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ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

最後のバトル

2018-06-23 23:38:37 | 家庭内対応
リビングにかなり年代物のCDラジカセがあります。

ケン太がCDを入れて操作していると、
急にボリュームが上がったので、

「もうちょっと音低くして」と言うと

「低くしようと思ったのに、急に上がったの。曲も飛ぶしさ~
これ見てみ」と言うのでみると

ディスクNoを選ぶ時に順送りしているのに、
10→11→9→13 とか、急に戻ったり、飛び石で進んだりする

まさか、そこまでの状態になっているとは
私、CDはPCで聴いちゃうから、しばらく使っていなかったのです。

液晶も真ん中だけが濃くなっていて、文字がはっきり見えない状態。




もうお払い箱状態だけど、とりあえず聴けるし、
代わりになるものがないので置いてあるわけです。


ケン太が・・・

「あなたが牛乳ティシュ投げつけたから壊れたんじゃないの?」と。

覚えていたのね

スピーカーのシミは牛乳ジミなんです。
ケン太と私の大バトルの最中に飛んだものです。

「最初に投げたのはケン太だからね~」と。

その時のことを思い出して、二人でにやりです



バトルがあったのは、ケン太が中学3年生の冬です。

ケン太が家にいた時でした。

この時のことをブログには書いていません。
あまりにも恥ずかしくて書けなかったんです
(当時、コメントも厳しかったですし

日記には記録してありましたよ。
久しぶりに読んでみました。


きっかけは些細なことでした。
私、疲れていたみたいです。

ケン太の要求に「これが終わったらいいよ」と返事したのですが、
時間が押してしまい、疲れもでてきて、
ケン太が催促してきたことにイライラして返事をしなかったのです。

当時、この返事をしないというのが、一番やってはいけないことでした。

尚且つ、もう私の用事が終わっているのに、他のことをしたりして無言の抵抗?
ずっと放置してあったケン太のカバンにイラつき、階段の下に放り投げたり・・・

今、振り返ってみると、そりゃケン太怒るよね。
なんで、そんなことやっちゃったんだろう~


ケン太の要求(散髪)をやろうとすると、手で払いのけた。

「じゃあ、やらなくていいんだね」とお風呂に入って出てくると、
部屋中に千切れたティッシュが散乱していました。

私のPCを使っているので「返して」と言いましたが、返してくれません。
ケン太がトイレにいっている間にPCを持って私は寝る部屋に引き揚げました。

ケン太はテレビをみていましたが、しばらくして部屋にやってきて「PCは?」と。
私は返事をしませんでした。

すると持っていたジンジャーエールを布団にかけました。
私はそのジンジャーエールを奪い取り、ケン太にかけました。(なんちゅうことを

ケン太はニヤッと笑いました。

ケン太は今度は牛乳を取り出し、ティッシュに含ませ私に何回か投げつけてきました。
私はケン太の本を盾にしましたが・・・

投げつけられた牛乳がたっぷりと沁み込んだテッシュを拾い、
ケン太に投げ返しました。

この時、ケン太の後ろにあったCDラジカセにテッシュが当たったと思われます


「こんなことをやっていたって解決しない。話合おう」

そして、ケン太と話しあいました。

ケン太の話です。

俺はこんなことをしているけれど、怒ってはいない。
親がそういう対応をすれば子どもはこうなると示しただけ。

お母さんは人の動かし方を知らない。
俺が動かなかったら、不機嫌になって溜息をつくだけ。
そこで諦めてしまって、もう終わりにする。その先を考えない。
言い方を変えてみるとか、なんとか俺を動かそうとしてみればいいじゃない。
諦めてしまうのは放置だよ。

俺が変わりたいと思えるような人間になることだよ。
俺はお母さんのことは好きだけど、尊敬はできない。
好きと尊敬できるは違うだろ?
どうして尊敬できない人間の言うことなんか聞ける?
まずは俺に尊敬される人間になることだよ。
俺を変えたかったら、まずはお母さんが変わることだ。

なぜ、尊敬できないのかと言うと、お母さんは不幸に見えるから。
溜息ついたりしてとても幸せそうにはみえない。
不幸な人間を尊敬できる?
こうなりたいって思える人間じゃないと尊敬なんかできないよ。

子どもは親の鏡って言うだろ?
子どもは親の背中を見て生きていくんだから、まずはお母さんが
幸せな生き方をして俺に見本を見せてほしいよ。
お父さんは自分の好きなことをしていて幸せそうに見える。
それなりに尊敬している。


あと、私の溜息や無視が一番堪えるとも言っていました。

何故、堪えるかといえば、自分が学校へ行っていないことが溜息の原因ではないかと思ってしまうから。
学校へ行っていない自分を否定をされているように感じてしまう。
だから不安になって余計に話しかけてしまう。

