かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

鼓動が・・・

2013-03-10 07:00:53 | わがうちなるつれづれの記

 入院しているとき、看護師さんから脈のとりかたをおしえてもらった。

 そこに指をあてても、分からない。何度やっても、できない。

 看護師さんは、根気よかった。「また、あとで」と言えなかった。

 「ああ、動いてる!」

 

 心臓の持病があるのに脈のとりかたを知らない、というのが、

だいたいおかしいではないか・・・

 

 トイレにはいると、脈をとるようにしている。

 一分52、3拍。トン、トンとすすんでいるかとおもうと、トントンと

はやくなったりしている。わが心臓とお話してる感じ。

 

 歩くときも、焦った気持ちで歩くと、息がキレる感じになる。

 自分なりの歩調にすると、楽になる。

 

 頭のほうで焦ってみたところで、心臓のほうは心臓の都合が

あるだろう。つながりはあるのだろうけど、頭のおもうようには

なりにくいのかもしれない。

 

 これまで、”頭とともに”で、ずいぶんやってきたなあ。

 やってきたというけど、いまでもおそらくそこがベースかも。

 じぶんの中の声に関心をよせる、耳を傾ける、これは、最近

おきてきたじぶんのなかのできごと。

 人とのかかわりでも、じぶんの内蔵の声が聞こえてくるような

ところから、できないか・・・そんなのが、楽なんじゃないか、

もしくは、本来かもしれない。

 

 なんともよくわからないが、ふりかえってみると、世の中でおきている

ことにとても関心があるんだけど、それをじぶんの声にしようとすると、よ

そよそしい感じになる。

 どこかからの借り物を分かったことのようにしている、もどかしさ。

 ほんというと、そんなことどうでもいいとはいわないまでも、じじぶんに

とって、”身近で切実なもの”、ではないのではないか。

 

 政治や経済に関心がないわけではないが、身近な感じはしない。

 テレビでニュースなどやっているが、遠くのできごと。

 人がしゃべっているのを聞くときは、身近になるときもある。

 

 社会全体については、じぶんなりにぼんやりかんじていることが

ある。これは、ずいぶんテレビやなにやかやの影響がしみこんだ

ものだろう。

 そこから割り出すなり、そこを契機にじぶんの動きをかんがえる、

そういうことはどうもしっくりこない、しっくりこないでいいのでは

ないか、とおもうようになってきている。

 だんだん、もうろくしてきたからか。

 

 じぶんのなか、心臓の鼓動と隣り合わせたところからはじめて、

身近な周囲とかかわる自分をみていきたい。

 そこに、どんな世界があらわれてくるか、それがどんなことに

なっていくか。

 心臓が動いている間の楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 


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