哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『超訳 ニーチェの言葉』

2010-03-22 10:24:00 | 時事
 表題の本が今自己啓発の本として売れているそうである。これまでも何度か本屋で手にして中をパラパラと読んでみたのだが、インパクトのない自己全面肯定的文章の羅列にあまり興味が持てなかったので、買う気になれないままである。新聞の書評欄では、究極のポジティブシンキング本であるという。要するに、最近よく目にする「カツマー」にも通ずる「励まし系」の一環なのか。しかし池田晶子さんに言わせれば、自己をポジティブに捉えようとする以前に、確固として信じられている「自己」とは何なのかを考えてみたらどうか、ということになろう。


 池田晶子さんがニーチェについて書いている文章といえば、『考える人』が代表的だ。少し長いが抜粋して引用してみる。

「ギリシャ人は「在る」とは何かを考えた。中世、「在る」は「神」と同じになった。デカルトが「神」のこちら側に「自分」が在ることに気がついた。そして、ニーチェは「神」を殺して「自分」が神になった、なろうとした。・・・「神」とは、認識すなわち行為するための仮留めの釘に他ならないのであって、釘がはずれてタガがバラけてしまえば、私たちは何ひとつ、認識できない。より正確には、神である自分には敢えて認識する「必要」がもうないのである、もちろん、そんな自分が「在る」ことの理由も見事に霧散する。・・・それでも、ふいと、「在る」ことを持て余すようなときには、何でもよい、そのつど自分で価値をでっち上げながら、世界は最初からそのようであるか、そのようにあるべきであるかのように振舞ってみるがよい、そうすれば世界はそのようにあるであろう、ニーチェが「力への意思」と言っていたのは、そのことに他ならない。」


 ここで池田さんは「神は死んだ」「力への意思」について端的に解説している。このように、存在とは何か、自分とは何か、を考え始めたら、安易なポジティブシンキングにはならないだろう。ただ、それを考えさせる文章になってしまうと、『超訳・・』は古典と同じ売れ行きにしかならないだろうが。


 ところで、ある本屋ではこの平積みの『超訳・・』のすぐ隣に、池田さんの『無敵のソクラテス』が置いてあった。装丁も似たような黒い表紙だし、同じシリーズのようにも見えてしまう。これで『無敵のソクラテス』も一緒に買って読む人が増えてくれるとうれしい。