~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

イスキアのごみ

2010-02-28 18:25:49 | 日記
昨日テレビで、フィリッピンやモンゴルなどのホームレスの
子ども達のことを放送していました。
親の虐待から逃れる為に、子どもたちが自ら、マンホールでの
ホームレス生活をしているというのです。
一緒に観ていた息子に「貴方が、どんなに恵まれているか分かる
勉強できるって有りがたいことなのよ。」と言ったのですが、
私は、うちの生ごみを見て「あーこれも、食べようと思えば
まだまだ食べられるんだよなー」と思いました。
イスキアに行くと、スタッフの方が「ここは、ほとんどゴミが
でないんだよ」と言われるんです。
本当にイスキアで出るごみは、これだけの人数の食事を作ったごみ
かしら?と思うくらい少くないんです。
初女先生は「すべてのものに命があるから、食べ物を捨てることには
こころが痛みます。
ちょっとした機転で、最後まで素材の命を生かすことができるのです。」
と言われています。
本当に、命という視点を持っていたら、やすやすと捨てられないはず
なのに…
初女先生はだしをとった昆布も、美味しい昆布の佃煮にするし、
おむすびの海苔の切れ端で作る、海苔の佃煮は絶品だし…
本当に、食材が最後の最後まで命として生かされています。
そして、それはすべてに通じています。
お菓子などの包装紙を、丁寧に伸ばしている先生の姿を何度も
見かけました。
その姿に、そうだ昔は包装紙も大切のしまって置いたなー。
新しい教科書をもらってくると、母が一冊づつ包装紙で表紙を
つけてくれました。高学年になって、母に教わり自分で表紙が
付けられた時には、なんだかちょっと大人になったようで、
嬉しかったのを今でも覚えています。
 初女先生は、「今を生きて下さい」と常に言われています。
そして、その今を丁寧に生きる事を、先生は自らの姿を通して
私達に教えてくれています。

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家庭科のノート

2010-02-27 16:11:22 | 日記
高二の息子の学年末試験が始まり、又しても彼は一夜漬けの大家と
なったのです。
朝、「終わったー」と肩を落として家を出ていく姿に、毎回同じ事を
繰り返して、少しは学習せい!!と思ってしまうのです。
 嵐が去ったような彼の部屋で、散らかっている教科書やノートを
拾っていたら、家庭科のノートがあり、今どきの高校生の男子の
家庭科って何を勉強しているのかと、ノートを見ると
「私立高校に通う母子家庭」の新聞の切り抜きに、息子が感想を
書いていました。
 「僕は小三の時に中二の兄がこの世から去ったから、今こうして
  私立に通えてる。
  たぶん兄が生きていれば、私立は無理だったと思う。
  だから、兄の分もしっかり授業を受けなければいけないと
  心に刻んだ」と書いてありました。
この文章を目にした時、涙が出てしまいました。
やっとこの子も兄のことを、言えるようになったんだ。と思った
からです。
小学校からの友達は、兄が亡くなったことを知っていますが、
中学で知り合った友達はそのことを知らないので、いつでしたか
うちでクリスマス会をやることになった時、祭壇にある兄の写真
やバットやグローブをしまって欲しいというのです。
私は「お兄ちゃんにお願いしなさい」と言いましたが、まだ
この子は兄のことを言えないんだなーと思いました。
私もそうでしたが、話せるようになるまでには、それなりの道のりが
あり簡単なことではないのです。
 でも、先生に提出するノートに兄のことを書いたということは、
彼の中で悲しみが変化して来ているのかもしれないと思えたからです。
息子の書いた文章に、先生の二重丸がついていました。
私が何となく言った「あんたが、一人っ子だから、私立にいけるのよ」
と言った言葉が、こんなふうに息子の心に留まっていたなんて…
母は反省しつつ「しっかり勉強すると心に刻んだなら、一夜漬けから
脱出せよ」と言いたくなるのです。
そして、「終わってないよ。終わりは始まりなんだから」と…
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おふくろの味

