今日が体育祭のところもあったようですね。
行った。
行かなかった。
それぞれの子の思い。
それぞれの親の思いがあると思います。
災害があった地域では、
できなかった
もあると思います。
一日でも早く通常の生活に戻れますようお祈り申し上げます。
今日も暑かったです。
ケン太がいた中学では、9月の第一週が体育祭でしたが、
猛暑の影響で、数年前から9月の後半になったようです。
見学に行かれた皆さま、大丈夫でしたか?
お疲れさまでした。
でも、勘弁して~という暑さであっても、
学校に行けなかった子どもが、また体育祭に参加できて、
クラスメートの中で楽しそうにしていたら、
暑さなんてどうでもよくなりますよね!
もしかしたら、ポツンとしている姿に、
心が苦しくなるかもしれませんが
イベントって
参加できるか、できないかもそうだけど、
学校の中の子どもの様子はどうなんだろうか・・・とか。
親としても、その日を迎えるまで、心が落ち着かなくて、
特別な思いが残る日かなと思います。
ケン太は小学校の最初の完全不登校は、5年生の9月でした。
1学期から不安定になっていて、
9月の始業式は行ったものの、その後、休みが多くなり、
体育祭の練習に穴を開けてしまい、それも休みが加速する要因になってしまいました。
それでも、体育祭には出たいと、前日の予行練習に久しぶりに参加することができて、
各競技の立ち位置など、教えてもらい、
ダンスも友達のを見てやれば大丈夫だ!と笑顔もでてきて
行く気満々で迎えたはずの当日。
ベッドで固まってしまいました。
ただ、うずくまるばかりで、一言も発しませんでした。
欠席を担任に伝えると
「どうにかして来させることはできませんかね?」と。
それも、少しイラついた声で。
これまで穏やかに、ケン太の様子を見守ってくれていた先生なだけに、
その言葉と、口調がショックで・・・
どうもできないから電話しているの~
私だって行ってほしいの~
ケン太だって、本当は行きたいはずだと思うよ。。。
・・・心の中で叫びました。
そして容赦なく聞こえてくる体育祭のマイクの声と音楽と・・・
あの時は辛くて切なくて泣けましたね。
ケン太は、その日からまったく、学校に行くことができなくなりました。
その後、中学でも、中3の時の体育祭は不参加。
高校でも、高2、高3は出ていません。
結局、4回、不参加。
体育祭の時に、学校に行っていなかったら仕方がありません。
年齢が上がってくると、親も不参加でも、そんなに気にならなくなるものです。
参加している姿を見れないのは残念・・・くらいかな?
悲しい~という程ではないんです。
そういう状況に、慣れたくはないけど、慣れたってことでしょうね
でも、慣れるって悪くないですね
いつまでも一喜一憂しているのは、しんどいので
それに私が思うに、子どもって参加できなかったことをそんなに何時までも引きずらないと思うんです。
人間、嫌なことは忘れるようにできているそうなので。
ケン太も自分が体育祭を欠席した回数はわかっていないと思う。
それと、欠席したことをそんなに残念がっていないと思う。
もう、今となってはどうでもいいことだろうね。
今は体育祭を嫌がる子も増えているようなので、
子ども達にとって私たちが子どもだった頃ほど、
そんなに重要事項ではなくなっているように思います。
なかなか学校の中での子どもの様子を見る機会がないので、
親は気持ちが入っちゃうけどね。
大きなイベントに参加できないことをかわいそうに思えたりね。
だから、一喜一憂しちゃうけど、
子どもはそうでもないのかも?
それは親基準の感情かもしれません。
参加できず、悲しい顔をしていると、
子どもは体育祭に参加できないことよりも、
親が悲しんでいることの方が悲しかったりして?
