リビングにかなり年代物のCDラジカセがあります。
ケン太がCDを入れて操作していると、
急にボリュームが上がったので、
「もうちょっと音低くして」と言うと
「低くしようと思ったのに、急に上がったの。曲も飛ぶしさ~
これ見てみ」と言うのでみると
ディスクNoを選ぶ時に順送りしているのに、
10→11→9→13 とか、急に戻ったり、飛び石で進んだりする
まさか、そこまでの状態になっているとは
私、CDはPCで聴いちゃうから、しばらく使っていなかったのです。
液晶も真ん中だけが濃くなっていて、文字がはっきり見えない状態。

もうお払い箱状態だけど、とりあえず聴けるし、
代わりになるものがないので置いてあるわけです。
ケン太が・・・
「あなたが牛乳ティシュ投げつけたから壊れたんじゃないの?
」と。
覚えていたのね
スピーカーのシミは牛乳ジミなんです。
ケン太と私の大バトルの最中に飛んだものです。
「最初に投げたのはケン太だからね~」と。
その時のことを思い出して、二人でにやりです
バトルがあったのは、ケン太が中学3年生の冬です。
ケン太が家にいた時でした。
この時のことをブログには書いていません。
あまりにも恥ずかしくて書けなかったんです
(当時、コメントも厳しかったですし
)
日記には記録してありましたよ。
久しぶりに読んでみました。
きっかけは些細なことでした。
私、疲れていたみたいです。
ケン太の要求に「これが終わったらいいよ」と返事したのですが、
時間が押してしまい、疲れもでてきて、
ケン太が催促してきたことにイライラして返事をしなかったのです。
当時、この返事をしないというのが、一番やってはいけないことでした。
尚且つ、もう私の用事が終わっているのに、他のことをしたりして無言の抵抗?
ずっと放置してあったケン太のカバンにイラつき、階段の下に放り投げたり・・・
今、振り返ってみると、そりゃケン太怒るよね。
なんで、そんなことやっちゃったんだろう~