2010-02-26 18:51:45 | 日記
今朝のテレビで、おふくろの味が危ない!と言ってました。
40代以下の人達が、お惣菜を作らずコンビニやスーパーで買って
しまうので、作れない人が多くなっているというのです。
一緒に見ていた息子に、「年寄りの母さんでよかったでしょ」と言うと
素直に「うん!」と言うのです。
ついでに、レンコンのきんぴらを勧めると、これもまた素直に食べる
のです。
以前、子育て支援の仕事で赤ちゃんを出産したばかりの家に行き
沐浴をしたり、食事を作ったりしましたが、若いお母さんは
夕飯にマルちゃんの焼きそばを作って欲しい、と言ったりするのに
驚きました。献立を知らないのです。
買ってきたお惣菜や冷凍食品が、ほとんどでした。
本当に、おふくろの味が危ない時代になっているのかもしれません。
子育てをしていて、何も出来ないなーと思うことがあります。
子どもが大きくなると、親の無力さを感じることが多々あります。
そんな時は、いつもより手間をかけ、心をかけて料理を作ります。
「美味しい」ということが、何かを子どもに伝えてくれるような
気がするのです。
初女先生も言われています。
 「私は、親として子どもに何をしてあげたらいいでしょうか。」
  多くの母親たちが、子育てに迷ったときにそんな質問をします。
  悩み、不安を抱えるている子どもに、何か特別なことを
  しなければならないと思いがちです。
  けれど、子どもが渇望しているのは、特別なことではありません。
  毎日の食事に手をかけ、こころを尽くすこと。
  それ以外に子どものこころを満たす方法はありません。
  おいしくこころのこもった食事は、何も説明しなくても、
  すぐに子どものこころに通じ、一食ごとに変わっていくのでは
  ないでしょうか。
  そして、その味は一生、その子の中で生き続けていくのです。
                    佐藤 初女 
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発酵しない味噌

2010-02-25 20:06:56 | 日記
初女先生の本を読んでいたら、「味噌の袋の成分を見たら、
その中にアルコールが入っているんですね。
時間をかけて熟成させないで、アルコールで発酵を促進するんです。
いまは味噌をアルコールで発酵させてるんだなと思った。」と書いて
ありました。
それを読んだら、私の発酵しなかった味噌を思い出しました。
 子どもを亡くした翌年、私の事を心配してくれていた方が、
「皆でお味噌を作れば、少しは元気になるかもしれないよ。」と
声をかけて下さいました。
それまで、何度か味噌作りはしていましたが、一人で作る気力は
とてもなかったので、みんなと作れば出来るかもしれないと、
参加しました。
同じ材料で、一緒に作り保管もその方のお宅でして頂いたのに
なぜか、私の味噌だけ発酵しなかったのです。その方に
「貴方の悲しみが大き過ぎて、お味噌が発酵しなかったのよ」
と言われました。
味噌作りは手を使います。私の手から、悲しみが出ていたのでしょうか。
いつでしたか、その事を初女先生にお話ししたら「そういうことって
あるんだよね」と深く頷かれました。
それから、どうしても味噌作りには踏み切れなくなっていたのですが、
「初女先生は味噌を作る時に、大豆を指で潰される」と言うのを
聞いて、私もやってみようと思い何年振りかで味噌を作りました。
今度は発酵しましたが、まだまだ「うまい!」というところまでは
いきませんでした。
 水は、音楽や「ありがとう」という言葉で、美しい結晶を作るそうです。
逆に「ばかやろう」という言葉では、結晶はばらばらに砕け散ると
いいます。
悲しみで発酵しなかった、私の味噌といい、感じる心というものは
もしかしたら、あらゆる物が持っているのかもしれないと
思えるのです。
初女先生の手で、大豆は喜んで潰れ、麹はどんなに嬉しくて発酵した
ことでしょう。
すべてにいのちが有り、すべてに心があるのかもしれない…
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美味しい

