赤い靴日記  (子宮頸がん ステージ3bから20年)

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父のこと

2005-06-23 09:00:26 | がん
今日は携帯から。
火曜日の夜。父から電話があった。
先日の検診あり、その結果を聞きに予定より早いが来てくれとガンセンターから呼ばれ、聞いてきた と言うことだった。
つまり、そういう事だ。

父の膀胱ガンからもう20年になる。胃ガンになったのはもなみから1年も経たないうちだからそろそろ3年になる。
3ヶ月毎の検診で引っかかったみたい。
ガン患者は、普通の人より頻繁に検診をする。
だから、気がついたときには進んでいた、と言うことは そうそうないはず。
疑わしきをいち早く見つけて 即座に適切な治療をするのだから 寧ろ極初期に対策をうてる。

しかし…。

時間的な整理と気持ちの整理が まだつかない。

ので、しばらく考える時間を持ちます。

 ←こんな形だけど、応援の力をもなみに下さい。


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6 コメント

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Unknown (ROUBA)
2005-06-24 17:36:50
もなみさん

お父さんお一人で結果聞きにいらしたのね

お電話受けたもなみさんの一瞬の思い、考えただけて震えます

家のROUBZIよりお若いのでしょう?

辛いですね・ご一緒に闘いましょうね

北海道のROUBA夫婦からお父さんともなみさんに

声援をおくりますので・暑さの中ご自愛くださいませ。

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ありがとうございます。 (もなみ)
2005-06-24 19:09:23
ROUBAさん~~

応援ありがとうございます。

多分父のほうが年は上だと思います。



正直。参っています。

自分の時のほうが、冷静だったような。



5年前の母のこととかも思い出し・・・。



父は膀胱がんになっても復活し、胃がんになっても復活し、私たちがん患者の「希望の星」なんです。

そうです父は不死身なんです。

 負けてなんていないぞ!



応援ありがとうございます。

もなみが頑張ってもしょうがないけど。

がんばります
返信する
Unknown (ぴょんぴょん)
2005-06-24 23:30:58
たいしたことはできないけれど、陰ながらの応援に、ポチッと押させていただきました。



お父様のご快癒、お祈り申し上げておりますよ!

もなみさんも、どうぞご自愛くださいね。



レスは、お気遣いなく~。
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ありがとうございます (もなみ→ぴょんぴょんさん)
2005-06-25 12:15:06
ぴょんぴょんさん 

応援ありがとうございました。



みんなに元気をアピールするつもりで始めたHPで

逆にみんなから元気をいただいています。



ぴょんぴょんさん、確か以前も万歩計で「東海道」されていませんでしたか?

それをみて、もなみもやっていました。

掛川で、ストップしていたので、最近また再開しました。

今度は京都まで がんばります

返信する
初めまして。 (チエ)
2005-06-27 13:17:16
初めましてで、いきなり、BLOGにコメントだなんて、すみません。もなみさんの、BLOGを見て、思わず、書かずにはいられませんでした。私の実父も約8年前に「大腸癌」で亡くなりました、開いた時(手術)には時、既に遅し、あっちこっちに転移して末期だったそうです。←何故‘そうです’

なのかと言うと私は当時、過度の不妊治療(最終的には子供は授かりませんでした)や色々なストレスから自律神経失調症に陥り、少しずつ症状が和らいで来た時期に父の「大腸癌」、実母と実兄は最初から知っていましたが、私への配慮だったのか、私には「腸閉塞」の術後の治りが悪いとしか告げられていませんでした。父が「末期の大腸癌」と知ったのは父が亡くなる、3週間前、後2か月くらいしか持たないと言う時期に、実兄から告げられました。実兄から告げられた時には、どうしても信じられなくて「嘘でしょう?冗談でしょう?」と

否定していました。だけど父が日に日に、弱くなっていくのを見て、真に受けとめるしかありませんでした。実兄から告げられてから父が亡くなるまでの3週間、当時、実家は東京、私は宮城に住んでいましたが、旦那に協力をしてもらい、頻繁に車で東京と宮城を往復していました。実兄から癌告知を受けるまでは、実家が遠かったせいか、あまり父と話す機会もありませんでした。もっと沢山、色んな話しをしておけば良かったと後悔・・・父が亡くなってから7回忌目の歳に、私の「子宮体癌」幸いにも、末期ではありませんでしたが、父が救ってくれたのかな?と思います。



完全に自分語りになってしまい、すみませんでしたm(_)m

また寄らせてくださいね(^^;)
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ありがとうございます (もなみ→チエさん)
2005-06-27 15:50:05
はじめまして チエさん

苦しかったでしょう?お話してくれてありがとうございます。

チエさんのご家族の温かさ、ご主人の愛情、何よりチエさんの優しさが 文面から溢れてきます。



5年前母を亡くした時のことを思い出してしまいました。

時間を戻せない、どうにもならない辛さを乗り越えていらしたんですね。

その後に子宮ガンだったんだ~。

もなみも母の亡くなった8ヵ月後に告知されました。



東京と宮城って、すごく遠く感じます。

チエさんの後悔はどんなにお父様を大切に思っていたか、という裏返しですよね。

チエさんが病気に立ち向かっている事、お父様のためにがんばって通った事、お父様にも周りの方にもきっと勇気を与えた事と思います。



「赤い靴」に寄っていただいたのも、何かのご縁かと思います。

これからも、お話したいです。

また、「もなみの赤い靴」では子宮頸ガンですが、ホームページを開いています。

是非こちらにもお寄り下さい。

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