死んだら、どこへ埋葬してもらおう?自然に還るというなら大きな木下が
いいかな?広大な海もいいなあ。葬儀はやらなくてもいいかなあ。
何年か前まで、一人こっそりいろいろ思い巡らせていていたかな。
理想の暮らしを語る会が発足して、老いとか死について、参加メンバーと
語り合うようになり、少し明るい陽光のなかで考えられるようになって
きました。
昨日、理想の暮らしを語る会の人たちと、
”新しいスタイルの安心な墓地”宣隆寺墓所 ニルヴァーナの森
を見学してきました。
行ってみたいという人が13人もいて、おどろきました。
ニルヴァーナの森は、宣隆寺境内参道左手にありました。
ニルヴァーナの森が新しいスタイルの墓地というのは、新規で
お墓を購入の人やご事情でお墓の購入がままならない人、
お墓まいりする身内や縁者がいない人、将来お墓を守って
いけない人・・・理由にかかわらず宣隆寺が真宗高田派の教義
に基づいてお参りし、寺で責任を持って管理、お花・お線香など
手入れもしていただけるということでした。
入滅のときの寝釈迦の石像の下の墓所に亡くなった人たちの
お骨が共同で埋葬されるということです。
ニルヴァーナとは、サンスクリット語で「迷いのない世界・涅槃」という意味
だそうです。
森というので、緑の木陰をイメージしていましたが、石像の周りには森は
ありませんでした。伺った日は梅雨の晴れ間でお日様がお釈迦さんを
照らしていて、空と一つになるような印象でした。
仏教にはトンと縁がないのですが、最近、金沢に墓参りに行ったたとき、
大きな墓所の一隅に”倶会一処”と刻まれた石碑がありました。
あとで調べてみると、「くえいっしょ>ともに一か所に会すること。阿弥陀経で,
死後,浄土に往生すると,凡夫も聖者たちとひと所に暮らせること。
また,この世で死ぬのは別々でも,浄土で再び会する意にも解される」と
ありました。
ニルヴァーナの森はどうやらこういう構想から生まれたらしいです。
死後がどんなかなんて、死んでしまったら、分かろうはずはありません。
どっちかというと、死んだら自然に還るだけぐらいに思っていますが、
こうして生きているとき、こういうことを想像できる”今”というのは
悪くないかなと思いました。
住職のゆはずさんから、お寺の由来や新しい墓所の案内などして
いただきました。まだ50代のイケメン住職さんでした。
寝釈迦像を自分で彫ったり、幼稚園を運営したり、周辺のお寺さんや
神社さんと地域の活動をしたり、新しいのは墓所だけではなく、
住職さんのセンスも新鮮なんではないでしょうか。
妹さんは、絵本作家です。代表作に「おふくさん」という作品があります。
鬼さんがおっかない顔してやってくるのを、ああしてみたら、こうしてみたら
といろいろ策を練り、ついに笑わせてしまうというものがたりでした。
その「おふくさん」が、住職のお母さんだと知りました。
本堂で案内してもらっていたとき、冷たい飲み物をニコニコと手渡しして
くれた人がその人でした。
住職が話しをしている間も笑顔でぼくらと一緒に居てくれました。
自分が死んだとき、どこに行くのか見に行ったのは初めてでした。
中井さんが誰もが死んだとき、どうするというテーマで、どんな
選択肢があるか、ドタンバでアタフタしないでいいようにと、熱心に調べて
回ってくれたその一端の見学でした。
お葬式に訳もなく、費用かけたくないし、お墓も買えば相当の費用は
懸かるし、わざわざ、最後まで見てくれる人も居ない実家の墓地に埋葬する
かどうか。(ちなみに、ニルヴァーナの森に共同埋葬するときは、永代供養の
冥加金として10万円ということでした)
こんなことは、こんどは”エンデイングノート”を書きながら、また考えてみるかな
とおもっています。
たぶん、自分の思いを書くことにとどまらなくなるようにおもいます。
そうですね。こういうのをキッカケで、生きる目的、ゼロから見直しできたら
いいなあ。
ああ、そうです。最後に、コマーシャル。
7月9日(土)13:30~「死んだとき、どうしてほしい」という
講演会が、鈴鹿カルチャーステーションであります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます