哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

なぜ意味が「わかる」のか?(週刊サンデー毎日今週号の「暮らしの哲学」)

2006-07-21 05:07:40 | 哲学
 サンデー毎日の池田さんの連載はあまりフォローしていなかったのですが、今週号は面白そうなので取り上げてみます。なぜ意味が「わかる」のか?という題です。

 要約しにくい文章なので、キーフレーズを並べてみましょう。

1.言葉とはすなわち意味である。
2.意味とは端的に、それが「わかる」ことである。
3.意味を有するのは言葉に限らず、音楽も絵画も人の動作も同じであり、世界は意味に満ちている。
4.人が意味をわかることができるのは、意味が在るからである。
5.つまり、意味がその理解より先に存在する。
6.言葉(意味)というものの存在を理解したときに初めて世界は始まる(例えば、ヘレン・ケラー)。
7.物理的世界は、意味が存在しなければ、存在しない(現実世界の生と死も、意味以外の何ものでもない)。
8.世界とは言葉であり、言葉こそが世界を創っている。



 なるべく論理がつながるように引用すると、以上のようになりました。平易な言葉で語られていながら、語られている内容はまるで三段ロケットを噴射させるがごとくに超スピードで飛んでいっている感覚です(追いついていくのが大変)。

 三段ロケットの第一噴射で発射後、第二段噴射で加速するのは、5番目の文「つまり、意味がその理解より先に存在する」のところですね。言葉を理解することが意味がわかることだと思っていたら、意味があるからこそ言葉がある、というように、言葉と意味の地位が逆転します。「意味」という日用語がかえって理解困難に寄与しているのかも知れません。意味というのは、概念とか観念とかに言い換えてもいいのかも知れませんが、言葉以前のものを言葉で説明するのですから最初から困難な説明ですね。

 さて第三段噴射は、7番目の文「物理的世界は、意味が存在しなければ、存在しない」から8番目の文「世界とは言葉であり、言葉こそが世界を創っている」ですね。ここのところは、物理的世界に耽溺している我々には理解困難なところですが、もし「物理的世界が意味で創られているなんて想像できない」なんて言ったら、たちまち池田さんからしっぺ返しが飛んでくるんでしょうね。「あなた、想像することと、物理的世界を認識することのどこに違いがあるんですか!?」と。