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ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

20年で1,000人以上、子ども達を救ってきた和尚さん。

2020-12-30 23:41:13 | 感名を受けた話
先日、観た「ザ・ノンフィクション」という番組。

2020年 日本民間放送連盟賞
テレビ教育番組 最優秀賞作品です。

「西居院」の和尚さん(去年、68歳で他界されています)
看護師の奥様と、いろんな事情で親元で暮らせなくなった子を無償で預かり、更生に導いてきた方です。
非行、虐待、薬物、引きこもり・・・
世間的には問題児の駆け込み寺。
救った子どもは、20年で1000人以上。

その和尚さんの子ども達への接し方。
どんな悪さをしてきても、「もう二度しなければよし」と子ども達を笑顔で受け入れ、
時に厳しく、愛を持って接する姿に、これぞ子育てだなと感動しました。

一生懸命メモったので、番組の流れの通り、書き留めますね。


時は15年前に戻ります。

当時、中2のショウが仲間とバイクの窃盗を繰り返していました。
家出して帰ってこないため、親が和尚さんに相談。
母親はショウが生まれて3カ月で離婚。祖母と二人でショウを育てていた。
ショウが中1の時に母親が再婚。弟が生まれたが、その頃から学校に行かなくなり、家出や窃盗を始めるように。

和尚さんとの面談で、家族の中にある問題点を指摘されます。

父親の居場所がない。ショウにとっては他人である父親。その関係性が希薄。

「この子は父親を知らない。やっぱり父親が一番だということを見せてやることが、この子が今一番欲していることじゃないかな。逃げずにしっかりショウと向き合ってほしい。」

翌日、家に帰ってきたショウ。
和尚さんは、1時間以上かけて、ショウを迎えに行く。一緒に警察へ。
見つかった時点で、逮捕され、施設入所を勧められるだろうと予想していた和尚さんは、
事前に警察に連絡して、自分が連れていくと伝えていた。
暴力団と関われば取り返しがつかなくなる。一刻も早く、寺で預かりたいと考えていた。
警察から頼まれて子どもを預かることもある和尚さん。
翌日、事情聴取の後、寺で預かることが決まるが、ショウは、当日、逃げて行方をくらます。

3日後、また戻ってきたショウ。
父親は仕事を休んで児童相談所へ。
施設で預かるかどうかが話合われたが、結局、寺に行くことになる。
これまでショウの問題を見て見ぬふりだったのが、ショウを絶対に施設には入れないと強く主張してくれた。
「父親が守ってくれたんだぞ」と和尚がショウにそう話すると、ショウは嬉しそうに初めて父親に笑顔を向けた。
父親に近づけた瞬間だった。

和尚さんは「ショウは性格的に弱いんだろう。心が弱いから逃げたくなる。ショウを逞しく鍛えてあげなければならない」と。


寺には小学生から大学生、社会人まで約15人が広間に寝泊まりしている。

子ども達が決めた、寺の憲法がある。
携帯は10時以降禁止(高校生は夜11時以降)破ったら全員が携帯没収。
出かける時はおじさんに必ず連絡すること。
門限の時間。
朝、起きた時、夜、寝る時は必ず挨拶を。
自分の部屋を常にキレイにしておく・・・など。
皿洗い、風呂掃除の当番以外は自由に過ごす。

月50万円の生活費は、和尚の講演会の出演料や、看護師の奥さんの給料で賄う。
お正月の新年会には毎年、卒業生があつまり、思い出話をしている。

「いい仲間の中でコミュニケーションをとらせることが大切」と。


そこに1つ年上の、タクマがいて、なにかとショウを気遣っていてくれていた。
ショウにとっても頼りになる存在。
タクマはかつて、中学生ヤクザと言われるほど、かなりのワルだった。
母子家庭だったが母親が薬物依存となり、寺に預けられた。
今は、お寺の近くの中学校に転校してきて、そこに通っている。

「ヤクザと関りがないのなら大丈夫。真面目にできる」
「先生に殴られる?いいね。そういう先生。そういう学校は行っておいた方がいいよ」

タクマの存在で、ショウもしだいに笑顔が増えていきました。


お正月。
実家に帰っていたショウが、予定より早く寺に戻ってきました。
地元の高校生に呼び出され、16人がかりで顔などを殴られ暴行されたとのこと。全治1週間のけが。

和尚さんは、これを機会にワルと縁を切らせることを考えた。
タクマに電話をさせ、その16人を呼び出すことに。
「ショウを囲んだだろ。その16人、呼べ!今からそっちに行くから」
タクマもショウを傷つけられ、かなり怒っていた。

和尚さんはショウとタクマを連れて、呼び出した暴行現場に向かいます。
現れた相手は、金属バッドを持っていた。

「なんで金属バット持っている?」とタクマ。
「やられたらやり返すため」

するとぞろぞろと残りの仲間が出てきた。

そこで、和尚さんが切り出す。

「誰に話つければいい?」
「俺と話つければいいです」
「お前ケツ全部持てるのか?」
「持てます」
「お前ら帰っていいよ。向こういってて。何もしんから」
診断書を見せて
「これショウの診断書。今後、ショウに一切手を出さないこと。それか警察に今から行くか・・・どっちがいい?」

和尚さんは、二度とショウには近づかないことを相手に約束させました。

安堵の表情を見せたショウ。
その後、ショウは寺の中で声を出して笑うようになります。

和尚さんも相当な悪だったそうです。
高校の時、貧しい寺に生まれ、父親への反発から荒れて、暴力事件を起こして退学を迫られた時に、校長に土下座をして守ってくれたのが担任の熱血教師。その先生に恩返しがしたいという気持ちがある。