2010-02-24 21:03:06 | 日記
先日、初女先生と話している時、先生が「最近は美味しい
ということが分からない人が増えているようだよ」と言われたのを
聞いて、やっぱり!と思いました。
美味しいとは、味覚で感じるものなのに、どうも頭で考える「美味しい」
が増えてきているように、私も思います。
説明や講釈を聞いて、体によいことを念押しされるようにしてから
食べるとそれが美味しいになるのです。
私もかつては、それが美味しいと言うことだと思っていました。
初女先生のお料理は、食材のその物の美味しさが最大限引き
出されています。
食べると、思わず「美味しい!」といってしまうんです。
野菜嫌いの子も、先生のお料理はパクパク食べますし、イスキアに
来た人は必ずって言っていいほど、先ずお料理の写真を撮ります。
見ても食べても美味しいのです。
先生のお料理をみると、あれだけ丁寧に作られたら食材もさぞや
嬉しいだろうなと思います。
今、知識と共に食べる人が多くなり、先生が言われるように本当の
美味しさが分からない人が増えてきている気がします。
先生の言葉を心に留め、少しでも美味しいものを作りたいなと
思うのです。
 
  お料理を作る時は、慌ただしく振舞わないよう心がけます。
  つねに意識を集中させないと、食材の命とこころを通わせることが
  できませんから。
  食材の命を生かそうとすれば、それを食べる自分も生かされます。
  それが食材にたいしても、食べていただく人に対しても礼儀だと
  思うのです。
  そうでないと、人のこころに響くのもにはならないからです。 
                             
                      佐藤 初女
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神様の時間と白玉

2010-02-23 20:47:10 | 日記
昨日は神様の時間を頂きました。
羽田で初女先生をお見送りしようと思って行ったら、思わぬ
「神様の時間」が用意されていました。
久し振りに、先生とゆっくりお食事をしてお話しました。
先生と居ると、羽田の喧騒も遠のき、静かな深い時間が
流れて来るようです。先生はどこでもイスキアにしてしまう
初女マジックを持っているのかしら?と思うほどです。
 お食事が終わったら「今日は暑いよね。アイスでもたべない。」
と言われ、メニューを持って来てもらいました。
私はフルーツ白玉!と言うと、先生も「私もフルーツ」と言われ
同じものを頼みました。
ところが、お客は私達だけしか居ないのに、待てど暮らせど
白玉は出てこないのです。
そうしたら、先生が私の耳元で小さな声で「白玉の作り方知らない
のかね、簡単なのに。」と真面目な顔をして心配そうに言うのです。
私は「まさか、メニューに書いてあるし」と思いながらも、先生の顔を
みたら「それも、有りかも」と思えたり…
そして、初女先生の魅力を又しても発見と思いました。
歳を重ねても、チャーミングとユーモアに溢れる初女先生の魅力は
計り知れません。
先生と過ごした時間が、私に元気をくれました。
神様の時間と白玉に感謝!
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思いが重なる

2010-02-22 21:59:41 | 日記
初女先生の連載が載っている「こころの友」の最終号が送られて
来ました。
読んでいて、先生と自分の思いが重なりました。
うちの子が亡くなって、七か月後に先生も息子さんを突然
亡くされていました。
私は混乱の中で、「息子を神様にお返しした」というのが、
一番納得出来る答えでした。
先生の「大切な人は神様にお捧げしたものと思って…」と言う
お言葉が、私の悲しみを優しく包んでくれました。
心響く初女先生のお言葉を心に抱いて、歩いていこう。

 「ここ「森のイスキア」を訪ねてくる方々の中にも、肉親を
亡くして深い悲しみの中におられる方がいます。
「辛くて辛くて…」とおっしゃって。その気持ちはよくわかるんです。
 でも、別れたくなかったけど、今さらどんなことをしても帰って
来ない。だからもう、この大切な人は神様にお捧げしたものと思って、
この人が生前望んだように私は生きていこう。
今を生きることにまさることはないのだから、今を生きることに
全力を尽くそう。そう思ってきました。
 言葉には出さないけど、息子のことは毎日のように思います。
息子の言ったことを思い出したり、あの子ならどう言うかなと
考えたりする中で、今の私の生活の中で、息子の復活はすでに
始まっているのだと思うんです。」
                 佐藤 初女
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ゆずの笑顔