そのようにも言っていました。


私は溜息や無視はいけないことだとわかっているし、
これから気をつけると言いました。

ただ親は子どもの幸せを願うもの。
今、ケン太が学校に行っていない負い目みたいなものを感じているようにみえる。
やはり、本来の姿ではないのだろう。
その状態ではやはり幸せを感じることは難しいとも。

すると・・・

お母さんに対して負い目を感じているけれど、学校に行っていないことでは感じていない。
不登校になってから、ある時、考え方を変えた。
今は、俺は不登校になっていなければ出来なかったことが出来ている。

今、俺は幸せだと思う。
自分のことも好きだ。


ケン太は何度も涙を流しながら話ししました。
私も最後には涙が・・・

ジンジャーエールと牛乳でベトベトになった部屋を掃除し始めると、
ケン太も雑巾を持ってきて床を拭き始めました。

午前3時でした。


それ以降、バトルにはなっていません。

これが最後のバトルです。


ケン太の言葉・・・

言われ放題で、上から目線で、親の立場も何もないですが、

本当にその通りだなと思います。

ケン太の指摘どうりだったので仕方がありません。


あれから4年半です。

尊敬してもらえる人間にはなっていませんが、
溜息や無視・・・それだけは気を付けています。

やっぱり親も懲りないとダメなのかな

バトルで少しは成長できたのかなと思います。





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我が家にも養子縁組の話が・・・・(^-^;

2018-06-23 23:18:14 | 家庭生活
一昨日の記事に、養子縁組のことを書きましたが、
我が家でも養子縁組の話が出たことがあるんです。

今日はそのことを書きます。

主人が言ったわけですよ。

「養子もらわない?」と。

ケン太はひとりっ子です。
もうひとり欲しかったですが、出来ませんでした。
ケン太は不妊治療で授かった命ですので、
ケン太が生まれてくれただけで十分だと思っていました。

主人が、そのような話をしだしたのは
ケン太が不登校になってからです。

ケン太にいろいろ期待をかけ一生懸命サポートし、
でも、不登校で動かなくなり、
親の期待とか、そんなこと言っている場合じゃなくなりました。

行けるようになってほっとしていたけど、
中学でまた行き渋り
なんとかしようと思っても、なんともならず・・・
また完全不登校へ。

その頃から、主人はもうケン太を動かすことは止め、
何も言わなくなったのですが、

「もうひとり欲しい」と言い出し
「今度はちゃんと育てたい」みたいな?

つまりはケン太の代わりを求めたんですね。

「ケン太はもうどうにもならない」みたいなことも言いましたから。

悲しくなりました。
ケン太は見捨てられたんだなって。


3、4回は言ってきたと思います。

どこまで本気なのかはわかりませんでした。
ケン太から逃げたい気持ちから出た気の迷いだったのかもしれません。

ただの気の迷いであっても聞きたくない言葉でした。

私は主人の言葉に「もらわない」とだけ言いました。



先日、「そして父になる」がテレビで初めて公開されましたね。

(以下ネタバレが含まれています)

産院で取り違えられていたとわかった子どもが、後に血の繋がった親の元に戻ることになり、
血縁なのか?これまでの時間なのか?親子が試される映画でした。

自分と血が繋がっていないとわかった瞬間、福山さんが

「やっぱり、そういうことか」と言うんです。

福山さんはエリートサラリーマン。
小学受験をさせ、ピアノも習わせながらも、
どこか自分の思うように育たない息子に不満を感じていたんです。

自分の血が繋がっていないのなら納得?・・・ということでしょうか。


一方、相手の家庭は貧しくても子どもが3人いて毎日賑やかに明るく過ごしている家庭でした。

子どもの遊びに興味がなくつきあわない福山さんとは対照的に、
とことん遊びにつきあい親も一緒に楽しむような家庭でした。

何回か交流した後、子どもの交換が無事、終了したのですが、
福山さんのところに来た子どもがある日、家から飛び出し、元の家に帰ってしまいます。

そこにいた、これまで6年間育ててきた子が
迎えに行った福山さんの姿を見て、逃げ出してしまいます。
すっかり相手の家に馴染んでいたのでした。

少しガサツで品に欠ける?相手の家庭に嫌悪感さえ感じていた福山さんですが、
そこで父とは何か、家族とは何か・・・を考えさせられることになります。



この映画を見た時に、あの時の主人がオーバーラップしました。

「もう一人子どもがほしい」と言った時の主人は、
自分の価値観や子どもに対する期待を捨てきれていなかったのだと思います。

いつまでも、あの時の主人のままなら、
きっと今のケン太はこうなっていないと思います。

主人が変わることができて
私も変わることができて

ケン太も変われたように思います。





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