菊の供養になりしや

今日の午後イチは、実家のお寺のご詠歌。
毎秋には一カ月菊花大会が開催される。のこり一週間である。

そこで、今日は父が作った「菊花供養和讃」を錦綾なす菊の大花壇の前で奉詠(ほうえい)とあいなった。毎年恒例である。
一年間の丹精を込めた咲き競う大菊小菊・・・。

「供養」とは「もてなし」という意味である。
今日の和讃は、菊に対する供養となりしや・・・。精一杯唱えた皆さん、ありがとうございました。

そして、今宵は、月に一度の「聲名ライブ」in Chippy。
コラボしてくれるのは、オーストラリアの原住民がつかう、世界最古の管楽器ディジュリドゥや、チベットのシンギングベルや、口琴などの民族楽器で、素敵なサウンドを響かせてくれるpuan(プアン)のお二人。

お仕事帰りに、お酒飲みながら、節付きのお経や、人類が作り出した根源的な響に身をゆだねてみませんか。ミュージックチャージ2000円、ドリンク500円から。
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コメント
 
 
 
きれいな音 (南無)
2010-11-18 22:03:33
 今回の声明ライブはずいぶん興味深い楽器を使っていますね。シンギングベルなんかはチベットなんで多分仏教の共鳴がするでしょう。
 菊にも仏性がある。だから供養ができるのかもしれません。密教の供養をする時の作法は人がお客さんを呼ぶときのもてなしやマナーに似ていると前どこかで聞きました。
 昨日のブログでは私の書き方が拙かったのか和尚さんに勘違いをさせてしまってすいません。秋葉原にはホルモン焼きを食べに行くわけではありません。ちょっと若者の趣味を楽しみに行くのです。
 
 
 
南無さんのコメントに寄せて (プラケア)
2010-11-18 23:30:02
今晩は 和尚さん
このコメントで南無のコメントは勉強になります。
言葉が足りなかったからと素直に思えることそれは素敵なことだと思います。
大人になり、色々と心に埃がついて錆びつくと、知ったかぶりで素直になる前に言い訳が多くなるものです。
だから、とある法務大臣の人のように、2つのフレーズでバリアーをはり自己保身をする処世術が生まれるのかもしれません(ちなみに私の地元議員です・・・)
自己を守ろうとして場会の時は、受け入れる空き容量が有りません。PCみたいな物ですかね。
ところで、南無さんの将来の進みたい方向はあるんでしょうね。
南無さんの青春に乾杯!
和尚さんのライブは行われる基準があるのですか?
たとえば、第3の火曜日とか?
あったらお教え下さい。いけるかどうかは未定ですがもしかしたらと思って教えて下さい。
 
 
 
コメ続きです (ごんべいどう)
2010-11-19 08:46:47
娘の年頃は、何時くらいまで続くんでしょうかね~?

次回の法話の辻
和尚さんとこ行く?と娘に話したら「渋谷、原宿なら行く」って言ってるんです。
親と一緒に出掛けるのも嫌みたいです。あの頃の娘は…泣き
 
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