かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

中秋のお月見会

2015-09-29 07:35:10 | アズワンコミュニテイ暮らし

はたけ公園の蓮池に着いたとき、おっ月さんは東に広がる

水田地帯の暗くなった空に上っていた。

9月27日6時30分過ぎ。

かねてから、中井さんは、「蓮池の端で月見するぞ」と近しい

人にふれまわっていた。

 

これまでも何回か、蓮池のお月見会はやってきた。

中井さんは、アズワンコミュニテイに見学に来る人に、はたけ公園

の案内をする。

蓮池の前に来ると、「蓮の花も見たいけど、蓮根を肴に

して、一杯たしなみたいとおもって、作ったんです」と説明する。

ついでに、「中秋の名月には、萩を眺めながら、酒を酌み交わす

んだよな」と調子にのっていく。

たしかに、6年前、はたけ公園をどういしていくか、はっきりして

いないとき、彼はユンボを借りてきて、穴を堀りはじめていた。

そのころは、仏教に凝っていて、「泥田のなかから咲く蓮の花」

も言っていて、この池にはいろんな思いが込められていたんじゃ

ないかなあ。

 

今年は出遅れたとおもった。

中秋の名月の醍醐味は、天空に昇る前の地平に顔を出してくる

大きな月を眺めることも、その一つだったなあ。

 

宴は何人かではじまっていた。

中井さん、栗屋さん、大津さん、江口さん、英二さん、それに

サイエンズ留学に九州から来ている吉岡さん。

横浜から遊びにきている純子ちゃん。

 

栗屋さんが、名月にちなんだ詩吟を唸るという。

宴には、そのうち、一人二人と暗闇のなかから、灯りに

吸いよせらる虫のように、客人が現われる。

「じゃあ、このへんで、栗屋さん」

「はあーい。どうぞ」

栗屋さん、詩吟、うなるけど、本人も、聞くほうも、もう一つ

調子がでない。

終わって、「わーい」とか声が出たけど、「よくやった」とは

聞こえるけど、「よかったなあ」という詠嘆はない感じ。

 

車で乗り付けてくる人や、自転車でと、人が増えていった。

暗いからよく分からないけど、食べるものそんなにない感じ。

人が来るごとに差し入れがある。

宴は、なにやら楽しげである。

郡山さんが、ついこの間、持続可能な人間関係づくりカレッジに

いったときの感想を楽しそう話す。彼は「つねちゃん」と呼んで

もらっていたらしい。どうみても、「恒公」と呼ぶのがいいと

おもうんだけど。

「はたけ公園の案内で、中井さんがマリーゴールドの花が

可愛いという話をして、感動したんだよなあ」とつねちゃん。

それが、カレッジの座談会のなかでも話題になったという。

カレッジのスタッフの北川さん、弘子さん、佐藤夫妻も

来ていて、その話で盛り上がる。

 

栗屋さんが、人が増えるたびに、詩吟を所望されるように

なった。

「栗屋さん、詠う場所が悪い。栗屋さんがお月さんのほうへ

行って、聴く人がお月さんを眺めながら、聴くというのが

いいんじゃない」

「ついでに、栗屋さんも、お月さんのほう向いたほうが

いいじゃない・・・」(大笑い)

そうしたら、俄然、詠うほうも、聴くほうの調子が上がってきた。

  盛大な拍手。

 

誰かが「池にお月さんが映っている」

一同、にわかに宴席から立ち上がって、蓮池をのぞきこむ。

「ああー、映ってる、映ってる」

「ここから、よく見える」

「二つのおっ月さん、撮れないかなあ。ここなら撮れるよ」

ワイワイ、二つのお月さん鑑賞会。

 

暗いなかから、船田さんの登場。

彼は、みんなから離れたところで、じっと闇の天空に浮かぶ

満月を眺めて、沈思黙考という姿だった。

この夜はちょっぴり肌寒いけど、爽やかな大気に包まれていた。

月、煌々。

 

宴は、自然発生的にお月さんにちなんだ歌を歌う流れに

なった。

弘子さんが、「子どもになって」みたいにみんなをそそのかして、

女性たちが「ウサギ、ウサギ、なに見てはねる、十五夜お月さん

見て、はーねる」と歌った。

そしたら、お互い指名がはじまった。

九州の吉岡さんは「じゃあ、これやるきゃないな」と立ち上がった。

「月が出た出たあ、月があでたあ、あっつ、よいよい」

聞いていた何人かが、炭坑節を踊りだした。

一人、感傷に耽っていた船田さんも、「では、ぼくも」と、よくは

わからないが、恋心をかきたてるような切ない声色で気持ちを

込めて歌った。

拍手!

 

福岡から来ている真理さんは、「わたしも」といって、沖縄の

歌を歌ってくれた。尻切れトンボにならず、最後まで、哀感と

深い感情を込めて、歌いきってくれた。

その時、ぼくは一句考えていて、真理さんの歌を聞いて

吹っ切れて、みんなの前で発表させてもらった。

  蓮池や 月を映して しずもりぬ

「しずもりぬって何?」と言う質問があって、しどろもどろ。

 

宴はそれとなくお開きになった。

ぼくは、高橋宏治くんと「月天心貧しき街を通りけり」とか

思いながら帰った。

一人歩いていると、左から純子さんが現われた。

「あれ、ぼくらより先に出たのに・・」とぼく。

「道に迷ったみたい」と純子さん。

「おやすみ!」

この夜は更けていった。

 

翌日の夕方。

鈴鹿カルチャーステーションの前。

道路にすこしはみだして、市川さんが東を見ている。

何してる、とおもって、彼の横に立つと、大きな、赤みを

帯びた月が家並みのすぐ上に昇ってきているところ。

「十六夜なんだよね、この月」

「市川さんみたいじゃない」

「なんで?」

「十六夜って、おずおずためらいながらでてくるっていうじゃない」

車が通らないときを見計らって、スマホで撮影をしていた。

通りかかった弥生さんが「あーら、なにしてる?」と寄ってきた。

月をみて、「まあー」

 

ふだんお月さんなんかとは、縁遠い暮らしをしてるんだけど、

お月さんの触れるとき、ぼくらは言葉がいらない、なんか

子ども子どもした世界へ、一気に入れるのかなあ。

おもしろいもんだなあ。

 

 

 

 

 

 


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