去年の12月25日に、群馬県の児童相談所に 伊達直人という人からランドセルのプレゼントがあって以来、 全国のいろいろな所に、伊達直人さんからプレゼントが届いている。
最近では、矢吹丈とか、肝っ玉母さんなんて人も加わって、善意のプレゼントがどんどん届いているという。
こんな不況の中だけど、一人が優しい気持ちを表現して、それに続いていろんな人が自分の心の中にあった優しい気持ちに気付き、それを行動に移しているようで、今の世の中も捨てたもんじゃないなぁ、なんて。
そんな上から目線は 申し訳ないな。
なんて素敵な世の中なんだ、ありがたい人たちがたくさんいるんだなぁと感心している。
よく、欧米キリスト教文化圏では、自分が幸福な時はそうでない人に少しでも施しを、
っていう考え方があるから、寄付とかする人が多くて、それがステータスのような見方もあると聞く。
じゃぁ日本はどうかっていうと、仏教でも恵みを施す考え方はあったけれど、欧米ほどではなかったように思う。
言い方は悪いけど、恵んでやる とかいう言葉もある。 これって・・・。
神に対して、自分の行いとしてどうする、というキリスト教的な基盤はあまりなくて、
人様対自分という視点で生活しているからかもしれない。
人様が見ているから悪いことをしてはいけない。
いきおい、人様が見ていないところでは何をしてもいい。
施しも自分と神とを近付ける善意のものというより、自分が相手より優位にいることを誇示するかのような意識をもっている。
と言ったら、ちょっと言いすぎだけどね。
これは、仏教的背景というより、日本独自の視点であるような気がする。
で、今回のタイガーマスクを考えてみると、
近年の欧米化社会が、良い意味で表れた とは言えないだろうか。
日本の良いものがどんどん無くなって欧米化し、個人主義みたいな面ばかりがとり立たされているけれど、
日本人だって、お互い苦しいときには少しでも誰かの役に立って苦しみも楽しみも分かち合いたいと思っている。
その思いが、欧米化によって寄付に対する抵抗が少なくなった時代に、この不況の中良い形で表れたんだと思う。
人が見ていようが見ていまいが、自分の優しさの心に従って行動したんだと思う。
ただ、この運動を形として存続させよう!みたいな話が出てきている。
これは・・・どうだろう?・・・
良いことには変わりないのだろうけど、善意はあまり他者からの型の中に入れて欲しくないような気がする。
「タイガーマスク運動」なんて名前をつけないで、他の人が枠組みを作らないで、
自然発生的に心の中からわき出る形で、善意が表れ、
そして、それはそれで終わってもいいと思う。
大切なのは、その自然発生的な心が、いつでもどんなときでも 誰に言われるでもなく ましてや決められたものでもなく、
その人の思いのままに わき出ることだと思う。
一人一人が優しい自分の気持ちに素直になれる、素敵なことだと思う。