ケン太の要求(散髪)をやろうとすると、手で払いのけた。
「じゃあ、やらなくていいんだね」とお風呂に入って出てくると、
部屋中に千切れたティッシュが散乱していました。
私のPCを使っているので「返して」と言いましたが、返してくれません。
ケン太がトイレにいっている間にPCを持って私は寝る部屋に引き揚げました。
ケン太はテレビをみていましたが、しばらくして部屋にやってきて「PCは?」と。
私は返事をしませんでした。
すると持っていたジンジャーエールを布団にかけました。
私はそのジンジャーエールを奪い取り、ケン太にかけました。(なんちゅうことを
)
ケン太はニヤッと笑いました。
ケン太は今度は牛乳を取り出し、ティッシュに含ませ私に何回か投げつけてきました。
私はケン太の本を盾にしましたが・・・
投げつけられた牛乳がたっぷりと沁み込んだテッシュを拾い、
ケン太に投げ返しました。
この時、ケン太の後ろにあったCDラジカセにテッシュが当たったと思われます
「こんなことをやっていたって解決しない。話合おう」
そして、ケン太と話しあいました。
ケン太の話です。
俺はこんなことをしているけれど、怒ってはいない。
親がそういう対応をすれば子どもはこうなると示しただけ。
お母さんは人の動かし方を知らない。
俺が動かなかったら、不機嫌になって溜息をつくだけ。
そこで諦めてしまって、もう終わりにする。その先を考えない。
言い方を変えてみるとか、なんとか俺を動かそうとしてみればいいじゃない。
諦めてしまうのは放置だよ。
俺が変わりたいと思えるような人間になることだよ。
俺はお母さんのことは好きだけど、尊敬はできない。
好きと尊敬できるは違うだろ?
どうして尊敬できない人間の言うことなんか聞ける?
まずは俺に尊敬される人間になることだよ。
俺を変えたかったら、まずはお母さんが変わることだ。
なぜ、尊敬できないのかと言うと、お母さんは不幸に見えるから。
溜息ついたりしてとても幸せそうにはみえない。
不幸な人間を尊敬できる?
こうなりたいって思える人間じゃないと尊敬なんかできないよ。
子どもは親の鏡って言うだろ?
子どもは親の背中を見て生きていくんだから、まずはお母さんが
幸せな生き方をして俺に見本を見せてほしいよ。
お父さんは自分の好きなことをしていて幸せそうに見える。
それなりに尊敬している。
あと、私の溜息や無視が一番堪えるとも言っていました。
何故、堪えるかといえば、自分が学校へ行っていないことが溜息の原因ではないかと思ってしまうから。
学校へ行っていない自分を否定をされているように感じてしまう。
だから不安になって余計に話しかけてしまう。
そのようにも言っていました。
私は溜息や無視はいけないことだとわかっているし、
これから気をつけると言いました。
ただ親は子どもの幸せを願うもの。
今、ケン太が学校に行っていない負い目みたいなものを感じているようにみえる。
やはり、本来の姿ではないのだろう。
その状態ではやはり幸せを感じることは難しいとも。
すると・・・
お母さんに対して負い目を感じているけれど、学校に行っていないことでは感じていない。
不登校になってから、ある時、考え方を変えた。
今は、俺は不登校になっていなければ出来なかったことが出来ている。
今、俺は幸せだと思う。
自分のことも好きだ。
ケン太は何度も涙を流しながら話ししました。
私も最後には涙が・・・
ジンジャーエールと牛乳でベトベトになった部屋を掃除し始めると、
ケン太も雑巾を持ってきて床を拭き始めました。
午前3時でした。
それ以降、バトルにはなっていません。
これが最後のバトルです。
ケン太の言葉・・・
言われ放題で、上から目線で、親の立場も何もないですが、
本当にその通りだなと思います。
ケン太の指摘どうりだったので仕方がありません。
あれから4年半です。
尊敬してもらえる人間にはなっていませんが、
溜息や無視・・・それだけは気を付けています。
やっぱり親も懲りないとダメなのかな
バトルで少しは成長できたのかなと思います。
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ケン太がCDを入れて操作していると、
急にボリュームが上がったので、
「もうちょっと音低くして」と言うと
「低くしようと思ったのに、急に上がったの。曲も飛ぶしさ~
これ見てみ」と言うのでみると
ディスクNoを選ぶ時に順送りしているのに、
10→11→9→13 とか、急に戻ったり、飛び石で進んだりする

まさか、そこまでの状態になっているとは

私、CDはPCで聴いちゃうから、しばらく使っていなかったのです。
液晶も真ん中だけが濃くなっていて、文字がはっきり見えない状態。

もうお払い箱状態だけど、とりあえず聴けるし、
代わりになるものがないので置いてあるわけです。
ケン太が・・・
「あなたが牛乳ティシュ投げつけたから壊れたんじゃないの?

覚えていたのね

スピーカーのシミは牛乳ジミなんです。
ケン太と私の大バトルの最中に飛んだものです。
「最初に投げたのはケン太だからね~」と。
その時のことを思い出して、二人でにやりです

バトルがあったのは、ケン太が中学3年生の冬です。
ケン太が家にいた時でした。
この時のことをブログには書いていません。
あまりにも恥ずかしくて書けなかったんです

(当時、コメントも厳しかったですし

日記には記録してありましたよ。
久しぶりに読んでみました。
きっかけは些細なことでした。
私、疲れていたみたいです。
ケン太の要求に「これが終わったらいいよ」と返事したのですが、
時間が押してしまい、疲れもでてきて、
ケン太が催促してきたことにイライラして返事をしなかったのです。
当時、この返事をしないというのが、一番やってはいけないことでした。
尚且つ、もう私の用事が終わっているのに、他のことをしたりして無言の抵抗?
ずっと放置してあったケン太のカバンにイラつき、階段の下に放り投げたり・・・
今、振り返ってみると、そりゃケン太怒るよね。
なんで、そんなことやっちゃったんだろう~


