かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

ニルヴァーナの森

2016-06-08 19:45:34 | アズワンコミュニテイ暮らし

死んだら、どこへ埋葬してもらおう?自然に還るというなら大きな木下が

いいかな?広大な海もいいなあ。葬儀はやらなくてもいいかなあ。

 

何年か前まで、一人こっそりいろいろ思い巡らせていていたかな。

理想の暮らしを語る会が発足して、老いとか死について、参加メンバーと

語り合うようになり、少し明るい陽光のなかで考えられるようになって

きました。

 

昨日、理想の暮らしを語る会の人たちと、

”新しいスタイルの安心な墓地”宣隆寺墓所 ニルヴァーナの森

を見学してきました。

行ってみたいという人が13人もいて、おどろきました。


ニルヴァーナの森は、宣隆寺境内参道左手にありました。


ニルヴァーナの森が新しいスタイルの墓地というのは、新規で

お墓を購入の人やご事情でお墓の購入がままならない人、

お墓まいりする身内や縁者がいない人、将来お墓を守って

いけない人・・・理由にかかわらず宣隆寺が真宗高田派の教義

に基づいてお参りし、寺で責任を持って管理、お花・お線香など

手入れもしていただけるということでした。

入滅のときの寝釈迦の石像の下の墓所に亡くなった人たちの

お骨が共同で埋葬されるということです。

 

ニルヴァーナとは、サンスクリット語で「迷いのない世界・涅槃」という意味

だそうです。

森というので、緑の木陰をイメージしていましたが、石像の周りには森は

ありませんでした。伺った日は梅雨の晴れ間でお日様がお釈迦さんを

照らしていて、空と一つになるような印象でした。

 

仏教にはトンと縁がないのですが、最近、金沢に墓参りに行ったたとき、

大きな墓所の一隅に”倶会一処”と刻まれた石碑がありました。

あとで調べてみると、「くえいっしょ>ともに一か所に会すること。阿弥陀経で,

死後,浄土に往生すると,凡夫も聖者たちとひと所に暮らせること。

また,この世で死ぬのは別々でも,浄土で再び会する意にも解される」と

ありました。

ニルヴァーナの森はどうやらこういう構想から生まれたらしいです。

死後がどんなかなんて、死んでしまったら、分かろうはずはありません。

どっちかというと、死んだら自然に還るだけぐらいに思っていますが、

こうして生きているとき、こういうことを想像できる”今”というのは

悪くないかなと思いました。

 

住職のゆはずさんから、お寺の由来や新しい墓所の案内などして

いただきました。まだ50代のイケメン住職さんでした。

寝釈迦像を自分で彫ったり、幼稚園を運営したり、周辺のお寺さんや

神社さんと地域の活動をしたり、新しいのは墓所だけではなく、

住職さんのセンスも新鮮なんではないでしょうか。

 

妹さんは、絵本作家です。代表作に「おふくさん」という作品があります。

鬼さんがおっかない顔してやってくるのを、ああしてみたら、こうしてみたら

といろいろ策を練り、ついに笑わせてしまうというものがたりでした。


その「おふくさん」が、住職のお母さんだと知りました。

本堂で案内してもらっていたとき、冷たい飲み物をニコニコと手渡しして

くれた人がその人でした。

住職が話しをしている間も笑顔でぼくらと一緒に居てくれました。

 

自分が死んだとき、どこに行くのか見に行ったのは初めてでした。

中井さんが誰もが死んだとき、どうするというテーマで、どんな

選択肢があるか、ドタンバでアタフタしないでいいようにと、熱心に調べて
回ってくれたその一端の見学でした。

お葬式に訳もなく、費用かけたくないし、お墓も買えば相当の費用は

懸かるし、わざわざ、最後まで見てくれる人も居ない実家の墓地に埋葬する

かどうか。(ちなみに、ニルヴァーナの森に共同埋葬するときは、永代供養の

冥加金として10万円ということでした)

こんなことは、こんどは”エンデイングノート”を書きながら、また考えてみるかな

とおもっています。

たぶん、自分の思いを書くことにとどまらなくなるようにおもいます。

 

そうですね。こういうのをキッカケで、生きる目的、ゼロから見直しできたら

いいなあ。


ああ、そうです。最後に、コマーシャル。

 7月9日(土)13:30~「死んだとき、どうしてほしい」という

講演会が、鈴鹿カルチャーステーションであります。

 


 

 


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