナが釣れ、

天然ウナギがすむ川が流れていたそうです。

村にあふれる自然の恵みが食卓に並び、日々の

暮らしを彩っていたそうです。

そして、村には「丁寧に心を込めて」を意味する

「までい」という方言が村の合言葉だったそうです。

30~50キロ先の原発とは無縁の暮らしがあった

そうです。

それらを、すべて奪われてしまったのです。

記事を読んでいて、心が痛くなります。

取材した記者が「原発事故は国内総生産を増やす

ことばかり熱心で、貨幣に換算出来ないものの価値を

無視してきた日本人に反省を迫った。

そして、目先の利益だけにとらわれない社会づくりに

取り組むきっかけに出来るはずだったが。」と

書いていました。

私たち全ての人に「までい」の精神が蘇る気づきが

与えられていたのに…

これだけ大きな犠牲をはらい、また同じ道を歩もうと

しているのでしょうか、この国は…

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またしても「創」を…

2014-12-20 23:52:36 | 日記

初女さんとランディさんの対談「深き森の語らい」が

終わり、ほっとする間もなく書展の作品にとりかかって

います。

書けども、書けども書けません。

100枚以上は書いていると思いますが…

今日も、職場の作業所を借りて黙々と書いていました。

亡くなった息子の名前を書こうとすると、涙が

溢れて書けなかったので、息子の名前とちゃんと

向き合おうと、思っていたら「書」と出会ったのです。

この「書」も天国の息子からのプレゼントかもしれ

ません。

だから、「創(つくる)」という字は、何としても

作品にしたいのですが、書けども書けども…

書こうとして、筆を持ち紙の上に立って

じっと見つめていると、ものすごく明るく

楽しい子だった息子の笑顔が浮かんで来て

字まで可笑しな字になってしまうのです。

今日は雨降りなので、車で迎えに来てくれた

息子が、部屋一面に広がっている「創」の

字を見て、「一日中これ書いていたの」と

呆れていました。

あ~天国の「創」が書きたいのに、筆がついて

行かず、私の知っている可笑しな可笑しな

「創」になってしまうのです。

ごめんね、創

もっと精進しますから、待っていてね。

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Wishくん

2014-12-19 23:09:47 | 日記

「深き森の語らい」に参加して下さった茨城のNさんから

「頑張った直さんに…」と、素敵なプレゼントが送られて

きました。

それは、真っ白な1枚の葉書でした。

葉書に、願い事を書いて送ると、ドンさんという

アーティストが、その願い事を絵にして送ってきて

下さるというプレゼントです。

願い事!と、改めて聞かれ「私の願い事は何?」と

自分自身に問うてみました。

そう言えば、今回の深き森の「分かち合い」で

祈りと願いは違うのですか?という質問がありました。

願いと祈りは違うと、私は思うのです。

私の願いは、wishくんは…

そうだ、この初女先生と田口ラんンディさんとの

対談が本になることだ!

あの、心の深みに降りて来るような対談を

届けたいもの…

初女先生も、そのことを望んでいました。

そして願わくば、その本に「深き森の語らい」という

題名をつけてもらえたら…

これが、私の「Wishくん」

願いが叶うといいな~

 

 

 

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冬が来ました。

2014-12-17 23:18:26 | 日記

今日は、とても寒い一日でした。

凛とした寒さに、姿勢が正されるような気がしました。

寒い日は、なぜか初女先生が思い出されます。

私が「寒いですねー」と言うと、「そうでないようだよ

温かいよ」と、言われる初女先生

先生のその言葉を聞くと、北に生きる人の強さを

感じるのです。

今日の寒さで、職場の前の銀杏の木が、葉を

すっかり落としました。

冬が来たのです。

葉を落とした木々達を見ると、そのいさぎよさに

ハッとさせられます。

丸裸になって、寒さに立ち向かって行くのです。

どんな強風も、凍えるような寒さも、すべて受け入れ

天に向かって立っているのです。

不平不満を出さず、黙してそこに立っているのです。

その姿に、崇高なるものさえ感じます。

なんだか、初女先生のお姿が重なります。

とうとう、冬が来ました。

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心の深みに…

2014-12-15 23:07:10 | 日記

今日は、女子会と称して11月24日以来初めて

何人かで集まり、初女先生とランディさんとの対談の

録音を聴きました。

深い深いあの時間が戻って来たようでした。

ランディさんの「自分が…」という詩は、何度聴いても

自分自身が重なってきます。

「自分が…」がない初女先生と出会った時の驚きと

その崇高なる精神に包まれた時の安心感

「祈り」や「信仰」という、これまで初女先生があまり語って

来られなかった深い処が、ランディさんの言葉に

よって引き出されて、深き森の語らいとなって

いったのです。

今日、スタッフでわかち合っていても、あの日の

空気感が今でも、自分の体に残っているのを

感じます。

日々の暮らしに戻り、心の中に「自分が…」が

出てきます。

でも、それは今までと少し違っているのです。

「自分が…」が当たり前でなく、「自分が…」が

無くなるなることを願う自分がそこにいるのです。

ランディさんの詩が、心の深みに降りてきます…

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養護学校にて

2014-12-13 18:34:43 | 日記

今日は、養護学校のバザーに販売に行きました。

生徒さん達は、買い物体験の場でもあるのです。

先生に「50円は穴のあいたお金よ」と、言われ

お財布の中を一生懸命探す生徒さん

「お母さんに、お土産買って行こうか」と、先生は

生徒さんの目の前に品物を持って行き、

微妙な目の変化で、その子の気持ちを読み取ろう

と、していました。

マンツーマンで先生が付いているのです。

普通の学校ではありえないことです。

養護学校に行くと、私たちが置き去りに

してきたものを、垣間見ることができる気が

します。

障害児を持ったお母さんが「挨拶と有り難うが

言えたら、生きていける」と、子供に教えてきたと

言っていたことが、思い出されました。

本当にそういう世の中にしていかなくっちゃ!

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