ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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新田晃代さん: ディズニーランドで正社員 北海道の大学出身

2010年08月29日 13時26分52秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「スタートライン レストランマネジャー 新田晃代さん(34) ディズニーの雰囲気提供」という記事がありました。

中高生向けに、いろいろな仕事の解説をするコーナーです。

ディズニーシーで2店舗の経営を任され、正社員として働く新田晃代さんは、北海道の大学を卒業して、オリエンタルランドに就職したのだそうです。

新田さんは、北海道札幌の出身です。
大学は、北海学園大学英米文化学科を卒業しました。

「イギリス文学がどんどん好きになって、勉強をきちんとした4年間でした」

当初は、地元で就職しようと考え、北海道のホテルやデパートを受験しました。
オリエンタルランドだけが、本州の企業でした。

「サービス業に興味があって、サービス業といえば真っ先に東京ディズニーランドが浮かんだんです。全国からたくさん学生が説明会に来ていて、圧倒されたのを覚えています」

今年で入社13年目になります。
飲食部門を長く担当してきました。

入社4年目のとき、ディズニーシーが開園し、飲食店の立ち上げに関わりました。
入社時からの夢でしたが、

「混雑する時間を予測したスタッフのシフト作り、スタッフへの説明など、できると思ったのに、あまりできていない自分がいました。ふがいなさを感じました」

その教訓が今に生きているといいます。

現在は、客船コロンビア号の2飲食店と、付近のワゴン店を任されています。
約260人のスタッフの育成計画の作成、スタッフの管理、天候や時期に合わせた食材の発注などが主な仕事です。

心がけているのは、テーマパークの飲食店だということです。

「『親しみやすさ』と『笑顔』をスタッフに徹底しています」ということです。
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ディズニーランドやディズニーシーで正社員として働く人は、どういう経歴で働いているのだろうと考えてていました。

北海道の英米文化学科卒業でなれるんですね。
(経営とか、ホテル学科卒かと思っていました)

記事には、社員数は2,248人、今春入社24人、女性管理職は部長職1人、マネジャー職18人とも書かれていました。

新田さんは、ふんわりした水色の半そでブラウスに黒いパンツ姿で、ちょっと松たか子さん似の方です。


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寿司: 日本の回転ずし支えたミャンマー人、帰国し、すしブーム

2010年08月29日 09時39分56秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に「ミャンマーはすしブーム 板前は日本仕込み 地元客好みの味付け 日本の成長期支える」という記事がありました。

日本の回転ずしは、ミャンマー人労働者が支えてきて、帰国した後は、本国で寿司を紹介し、ミャンマーはすしブームなのだそうです。

日本に滞在するミャンマー人は、1970~1980年代は、留学生が中心で100人単位でした。

1988年(昭和63年)にミャンマーでクーデターが起き、民主化運動は弾圧されるようになりました。
多くのミャンマー人が国外に逃れ、日本へも多くのミャンマー人が来ました。

2009年末現在で、在日ミャンマー人は8,366人になります(入国管理局による)。

日本で回転ずしは、1998年代に定着し、グルメ志向を取り入れたチェーン店も人気になるなどで店舗が急増し、人出不足が起きました。

そこを支えたのは、外国人労働者です。

特にミャンマー人は、日本人3人分の給料で4人が雇え、きびしい修業も「がまん強いミャンマー人」には向いていました。

東京に住むミャンマー人男性は、1991年に来日し、すし店で15年働きました。
「1日12時間働いて月給30万円。我々の間では人気の職だった」

この男性が働いていた店では、すし職人10人中6人がミャンマー人だったそうです。

現在は、日本での職人需要も峠を越し、ミャンマー人すし職人たちは帰国し、ヤンゴン(ミャンマーの最大都市)などで10店以上のすし店を開きました。

ヤンゴンに在留邦人は500人ほどしかいませんが、ミャンマー人の間で人気が出ました。
スーパーにも回転ずしコーナーができ、持ち帰り寿司のコーナーもあります。

マウンさん(46歳)は、2002年に帰国するまで日本のすし店で15年働いてきました。

今年1月、ヤンゴンの繁華街チャイナタウンに「正田寿司」を開店しました。
4人がけのテーブル6卓の店で、繁盛しています。

「うちは地元客を相手にする店。味付けをミャンマー人向けにしているから日本人には合わないんじゃないかな」と、流暢な日本語で話されます。

「正田」は、日本のすし店で働いていたときの、店内での日本名です。
帰国後、最初は車ですしの移動販売をしました。

「ミャンマー人は新しいもの好きだからはやると思った。ただ、すしになじみがないから、直接やりとりをしながら味を調整した」

地元米を使ったしゃりは甘め、巻物が好まれ、マヨネーズも使います。
数貫入った1皿が1千チャット(約90円)、麺類だと1杯200~300チャットなので、やや高めですが人気です。

ヤンゴンでのブームのさきがけとなったのは、「サムライ寿司」のテイ・アウン・ジョーさん(42歳)です。

東京のチェーン寿司店で12年間働き、皿洗い、飯炊き、ネタの仕入れ、握りなどを学びました。

人気で2店目も開店しました。
2店で9人いる板前のうち、5人が日本でのすし店勤務経験者ということです。
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日本の回転ずしに、ミャンマーの方が貢献していたとは知りませんでした。

すしは、本当に外国の方に好かれますね。

甘酸っぱい寿司飯がいいのでしょうか?


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