哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」 呼吸器外科医・伊達洋至

2011-02-10 01:23:23 | 時事
先日、表題の番組をたまたま見た。この番組は、毎回見ているわけではないので、脳科学者の司会者が出演しなくなったのも結構最近まで知らなかったが、番組のパターンは変わっていないようだ。

医師の場合の番組のパターンは、たいてい過去の患者の死亡例(原因はまず主人公のせいではないのだが)がトラウマになるが、それを乗り換えて成功していくパターンだ。それにしても今回の分野は、肺の組織が硬化して早期に死に至る病(しかも若年者や幼児が患者である)の存在や、それを肺移植で対応しているという実態を初めて知り、大変驚きであった。

臓器移植は科学技術の進歩の証であろうが、しかし人体は人智を超えた神秘であることに変わりはない。以前「プロジェクトX」でバチスタ手術の話題があったが、一旦心臓を止めて手術をし、心臓を再度動かせる場面で、スタッフが「動いてくれ!」と祈るような場面があったが、まさに祈るしかないというのが正直なところだろう。肺移植でも、移植した肺がしっかり動き出すかは、やはりやってみないとわからないところはあるようだ。

主人公が「"思い"を力にかえる」と述べる場面があるが、そのような精神力こそが最後の砦なのだろうし、さらに主人公は近くの寺に必ず参拝することを紹介されていたが、最後は結局神や仏頼みのようなところは、池田晶子さんなら「愉快!」と笑ってくれそうだ(『勝っても負けても』「それでもやっぱり神頼み」参照)。

 主人公は毎回手術前に、必ず針による縫合の訓練を儀式として行っているのだから、このような技術力の裏付けが当然前提だということだろうが。


ところで、池田晶子さんは臓器移植には厳しい指摘をする。

「人が、死ぬのを恐れて、他人の臓器をもらってまで生きたいと思うのは、なぜだろうか。生存していることそれ自体でよいことである、という、人類始まって以来の大錯覚がここにある。・・・移植は、審査指名制にするべきである。・・・この人は生きるに値する善い人間であると、提供者が認めた人にのみ、提供を受ける資格がある。」(『考える日々』「あげたい人に、臓器はあげたい」より)

生まれてきたから、死ぬのは当然であるとして、単に生き延びたいという欲望を無価値とする池田さんらしい謂いである。