母親を送る作業というのをここのところやってきたわけで、そんな日々に明るく大笑いもしていられないし、ガツンとくるジャズも聴くことができない。
そんななかでチェロの練習は一日少しでも触ってきたし、聴いた音楽もほとんどチェロ、チェロを始めたのが7月で、なんだかあらかじめ用意してもらった安らぎの道具のような気がしてきました。
まず聞くのはこちら、ミッシャ・マイスキーが久石 譲の「おくりびと」を弾いています。はまりすぎですが安らぎます。
チェロの音色というのは人の気分を逆なでするものではないので、ここのところこんなのばから聞いています。
チェロを始めてしばらく後に、新品をかったものはフルニエの「無伴奏チェロ組曲」、むかしむかいチェロを弾きたいと思わせたアルバムで、久しぶりに聞いて、これがあればいいじゃないなんて思ったアルバムです。
その後、調べていくつかが聞きたいとおもって借りたり中古屋さんで探したりしていました。
これは借りたけれど、ぴったりこないので残部を効かずに中止の演奏、ムスティスラフ・ロストロポーヴッチは巨匠だから、これは好みの問題です。
で亡くなった後に買ったのがこのアルバム、ネットで一寸きいてどうだかな~と思ったけれど、中古でお安いので買ってみました。これが正解、1570年ごろつくられたチェロを鈴木秀実が弾いた、これも有名なアルバム。素晴らしい音色とまとまり、フルニエと違う解釈もおもしろくてここ何日かこれを聞いていました。CDジャケには鈴木氏のサインが入っていました。
それで日常にもどった今日は、銀行にも一寸いかなければならず、昼休み中古屋さんで見つけたアルバム、これもバロック・チェロ(1669年)を使ったアンナ―・ビルスマの有名な演奏で欲しっ買ったもの。
語るような無伴奏チェロ組曲といわれるもので、これから聞いてみます。
で聴いてみましたけれど想像とは違った。バロック・チェロという性質をだしているのか、とても古典的なというか、古典芸能のきめみたいなところもあって、三者3様で楽しい。
今の好みは鈴木秀実さんです。
ジャズ最中がチェロ最中みたいになっているけれど、悔恨の残るみとりではなかったので、JAZZの方にも戻れそうです。
サンチェスやホランド、ガラティのアルバムも置いてあるしね。
そんななかでチェロの練習は一日少しでも触ってきたし、聴いた音楽もほとんどチェロ、チェロを始めたのが7月で、なんだかあらかじめ用意してもらった安らぎの道具のような気がしてきました。
まず聞くのはこちら、ミッシャ・マイスキーが久石 譲の「おくりびと」を弾いています。はまりすぎですが安らぎます。
チェロの音色というのは人の気分を逆なでするものではないので、ここのところこんなのばから聞いています。
チェロを始めてしばらく後に、新品をかったものはフルニエの「無伴奏チェロ組曲」、むかしむかいチェロを弾きたいと思わせたアルバムで、久しぶりに聞いて、これがあればいいじゃないなんて思ったアルバムです。
その後、調べていくつかが聞きたいとおもって借りたり中古屋さんで探したりしていました。
これは借りたけれど、ぴったりこないので残部を効かずに中止の演奏、ムスティスラフ・ロストロポーヴッチは巨匠だから、これは好みの問題です。
で亡くなった後に買ったのがこのアルバム、ネットで一寸きいてどうだかな~と思ったけれど、中古でお安いので買ってみました。これが正解、1570年ごろつくられたチェロを鈴木秀実が弾いた、これも有名なアルバム。素晴らしい音色とまとまり、フルニエと違う解釈もおもしろくてここ何日かこれを聞いていました。CDジャケには鈴木氏のサインが入っていました。
それで日常にもどった今日は、銀行にも一寸いかなければならず、昼休み中古屋さんで見つけたアルバム、これもバロック・チェロ(1669年)を使ったアンナ―・ビルスマの有名な演奏で欲しっ買ったもの。
語るような無伴奏チェロ組曲といわれるもので、これから聞いてみます。
で聴いてみましたけれど想像とは違った。バロック・チェロという性質をだしているのか、とても古典的なというか、古典芸能のきめみたいなところもあって、三者3様で楽しい。
今の好みは鈴木秀実さんです。
ジャズ最中がチェロ最中みたいになっているけれど、悔恨の残るみとりではなかったので、JAZZの方にも戻れそうです。
サンチェスやホランド、ガラティのアルバムも置いてあるしね。
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