だから、子どもの前では、淡々としているのがいいかなと思います。
後になったら、参加できなかったことなど、
別にたいしたことじゃなかったと思える日が来ると思うから。
だから、あんまり嘆かないでね。
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行った。
行かなかった。
それぞれの子の思い。
それぞれの親の思いがあると思います。
災害があった地域では、
できなかった
もあると思います。
一日でも早く通常の生活に戻れますようお祈り申し上げます。
今日も暑かったです。
ケン太がいた中学では、9月の第一週が体育祭でしたが、
猛暑の影響で、数年前から9月の後半になったようです。
見学に行かれた皆さま、大丈夫でしたか?
お疲れさまでした。
でも、勘弁して~という暑さであっても、
学校に行けなかった子どもが、また体育祭に参加できて、
クラスメートの中で楽しそうにしていたら、
暑さなんてどうでもよくなりますよね!
もしかしたら、ポツンとしている姿に、
心が苦しくなるかもしれませんが
イベントって
参加できるか、できないかもそうだけど、
学校の中の子どもの様子はどうなんだろうか・・・とか。
親としても、その日を迎えるまで、心が落ち着かなくて、
特別な思いが残る日かなと思います。
ケン太は小学校の最初の完全不登校は、5年生の9月でした。
1学期から不安定になっていて、
9月の始業式は行ったものの、その後、休みが多くなり、
体育祭の練習に穴を開けてしまい、それも休みが加速する要因になってしまいました。
それでも、体育祭には出たいと、前日の予行練習に久しぶりに参加することができて、
各競技の立ち位置など、教えてもらい、
ダンスも友達のを見てやれば大丈夫だ!と笑顔もでてきて
行く気満々で迎えたはずの当日。
ベッドで固まってしまいました。
ただ、うずくまるばかりで、一言も発しませんでした。
欠席を担任に伝えると
「どうにかして来させることはできませんかね?」と。
それも、少しイラついた声で。
これまで穏やかに、ケン太の様子を見守ってくれていた先生なだけに、
その言葉と、口調がショックで・・・
どうもできないから電話しているの~
私だって行ってほしいの~
ケン太だって、本当は行きたいはずだと思うよ。。。
・・・心の中で叫びました。
そして容赦なく聞こえてくる体育祭のマイクの声と音楽と・・・
あの時は辛くて切なくて泣けましたね。
ケン太は、その日からまったく、学校に行くことができなくなりました。
その後、中学でも、中3の時の体育祭は不参加。
高校でも、高2、高3は出ていません。
結局、4回、不参加。
体育祭の時に、学校に行っていなかったら仕方がありません。
年齢が上がってくると、親も不参加でも、そんなに気にならなくなるものです。
参加している姿を見れないのは残念・・・くらいかな?
悲しい~という程ではないんです。
そういう状況に、慣れたくはないけど、慣れたってことでしょうね
でも、慣れるって悪くないですね
いつまでも一喜一憂しているのは、しんどいので
それに私が思うに、子どもって参加できなかったことをそんなに何時までも引きずらないと思うんです。
人間、嫌なことは忘れるようにできているそうなので。
ケン太も自分が体育祭を欠席した回数はわかっていないと思う。
それと、欠席したことをそんなに残念がっていないと思う。
もう、今となってはどうでもいいことだろうね。
今は体育祭を嫌がる子も増えているようなので、
子ども達にとって私たちが子どもだった頃ほど、
そんなに重要事項ではなくなっているように思います。
なかなか学校の中での子どもの様子を見る機会がないので、
親は気持ちが入っちゃうけどね。
大きなイベントに参加できないことをかわいそうに思えたりね。
だから、一喜一憂しちゃうけど、
子どもはそうでもないのかも?
それは親基準の感情かもしれません。
参加できず、悲しい顔をしていると、
子どもは体育祭に参加できないことよりも、
親が悲しんでいることの方が悲しかったりして?
だから、子どもの前では、淡々としているのがいいかなと思います。
後になったら、参加できなかったことなど、
別にたいしたことじゃなかったと思える日が来ると思うから。
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