哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

中島義道さんの池田晶子追悼文(新潮45)

2007-05-06 08:54:30 | 知識人
 久里浜@さんに教えてもらった新潮45の記事を少し紹介します。ランティエの追悼文同様に立ち読みで済ませようと思ったら、4ページもあったので、つい買ってしまいました。


 中島さんにとって、池田さんも参加されていた「大森会」での池田さんの思い出が二つ、ネガティヴなものがあるそうです。

(その1)「彼女はいつものように机にうつ伏せになって、周囲のカンカンガクガクの議論から遠く離れてひとり遊泳しているようであったが、「痛み」の議論の最中すっと頭を上げて、(池田さんが)次のように発言した。「歯が痛いとき、その痛みをじっと見ている自分がいる」 場違いな発言で、みな瞬時うろたえた。・・・(某氏)が「そりゃ、あんまり歯が痛くないからじゃないの?」とチャチャを入れると、みな爆笑し、それでその話は終わった。」

(その2)「同じような彼女の発言に対する「無視」が大森先生自身の口から発せられた。池田さんがメルロー・ポンティの言葉を引用して何かを語った。そのとたん、大森先生が「それはメルロー・ポンティの誤解です」と答え、やはりみなワッと笑って終わりとなった。」


 中島さんの文章では、その1の方は池田さんの低級なしろうと発言に対して周囲が苦慮したことが書かれ、その2では池田さんの哲学に対する態度が周囲にとってカチンと来るものがあった、と書かれています。池田さん以外の方々(中島さんも)の態度は、いかなる権威をも足蹴にする、少なくとも尊敬しないという雰囲気を共有していたが、池田さんは違っていたというのです。

 その1は議論そのものがよくわからないので何とも言えないのですが、その2については、中島さんらと池田さんとは、権威を足蹴にする態度が違っていたのか、あるいは池田さんは権威の一部を足蹴にしなかったか、というように態度が違っていたようです。


 しかし池田さんの本を読んでいると、池田さんが権威の皮を借りるような態度は全くないので、その点で中島さんらとそんなに態度が違うのか?とちょっと不思議な感じがします。池田さんこそ哲学の権威にすがることなく、「自分で考えよ」と常々書いておられるからです。

 ただ池田さんも若いころだったわけで、その後と態度がもし違っていてもおかしくはありません。そんなことは今さらどうでもよく、今は残された池田さんの文章をもとに、私たち自身が「考えて」いけばいいのですからね。