2010-02-21 21:42:28 | 日記
昨日、家族でゆずのコンサートに行ってきました。
高校生の息子が、親と一緒にコンサートへ行くと言うと、大抵
「信じられない」という答えが返ってきます。
私も高校の頃よくコンサートに行っていましたが、親と一緒に行こう
なんて考えもしませんでした。
家族三人でコンサートへ行く!これは、長男を亡くした後に私達が
見つけ楽しみなのです。
多分、高二の息子もそのことが分かっていて、一緒に行くのだと
思います。
彼らの年代からすれば、親と一緒なんて超格好悪いことなのですから…
 昨日のコンサートで、ゆずの「嗚呼青春の日々」という歌を聴いて
いたら、隣にいる息子も青春を歩きだしているんだなーと思った瞬間、
あの子は青春の入り口で逝ってしまったんだと、ふいに涙がこみ上げ
てきてしまいました。
そして、その私の思いを重ねるように次の歌が、
「もしも、願いがかなうならば会いたい 会いたい…」とゆずの
北川さんが、亡きお父さんへの想いを歌にした歌が始まり、涙が
止まらなくなってしまいました。
帰りに主人が、「北川君の笑顔はいいよなー。見ていて元気に
なるよ!」と、その言葉がとても清々しく私の心に響きました。
北川さんも、いろいろ大変なことを抱えているようですが、
彼の笑顔は、みんなを嬉しくさせてくれます。
本当に素敵な笑顔です。
帰って来た息子の部屋から少し音のはずれた、ゆずの「夏色」が
聞こえてきました。

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祈り

2010-02-20 23:50:06 | 日記
私は、辛い時や悩みがあるときには必ず初女先生の本を開きます。
何気な開いたページに、なぜかその答えがあるのです。
今日、苦しみの中にある方のことを思い先生の本を開き
ました。
パット開いた時に、先生のサインが目に飛び込んできました。
「祈りのうちに 今を生きる」
なんと深い言葉でしょう…
人は信仰がある、なしに拘わらず祈ります。
もしかしたら、祈りに支えられて生きているのかもしれません。
初女先生のドキュメント番組で、イスキアを後にする人を
見送る先生の眼差しを見た時、先生の深い祈りを感じました。
私は、自分で立ち直ったように思っていましたが、先生の
深い祈りに支えられていたのかもしれません。
人は祈ることしか出来ないと思った時に、自分の弱さを
感じたりしますが、祈りとは漠然とした頼りないものでは
ないのかもしれないと、思えるのです。
何も出来なくても、祈ることは出来る!
亡くなった人達も祈ってくれています。
私達は祈りの中に生きているのかもしれない…
「祈りのうちに 今を生きる」
初女先生!これが先生の答えですね。
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心を届ける

2010-02-19 20:23:38 | 日記
去年の初女先生の講演会の時に、私はスタッフの皆さんに
感謝の気持ちを込めて、お昼のお弁当におむすびを作りたいと
思いました。
でも、生れて初めて主催する講演会の朝に、70個のおむすびを
作るなんて到底出来ることではありません。
もしも、初女先生のお漬物か梅干しがあったらどんなにいいだろう!
と思いましたが、まさかそんな事までお願い出来ないしと思って
諦めていたら、講演会の前に初女先生から荷物が届きました。
何だろうと思い開けてみると、なんと沢山のきゅうりのお漬物が
入っていたのです。
私は、あまりの嬉しさに涙が出てしまいました。
先生にお電話をすると、「しょっぱい物が欲しいだろうと思って」と、
私はこの時、先生の心を頂いたという思いで胸が一杯になりました。
歳を重ね、心配りは多少出来るようになりましたが、先生のは
心配りではなく、「心を届ける」そのものでした。
きゅうりのお漬物が、先生の心を届けてくれたのです。
私は、ふと自分がその人の為にと思ってしていることが、
もしかしたら自分の自己満足かもしれないと思うことがあります。
子どもを亡くして、初めて自分が他者の為にしていたことが、随分と
浅いものだったと分かったのです。
先生の心を頂き、私も小さな小さなことでも心を届けることが
できたらと思いました。
「心が届く」嬉しさを体験したのですから!
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