報告

今月発売の『大法輪』8月号の特集中の一項目を書かせてもらったから、一冊送られてきた。30年ほど前、宗派が発行する季刊誌の編集委員になった時、ムチャクチャ文章がうまい父が『大法輪』にお地蔵さまについて書かせてもらったことがあった。その時、父は自分の書いた原稿が掲載された刷り上がったばかりの『大法輪』を見せながら、「文章で布教する坊主としては、宗内の檀家さんや信者さんにしか読んでもらえない雑誌じゃなくて、一般書店に並ぶような、こういう本に書かせてもらうようにならないとな」と言った。二度目の『大法輪』への執筆だが、届いた『大法輪』を本堂の本尊さまの前に供えて、「父に読ませてやってください」と本尊さまに頼んで手を合わせた。

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シンプルに生きる

毎日その日やることばかりをやり切って終わっている気がして、気づけば今日の実家でのご詠歌で、今週は4日連続のご詠歌だった。これほどやっていれば、ご詠歌のレベルは落ちることはないから、図らずとも、実力キープの助けになっているのだろうと思った。そんな中『シンプルに働く』韓国版の筆者贈呈分をいただいた。考えてみれば、私のご詠歌の指導もただやっているだけだからシンプルである。そして、今日、明日を生きることも、毎日やることをやるだけだから、きわめてシンプルなのだと思う。明日もやるべきことをシンプルにやっていこうと思う。

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ボウフラ人生

ご詠歌の先生たちの自主研修を終えて、8月に出る本の「まえがき」を書き終えて送信した。「まえがき」なのに、本文を書き終えた後に書く。あはは(今回の本では「あとがき」は不要らしい)。さて、今日も今日とて、読んでいた本の中で見つけた愉快な例えを私流にアレンジしてご紹介します。「人生ってぇのは、なんだね。いい時もあれば、悪い時もあるものだな」「そうだな。まるでボウフラだ。『浮き沈みは世の習い』てぇからな」--人生をボウフラにたとえるくらいの茶目っ気は持っていたいと思いました。ぐはは。ちなみにボウフラは漢字では「孑孑」。昔は「棒振り虫」とも。

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盃一杯

お坊さんの世界では、来週はお盆で、来月もお盆だから、暑気払いは今週中が最盛期。そんなことは一般の方々は、とんと合点が行かぬ話でしょうが、それが真実でござります。ぐはは。今日は三つの暑気払いが重なって、身一つゆえの悲しさ。二つの会には不義理して、大学でのご詠歌の前期最終授業の暑気払いのみ出席(と言っても、私が全員にご馳走するのですが)。みな、快く爺(じじい)につきあってくださいました。往復の道中で読んでいた本に、これまた身につまされる名文句にお目にかかったので、ご紹介しようという魂胆。曰く、「盃(さかずき)に一杯ほどの奢(おご)りが、やがて大船を浮かべるほどになる」--小さかったものが、いつの間にか大きくなるという例えです。何も悪い場合にだけ使う名句ではないでしょう。いつか、どこかで使いたいと思いました。

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高枕

さて、先生から「お前が望むような世界にしてやっているのに、何を今さら、命だけはご勘弁などと勝手なことをほざいておるのだ」と言われた身勝手者。
「許してください。私が間違っておりました。自分の気に入らない者を殺してもいい世界ならば、誰かが私を殺してもいいことになります。上司や親が自分の思い通りになる世界なら、私の子どもや家来が私を思い通りにしていいということです。勝手に人の物を盗んでもいい世界になれば、他人が私の物を盗むのも勝手な世界となり、少しも油断ができません。日々のあけくれは、まさに修羅のちまたとなり、高枕はおろか石枕さえできぬ難儀な世の中になりましょう。私のような身勝手者がこの世にまだ生きていられるのは、有り難い結構な今の御世に生れたればこそ。働きさえすれば命を繋いでいける自由さに気づかず、今の今までこの世界を悪い世界と思っておりましたが、先生の手早き教えに、ここが安楽世界だと合点いたしました」
すると先生が言いました。
「お前に限らずとも、すべて世の人、有り難い御世に生れて、飢えず凍えず世を渡る結構なありさまにもかかわらず、さまざまの不平不満を述べ、己(おのれ)一人が利を得ようとして思うようにならず、身の勝手に合わなければ時節を恨み、人を恨んで、身を苦しめることこそあわれではないか。己が身の程を知り、足ることを知らなければ、安楽にはなれないのだ」
――ということで、天保時代の脇坂義堂師の講演録(『心学道話全集第一巻』)からの「望み通り」の一席、読み終わりでございます。ありがとうございました。

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身勝手者の理想の世界

さてもさても、身勝手者の首をしめて殺そうとすると、この期に及んで命乞い。先生は首をしめながら言います。
「わしはおぬしを苦しませようとしているのではない。おぬしが望んでいる世界にしてやろうとしているのだ。おぬしはさきほど、自分の気に入らない者は勝手次第に殺してもお構いなしの世界ならば、さぞかし結構な世界だと言ったではないか。わしはおぬしのような奴は気に入らぬ。気に入らない面倒な奴だから私の勝手で殺すのだ。それがおぬしの願う世界なのだから、喜んで往生せい。あはは」とぐいぐいと首をしめる。
さて身勝手者、ここでようやく我が身の身勝手さに気づいた様子。先生が手をゆるめると涙ながらに言った……。
長くなるので、この続きは次回の完結編で。あはは。

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