「子どもは悪くない」というのがおじさんの心情。
ちゃんと寄り添えば、子ども達は変わることができる。

寺に来て1か月。また行方をくらましたショウ。
昼夜逆転していたショウは、寺にきて規則正しい生活を続けていたが、このところ朝、起きるのが遅くなってきて、和尚がそれを怒ったら逃げたそうな。
ショウは母親に連れられて戻ってきた。

即、「子供会議」
何か問題が起きたら子どもだけで話合うのが決まり。

まず、謝らせる。
「どれだけ捜したと思うか?どれだけ心配したのか・・・」
「すみませんでした」と言ったものの、どこか気持ちがこもっていなかった。それを見抜いたタクマが
「正直な気持ちを言え」
「お寺に戻りたくなかった」
「そうやって逃げよってもね。ろくな人生歩まんぞ。逃げよったら本当どうしようもないヤツになるぞ。俺みたいになるぞ。バカみたいに」
「・・・・」
「お前が思ってる以上にみんなはお前のこと心配していると思うよ」とタクマ。

「迷惑かけてすみませんでした」今度は心から謝った。

「じゃあ、この話はこれで終わり!」と皆、笑顔で終了。

この日を境にショウはどんどん変わっていった。
手伝いに積極的になり勉強まで始めた。


「顔を見に来てやってほしい」と和尚さんが中学校に連絡をすると校長が来てくれた。
「こんなニコニコした顔は初めてです」と校長。

和尚は、寺の近くの中学校に転校させずに、できれば親元から今の学校に通わせたいと考えていた。
ショウから和尚さんにメールがきていた「1日でもいいんで帰りたいです」

「僕に意思を伝えらえるということが新しいスタート」

ショウを中学校に連れて行き、ショウを復帰させる方法を話し合う。
「ある程度生活リズムもできるようになったし、まずは1週間くらい、毎日、半日くらい通う」ことを和尚さんが提案。

すると担任から・・・
「ショウはコロコロ気持ちが変わってしまうので、このまま学校に戻ることになっても不安です。ショウが戻ってきたら「怖いな」と思う子がいるのも事実。今日、ショウが来るかと思って、ジュンヤは・・・」と延々と続く。

黙って聞いていた和尚さんだが、ショウの更生を諦めたかのような担任の言葉に耐え兼ね、怒りをぶつける。

「ひと言くらい僕に挨拶してもいいでしょう。違うのかね?自分のクラスの生徒でしょう?僕が今まで預かっていたわけですわ。担任の先生が一回も(寺に)来ないのは今まで一人もいないですよ。僕に挨拶に来いとは言ってないですよ。ショウに会いに来てやって欲しいってことなんですよ。もっともっとショウのこと考えてやって欲しいんですよ。もし仮にショウに何かがあれば僕に電話くれれば僕が飛んできますから」

そしてショウにも言い聞かせる。
「自分も努力しないとクラスの子は受け入れてくれないぞ。だから逃げるな。逃げると追いかけてくるから必ず。本当に頑張れるか?」とショウに手を差し伸べる。ショウに笑顔が戻る。

「担任の先生と約束しな。ちゃんとやるんだったらやるって」
「これから1週間頑張ります」とショウ。

担任は頷き、ショウの学校復帰が決まる。


学校復帰の朝、和尚さんは、ショウに内緒で自宅まで朝起こしにきた。
そして一緒に学校へ。

車の中で「何かあったらおじさんに電話すればいい。心配せんでいいからな。無理しちゃだめだ。」車の中で握手。
そして校門の前で「行ってらっしゃい」と送り出す。

その後、担任の先生の手厚い支援もあり、ショウは無事、中学を卒業した。

タクマも高校に合格。
抱負は「3年間ちゃんと高校に行って、とりあえず捕まらないこと」


タクマは今、内装業の職人を目指し、サッカーを続けている。

「おじさんから学んだことは、困っている人が絶対世の中にいるから、自分がそんなことできるか分からないですけど、困っている人をまずはひとり助けて、できたら人の役に立ちたいですよね。おじさんみたいに」

ショウは太陽光発電の会社で営業マンとして頑張っている。
将来の夢は「自分で会社を持つこと」

「おじさんは、一番は居場所を作ってくれた人。居場所を作ってくれて、愛情だったり怒ったりすることを教えてくれた人」

和尚さんに癌がみつかった後も、傷みに耐えながら、子ども達のために精力的に活動していました。
車椅子で声が出なくなっていても、寺を卒業した子の結婚式に父親代わりとして出席。
奇跡的に、バージンロードを自分の足で進むことができました。それには感動。
最後は卒業した子達が会いに来てくれて、息を引き取ったそうです。


子育ては何かという、いろんな答えが散りばめられていた番組でした。

和尚さんがとにかく温かい。
そしていつも笑顔で子ども達を包み込む。
それぞれの家庭で得られなかった何かがここにはある。
ただ優しいだけじゃなくて、厳しいこともあえて言う。その子の成長のために。
でも、突き放すことは決してしない。

担任の先生の言葉を聞いているショウを見ているのが辛かったです。
学校でやり直そうと思っている子の前で、子どもを信じられないという言葉。
諦めてしまったら、それで終わりなんだと思いました。
大人の思いで、どのようにもなってしまう。


子どもは悪くない。
ちゃんと寄り添えば、子ども達は変わることができる。


子どもと向き合うことを決して、諦めてはいけないと思いました。



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