赤い靴日記  (子宮頸がん ステージ3bから20年)

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がんセンター

2001-08-28 16:46:53 | がん
 8月28(水)晴れ。神奈川県立がんセンターまでは 車で20分。去年の12月31日午前3時に子供を乗せてこの道を走った。救急車と一緒に妹と病院に着いたのだけれど、「だれか会わせたい人がいたら連れて来て。」と看護師さんに言われて子供を連れに戻った。その間に母は亡くなってしまっていた。まだ8ヶ月前のことだった。

 紹介状を持って診察を受け、担当はS先生になった。もう出血が止まらない状態でガーゼを詰めてもらった。先生は・・・
 S先生「あちらの病院で聞いていると思いますが、もう一度検査をします。どのくらいの症状なのか こ
     れからどういう治療をしたら一番効果的なのか それから転移などが無い事を確かめるた
     めに
アレとコレとソレとドレの検査をして下さい。」
 もなみ「はい。」
それから、採血→採尿→心電図→肺→耳朶→X線(胸、腹)の検査をした。これから毎日検査とガーゼの交換がある。

 在宅の仕事ではあるけれど、とてもではないけれどこんな状態では出来ない と思って会社に電話をし、明日娘に仕事の返却をしてもらうよう手配をした。この時のことは みなさん本当にご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。 
 
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検査結果

2001-08-28 16:42:10 | がん
 8月28日(火)晴れ 猛暑。主人と一緒に通院。すごい人で、3時間以上待たされた。どうも担当の先生が急に手術になってしまい、その先生の患者さんはみなストップしているようだった。姑のお留守番の時間に間に合わなくなってしまうので、主人は車で先に新しい実家に行ってもらうことにした。この時点では、別にガンと決まっていたわけではないので 検査結果くらい一人で聞くことは何でもない。それよりも義母が吾を失くしてパニックになるほうが ずっと大変なことだと思った。
 
 いよいよ診察室に入るときには やっぱり手に汗を握ってしまった。いや、汗はかかなかったな乾性肌なんで、心臓がバクバクしてしまった、うんコレでいこう。初診時の先生ではなく院長先生だった。

 院長 「検査で菌もあったんですよ。でも、普通の人でもよくある物でね。まあ、それはそうなん
    ですけど、がん検診なさったでしょう?そちらの方で引っかかりましてね。・・・」
 そこから、所謂細胞診の説明があり、
 
 院長 「もなみさんの場合、ステージⅤなのできちんと治療をされた方がよいと思います。この辺
    りではガンの専門医の『県立がんセンター』を紹介しますが、どこか希望の病院がありま
    すか?」
 もなみ「はい、そこでよろしくお願いいたします。」
 院長 「では、電話してみましょう。」
 さっそく電話をしてもらい、院長先生のお友達というおまけ付きで翌日の予約を取ってもらった。

 最後の先生の言葉が忘れられない。
 院長 「もなみさん。これから大変だと思いますが、頑張ってください。」
 もなみ「ありがとうございました。」
 そう言って帰ってきた。

 いや、帰ってきたのではなくて、会社に行った。担当の上司にガンであることを告げて金曜日までの仕事でとりあえず休ませてもらうことにした。その後、引越し先の姑の所に行った。電車はかなり遠くて、外はとっても暑かった。最寄駅に着いたので電話をしたが、やはり姑を一人にして迎えに来てもらうのは心配で 買い物をしながら歩いた。実際そんなに遠い距離でもないので嫌がるだろうけど 暑かったんだから、タクシーに乗ればよかった。夜になって義姉も帰ってきたので 帰ってきた。
やっと一日が終わった。

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電話

2001-08-27 16:40:13 | がん
 8月27日(月)晴れ。夕方頃病院から電話があった。ちょうど買い物に行ってたので子供が受け、折り返し電話をしたときは診療時間を過ぎていた。
 病院「検査結果について先生がお話したいことがありますので、いらっしゃることができますか?」
 もな「はい、これから伺ってよろしいでしょうか?」
 病院「もう診療時間を過ぎたので、明日来ていただきたいのですが。」
お約束の2週間にはまだ早いのに 先生がお話したいと言うのだから ガンだと思った。ガンなんだ ガンなんだ と、どうしようもなくなって、主人と友達に電話をした。

 翌日の午後は、ちょっと痴呆の来ている姑が引っ越し先で初めて一人になるので 私が一緒にお留守番をしてあげることになっていた。ソレが出来そうにないので主人に休みを取ってもらい、時間が許せば病院にも一緒に行ってもらおうと思って、会社を休んでもらった。

 友達は高校からの友人で一番の親友。ちょっと泣きながら電話をしていたのだけれど、何も言わずに聞いていてくれた。

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初診

2001-08-20 16:39:35 | がん
せっかくだから 病気のことを書き始めようと思う。
今日は、「初診」

 痛いのは大っ嫌いなのだけれど、鈍痛には強いらしく、腰が痛いなぁとか疲れるなぁとか言うことはほとんどなかった。疲れてはいたのだけれど、もろもろの事がありその疲れだと思っていた。2年位前からすごく痒くなることがあった。おりものが水っぽい様な気がしたこともあった。時々出血することもあって、1年くらい前には 病院に行かなくちゃ行けないかもしれないと思っていた。
 
 それから母の調子が最悪になり 入院 我が家で在宅ホスピスの介護 大晦日に死去。同時期に息子の学級崩壊 2月に娘の高校受験があり、4月に主人が海外赴任から帰ってきた。5月から仕事で新しいチームに入って自分の実力のなさを思い知らされ、がむしゃらに仕事をしてなんとか見えてきたな、と思ったのが8月頭だった。 

 気が付くといつもいつも生理が来ているようで、え?また?更年期で不順になっているの?というくらい。ところが末になって、いよいよ腰がだるい おかしい出血 というので、近くの産婦人科に行った。

 8月20日(月)晴れ。暑かった。長い時間待たされて 若い男の先生に今までの症状を言った。
 先生「ちょっと見てみましょう。それから、もう市の検査もできるのでがん検診も一応しておきま
    しょう。」
ということで検査。
 先生「ポリープとかはありませんね。」
というのでちょっと安心した。検査結果は2週間後と言われて帰ってきた。

 その週も仕事があり、日曜日には引越しの手伝いをした。とてもお世話になっている人で、姑の世話もしてくれている人なのでできる限りしなくてはと頑張った。もしかすると私はこれを限りにその方へ恩返しができないかもしれないと、本気でそのとき考えて頑張ってしまった。帰ってきてから出血がひどく 馬鹿なことしちゃったなーと反省した。

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