ケン太の要求(散髪)をやろうとすると、手で払いのけた。
「じゃあ、やらなくていいんだね」とお風呂に入って出てくると、
部屋中に千切れたティッシュが散乱していました。
私のPCを使っているので「返して」と言いましたが、返してくれません。
ケン太がトイレにいっている間にPCを持って私は寝る部屋に引き揚げました。
ケン太はテレビをみていましたが、しばらくして部屋にやってきて「PCは?」と。
私は返事をしませんでした。
すると持っていたジンジャーエールを布団にかけました。
私はそのジンジャーエールを奪い取り、ケン太にかけました。(なんちゅうことを

ケン太はニヤッと笑いました。
ケン太は今度は牛乳を取り出し、ティッシュに含ませ私に何回か投げつけてきました。
私はケン太の本を盾にしましたが・・・
投げつけられた牛乳がたっぷりと沁み込んだテッシュを拾い、
ケン太に投げ返しました。
この時、ケン太の後ろにあったCDラジカセにテッシュが当たったと思われます

「こんなことをやっていたって解決しない。話合おう」
そして、ケン太と話しあいました。
ケン太の話です。
俺はこんなことをしているけれど、怒ってはいない。
親がそういう対応をすれば子どもはこうなると示しただけ。
お母さんは人の動かし方を知らない。
俺が動かなかったら、不機嫌になって溜息をつくだけ。
そこで諦めてしまって、もう終わりにする。その先を考えない。
言い方を変えてみるとか、なんとか俺を動かそうとしてみればいいじゃない。
諦めてしまうのは放置だよ。
俺が変わりたいと思えるような人間になることだよ。
俺はお母さんのことは好きだけど、尊敬はできない。
好きと尊敬できるは違うだろ?
どうして尊敬できない人間の言うことなんか聞ける?
まずは俺に尊敬される人間になることだよ。
俺を変えたかったら、まずはお母さんが変わることだ。
なぜ、尊敬できないのかと言うと、お母さんは不幸に見えるから。
溜息ついたりしてとても幸せそうにはみえない。
不幸な人間を尊敬できる?
こうなりたいって思える人間じゃないと尊敬なんかできないよ。
子どもは親の鏡って言うだろ?
子どもは親の背中を見て生きていくんだから、まずはお母さんが
幸せな生き方をして俺に見本を見せてほしいよ。
お父さんは自分の好きなことをしていて幸せそうに見える。
それなりに尊敬している。
あと、私の溜息や無視が一番堪えるとも言っていました。
何故、堪えるかといえば、自分が学校へ行っていないことが溜息の原因ではないかと思ってしまうから。
学校へ行っていない自分を否定をされているように感じてしまう。
だから不安になって余計に話しかけてしまう。
そのようにも言っていました。
私は溜息や無視はいけないことだとわかっているし、
これから気をつけると言いました。
ただ親は子どもの幸せを願うもの。
今、ケン太が学校に行っていない負い目みたいなものを感じているようにみえる。
やはり、本来の姿ではないのだろう。
その状態ではやはり幸せを感じることは難しいとも。
すると・・・
お母さんに対して負い目を感じているけれど、学校に行っていないことでは感じていない。
不登校になってから、ある時、考え方を変えた。
今は、俺は不登校になっていなければ出来なかったことが出来ている。
今、俺は幸せだと思う。
自分のことも好きだ。
ケン太は何度も涙を流しながら話ししました。
私も最後には涙が・・・
ジンジャーエールと牛乳でベトベトになった部屋を掃除し始めると、
ケン太も雑巾を持ってきて床を拭き始めました。
午前3時でした。
それ以降、バトルにはなっていません。
これが最後のバトルです。
ケン太の言葉・・・
言われ放題で、上から目線で、親の立場も何もないですが、
本当にその通りだなと思います。
ケン太の指摘どうりだったので仕方がありません。
あれから4年半です。
尊敬してもらえる人間にはなっていませんが、
溜息や無視・・・それだけは気を付けています。
やっぱり親も懲りないとダメなのかな

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