ケン太の誕生日である、10月1日、アントニオ猪木さんが79歳の生涯を終えられました。
24時間テレビでお姿を拝見したのが最後となってしまいました。
車椅子でかなり衰弱されているようにお見受けしましたが、気力を振り絞り、
いつものように喝!を入れて、皆に元気を与えてくださっていました。
それまでも、度々、病床から、かなり痩せた姿を隠すことなく、病状をありのまま伝えてくださっていました。
昭和のプロレス界のスターで「強い男」であった猪木さんが、なんの抵抗もなく?自分が弱っていく姿を晒すことを、
どのように思っているんだろうと気になっていました。
「かっこ悪いことも、それがありのままだからいいんだよ」と仰っていたそうです。
そうか・・・と思いました。
全部、ありのままにさらけ出すなんて、強い人間でなければできません。
やっぱり、猪木さんは強かった!
凄く凄く尊敬してしまいました。
プロレスがブームだった頃、父はいつも、夕方7時のプロレス中継をかかさず観てみました。
当時は、一家にテレビ一台の時代。
父の一番の楽しみのプロレスを拒否するわけにもいかず母も私も仕方なく観ていたわけですが
当時のプロレスラー名前は今でも覚えています。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場、モハメドアリ、タイガージェットシン、スタンハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント・・・
(ケン太も主人が競馬中継を観ていて、刺せ!とか、叫んでいた馬の名前、今でも覚えています)
あの当時の猪木さん!かっこよかった!強かった!
プロレスファンではなかった私も、「やっぱり、猪木さんが一番!」って思ってました。
その後、政治家になってからは、イラクの人質解放や、北朝鮮との外交の立て直し・・・・政府が難航している問題に、自らの判断で自費で現地に飛んでいったことは記憶にあります。
政府の判断ではないため、外務省は難色を示していたようですが、政府が「友交」しか出来なかったことを、猪木さんはちゃんと「外交」して帰ってきました。
人質が全員解放され、チャーター機で連れ戻したのですから。
その行動力、凄い!としか言いようがないです。
最初、冷ややかな目でみていた方たちも、その功績を認めざるをえなかったと思います。
プライベートなことは知らなかったのですが、4回結婚されているんですね。
最初の3回は、猪木さんの不倫で離婚しているという
なかなか波瀾万丈な人生で、多額の借金や負債を抱えていた時もあるそうです。
ありきたりな人生ではない人から出てくる言葉は、やはり一味違います。
私が好きな言葉を少し、書き留めておきます。
「馬鹿になれ!
とことん 馬鹿になれ!
本当の自分が見えてくる。
本当の自分も笑ってた。
それくらい 馬鹿になれ」
「この道を行けばどうなるのか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。
踏み出せばその人足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかる」
「常識から1ミリでもいいから一歩踏み出せ」
「子供に夢を持たせたければ、大人こそ夢を持て」