ピアノトリオがフォーレの歌曲を演奏しているのを何度も聴いていました。
それには訳があり、とてもお世話になった叔母が亡くなる日が近かったのです。
そしてその曲がレクイエムのように聴こえた訳です。
クラシックをほとんど聴かないので知識がありませんが、フォーレーのレクイエムがとても聴きたくなりました。
そして叔母が亡くなりました。
レクイエム“安息”が病と長く闘ってきた叔母におとずれたと思います。
ミサの最初の言葉“Requiem”
「主よ永遠の安息を彼らに与えたまえ」
叔母のところは仏教ですから、そんなことは言いませんが、永久の安息-極楽浄土に送る事は変わることとも思えません。
フォーレのレクイエムを聴きながら、偲ぼうと思ったのですが、こんな日にショップに行ったりなど出来ませんので駅前のレンタル屋に行ったら、こんなアルバムがありました。
“レクイエムがいっぱい”、お通夜と告別式の間をこれを聴きながら過ごします。
ミサ曲を多くの作家が作っていて、これはフォーレはじめ、デュフレ、パーセル、モーツアルト、ブラームス、ドヴォルザーク、ヴェルディ、ベルリオーズ、ブリテン、アンドール・ウエーバーなどの20曲がオムニバスになっています。
クラシックオンチの私にはちょうどいいかも知れません。
聴きたいフォーレが流れると、フッと心がやわらかくなります。
フォーレ自身が、怒りの日審判の概念をはずしたといわれるレクイエムが馴染むのです。(これは解説を読みました。)
ドヴォルザーク“呪われしものの口をふさぎ”とか11曲目のヴェルディの“怒りの日 たえなるラッパ”などの曲はしっくりこないし、叔母にも通じません。
また女王の葬送曲や国家的なミサの曲もやはり合いません。
そんなんでここにあるフォーレの4曲を抜き出して再び聴きました。
1曲目 “アニュス・ディ” 旅立った魂がだんだんと別のところへ離れていく感じ。でもそれは必要なこと、みたいな。
8曲目“ピエ・イエス”魂が落ち着きを求めていて、そしてそれがゆえに、満たされるている。あなたが正しいから。
15曲目“サンクトウス”喜びに満たされていく感じ、聖歌では「天と地はあなたの栄光に満たされることを。」(訳 小林利之)
20曲目“楽園にて”、なだらかな起伏が続く地を流れる風が自己かも知れない、そんな風になっている叔母を感じます。
“aeternam habeas requiem.”
「汝が永遠の安息を持たれんことを」(訳 小林利之)
1:レクイエムop.48~アニュス・デイ :-:ガブリエル・フォーレ
2:レクイエムop.9~ピエ・イエス :-:デュリュフレ
3:メアリー女王の葬送の音楽~女王葬送のマーチ :-:パーセル
4:レクイエムK.626~入祭唱 :-:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
5:レクイエムK.626~怒りの日 :-:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
6:フリーメーソンのための葬送音楽ハ短調K.477(479a) :-:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
7:レクイエムK.626~ラクリモーサ(涙の日) :-:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
8:レクイエムop.48~ピエ・イエス :-:ガブリエル・フォーレ
9:ドイツ・レクイエムop.45~人はみな草のごとく(冒頭) :-:ヨハネス・ブラームス
10:レクイエムop.89~呪われしものの口をふさぎ :-:アントニーン・ドヴォジャーク
11:レクイエム~怒りの日|たえなるラッパ :-:ヴェルディ
12:レクイエム~われあやまちたれば :-:ヴェルディ
13:レクイエム~ラクリモーサ(涙の日) :-:ヴェルディ
14:レクイエム~主よ,永遠の安息を彼らに与えたまえ :-:ヴェルディ
15:レクイエムop.48~サンクトゥス :-:ガブリエル・フォーレ
16:オラトリオ「死と生」~審判 :-:シャルル・フランソワ・グノー
17:レクイエム(死者のための大ミサ曲)~怒りの日(抜粋) :-:エクトール・ベルリオーズ
18:戦争レクイエム~怒りの日 :-:-
19:レクイエム~ピエ・イエス :-:-
20:レクイエムop.48~楽園にて :-:ガブリエル・フォーレ
叔母が亡くなった日に写した写真も捧げます。
フォーレ繋がりでLars Danielssonの「libera me」を捧げます。
*いつものニックネームは記事にふさわしくないので伏字に致します。
これから、告別式に行って参ります。
時間をかけてお別れをしてきたので、それに関しての悔いは残っていません。ありがとうございました。
少し前に知り合いが突然この世をさりました。
あまりに突然でだれもがその死を受け入れられない感じ。
そして、生き残るものには通常の時間が流れはじめます。
受け入れられないまま、忘却の彼方においやられて行く感じ。
何事も準備は必要。。ですかしら。。
なんだか、ごめんなさい。
叔母が亡くなることは前から覚悟していたことなので納得ずくめです。
突然になくなった方とかが心には負担が残りますよね。
人が亡くなることを記事にすることはどうかと思いましたが、それも私、ある現実性もあることを作りたいと思いました。
逆に突然の死は私たちのblogにはあいませんね。
どうか癒しがあります様に。
私も今年は世話になった伯母を相次いで亡くしましたが,私がフォーレのレクイエムを聞いたのはそのことが動機ではありませんでした。その点はmonakaさんとはずいぶん異なっていますがご了承願います。
私の場合はむしろ,最近の自身を取り巻くストレスフルな状況からの逃避を図るために,こういう音楽が必要だったということだったと思っています。でも癒してくれました。
こちらからもTBさせて頂きます。